露に消え入る

まめぞう

露に消え入る

 激しい雨のせいで、いつも窓から見えているマンションがまるで雲の中に浮かんでいるかのようにぼやけていた。6月のはじめ、一昨日のニュースでは梅雨入りが発表されていた。


 この小学校では5年生から委員会活動に参加せねばならず、僕は飼育委員として理科室の前にいるウーパールーパーの世話を終えて、昇降口から出るところだった。母さんから渡されたビニール傘の耐久値を気にしながら、僕は家に帰ってやるゲームの内容で頭がいっぱいだった。


 風にあらがうように校庭を進んでいると校門のところに人が立っているのが見えた。背は自分よりもかなり小さく見える。青いレインコートをランドセルごと被って着ている。この雨の中独り佇んでいるのが気になって思わず声をかけてしまった。


 「君、こんなところで何してるの?」


 その子は声をかけられて初めてこちらに気づいたようだ。レインコートのフードを深くかぶっているせいでこっちが全く見えてなかったようだ。


 「独りじゃ……怖くて。今日、雨降ってるから……」


 雨音で聞こえづらかったが蚊の鳴くような声で答えてくれた。声を聴いてやっと女の子だと分かった。


 「雨が怖いの? 雷とかじゃなくて?」と聞くと、その子は小さくうなずいた。


 「それなら一緒に帰ろうよ。家はどっち?」と聞くと、少し明るい声で少女は答えた。


 「公園のとなりの交差点のとこだよ」

 「本当⁉僕もその交差点の近くだよ! 一緒に行こうよ!」


 こっちの方面は駅から離れてるせいもあってか周りに子供が全然住んでいないのでついこっちもうれしくなってしまった。大きい声に驚いたのか彼女は少し体をすぼめてしまった。


 そうして二人並んで雨の中を歩きだした。


 「君は何年生なの?」

 「1年生」

 「僕は5年生。担任の先生は誰?」

 「入ったばっかで……わかんない」


 入学して2か月が経っているが本人にとってはまだまだ分からないことだらけなのだろう。学校の話を持ち出してもまるで会話が進展しない。


 突然少女が視線を道路の方へ向けた。自分も同じように顔を向けると視線の先には一軒の花屋があった。雨の中でも梅雨向けに売っている紫陽花がきれいに見えた。


 「花が好きなの?」と聞くと。また小さくうなずいた。


 「どんな花が好きなの?」

 「白いお花が好き。寝るところに白いお花がいっぱい置いてあってすごくいい匂いがするんだ」

 「すてきだね。お母さんが飾ってくれてるの?」

 「うん。お母さんとお父さんとおじいちゃんとおばあちゃんもだよ。ほかにもいろんな人がくれたんだ」


 随分と豪華な寝室だな。お金持ちの子なんだろうか。


 「学校の花とかは? いつも用務員のおじいさんが手入れしてるやつ」


 そう尋ねると今までで一番うれしそうに声を上げて言った。


 「あのおじいさんなら知ってるよ! よく一緒に花壇の手入れをしてたんだ。おじいさんも私にお花をくれたんだよ」


 初めて彼女が学校の話をした気がする。本人にとって今一番印象に残っていることがこれなんだろう。彼女は続けざまに質問してきた。


 「いつも花壇に植わっている花ってどこからとってきたか知ってる?」

 「知らないなぁ。花屋で買ってきてるわけじゃないんだ」

 「もちろん買ってきたのもあるんだけどね。ほとんどは近くにある裏山からとってきてるんだって。あ、もちろんちゃんと“まちのきょか”っていうのを取ってるんだって」


 初めて知った。どうりでうちの学校の花壇には珍しい花ではなくスミレやレンゲソウなどの知った花が多かったのか。


 「今度ね、おじいさんが校舎裏に木を植えてくれるんだって。私それがずっと楽しみなの」


 最初に話した時よりもだいぶ明るく話してくれるようになった。人見知りで初対面の人にあまり心を開かないタイプなんだろうか。

 

 雨脚は弱る気配がなく、むしろその激しさを増していた。風がびゅうびゅう吹き荒れ、雨が横殴りに襲ってきた。自分の傘が壊れないように慎重に進んでいく。少女もレインコートのフードをしっかり握りしめ、飛ばされないようにゆっくり歩いていた。


 突然目の前の空が光り、その数秒後に雷鳴が響いた。光ってから音がなるまでそこまで大きな差がなく、雷はそこそこ近いところに落ちたと思われる。


 ふと横に目をやると、少女がいなかった。慌てて後ろに目をやるとフードを強く握ったまましゃがみこんでいる少女の姿がそこにはあった。

 

 「大丈夫⁉雷怖かったの?」慌てて駆け寄る。


 「おっきい音が……耳……痛い……」

 「音?」

 「小さいころから大きい音が……嫌いなの……。怖いわけじゃないの……でも……大きい音聞くと……耳がキーンってなって……」


 少し待つと少女はゆっくりと立ち上がってまた歩き出した。よほどさっきのが嫌だったんだろう。さっきよりもより強くフードを握るようになってしまった。


 「ごめんね、大きい音が苦手って知らなくて。早めに家帰りたいよね」


 そう尋ねると少女はまた静かな声で答えた。


 「大丈夫。こっちこそごめんなさい。教室でもね、みんなの声がうるさくて、休み時間はずっとイヤーマフしてたの」


 おそらく聴覚過敏というやつだろうな。雨がいやだったのもそのせいなのだろうか。いや、彼女は雨が“怖い”と言っていたな…


 「イヤーマフしてたらクラスのみんなとあんまりうまく仲良くなれなくて、独りでずっとお花の本を読んでたの」


 少女の声は少し震えていた。


 「お花も好きなんだけどね、ほんとはみんなと一緒に話したり遊んだりしたかったな……」


 この子が寡黙だった理由がわかった気がする。自身の生まれ持って背負ったものでずっと殻に閉じこもったままなんだろう。


 「今からでも友達作り頑張ってみたら?」

 「無理だよ…。イヤーマフ着けたままじゃちゃんとお話しできないし……」

 「うるさくなければ今みたいにイヤーマフ外しても大丈夫なんでしょ?友達と一緒に校舎裏とかで話してみたら?」

 「みんなわざわざそんなところに来たがらないし、やっぱり大きい声で話せない子なんてみんな話してくれないよ……」


 きっとすでにいろいろ試した後なんだろう。彼女の歩調が徐々に遅くなってきている。


 「じゃ探そう!」

 「なにを?」

 「イヤーマフしてても友達になってくれて、君のために校舎裏に来てくれる子」

 「そんな子いるわけ……」

 「君の目の前に1人いるじゃないか」

 

 少女が僕を見上げるようにこっちを見た。やっと顔が見えた。


 「1人いるってことはあと500人いるって母さんが……あれ?それはゴキブリの話だっけ? と、とにかくそのままの君を受け入れてくれる子だってきっといるよ。大人はさ、友達は多い方がいいとか、仲良くなることが大事とか言うけどさ、別にそんな必要ないと思う。君はありのままの自分を認めてくれる人とだけ付き合えばいいし、“てきどなきょりかん”ってやつ?で接していけばいいと思うよ」


 慰めようと必死になってつい早口になってしまった。しかもほとんど母さんの受け売りである。


 「みんなと仲良くなる必要はないよ。だから耳を抑えたままでいいから、周りを見渡してみようよ。意外と世界って広いんだよ」


 話しててずっと恥ずかしいと思っていたが最後まで言い切るしかなかった。少女はずっとぽかんとした目でこっちを見つめていたが、少し微笑んでまた前を向いて歩きだした。


 「ありがとう。そしたらお兄さんが用務員のおじいさんに次いで2番目の友達だね」

 「そうだね。そしたら今度は3人で花壇の手入れをしようか」

 「うん!」


 今までで見た中で1番の笑顔だった。雨は少し弱まってきて、いつのまにか交差点のところまで来ていた。


 この交差点には下校時間になるといつも交通パトロールのおじさんが立っている。僕が小学校に入る前からずっとやっているので僕とも面識がある。


 「あのおじさんとも話してみたかったんだ」


 そう話す彼女の足取りは軽かった。この短時間で随分と明るくなった気がする。


 「おかえり。今日はずいぶんと遅かったんだね」おじさんはいつも通り気さくに話しかけてくれた。


 「ただいま!委員会活動で遅くなっちゃってさ」

 「もう5年生だもんな。しかも今日は隣に可愛い彼女も連れてきちゃって」

 「ち、違うよそんなんじゃなくて! 帰りにたまたま会って、同じ方面だから一緒に来ただけだよ」

 「ははっそうかそうか。悪かったな。しかしそっちのお嬢ちゃんは見ない顔だな。一体どこの……」


 突然おじさんは言葉を詰まらせ、数秒固まってしまった。徐々に体を震わせて、顔から汗が止まらなかった。何かを言いたそうだがうまく口が動いていない。少女に目をやるとその雰囲気は先ほどの明るい感じとは打って変わって冷たく氷のようだった。


 「はじめまして。おじさん」その言葉にはまるでナイフのような鋭さがあった。


 「ち、違うんだ……あの日は雨で……ヮたしももも……急いdt……ㇰラㇰションにも……ききききずkkなくて……」


 おじさんは尻もちをついて震えたまま動かなくなってしまった。僕も思わず後ずさりすると足に何かが当たった。足元を確認すると無数の白い花束とジュースの缶が転がっていた。


 「おじさん」少女の冷たい声が再び響いた。


 「もういいよ」


うるさく響いていた雨音が一瞬消えたように感じた。空気が澄んで、曇っていたはずの空から太陽の光が差し込んでいるような感じがした。


 「今度は一緒にお花を取りに行こうよ」


 「ハァハァ…ウ、ウァァァァァァァァ!!!」


 突然おじさんは走り出し、交差点を渡ってどこかに行ってしまった。


 振り向いた少女には先ほどのような冷たさはなかった。わずかな温かさと寂しさを込めた笑顔をこちらに向けてきた。


 「お兄さんはちゃんと周りを見渡して歩くんだよ」


 そう言った次の瞬間、彼女はもういなかった。雨は何事もなかったかのように激しく体を打ち付け、残されたのは僕と白い花束だけだった。


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 次の日の空は昨日の嵐を思い出させないほどに青々と晴れ渡っていた。1年生の教室を見て回ったが彼女の姿はどこにもなかった。


 下校中に通った交差点にはおじさんは立っていなかった。あの後土砂崩れが起きた裏山の中で発見されたらしい。そこにあったのは雨風でボロボロになった花束であった。


 別の日の昼休みに校舎裏で用務員のおじいさんが花壇を手入れしているのを見かけた。雨で崩れた花壇を直しているところだった。


 「はじめまして」

 「初めまして。珍しいねこんなところに子供がくるなんて」


 そのとき他の木と比べて小さめな一本の木が目に留まった。少し散ってはいたが、小さい白い花をたくさん咲かせた木であった。


 「その木が気になるのかい?」とおじいさんが話しかけてきた。


 「この木はねガマズミと言って春にはこんな風にかわいい花を咲かせるんだ。でも秋には真っ赤で美しい実をつけるんだよ」


 「おじいさんが植えたの?」


 おじいさんは少し悲しげな声で話し合い始めた。


 「そうだよ。もう6年も前になるのかな。花が大好きな女の子がいてね、いつも一緒に花壇の手入れをしていたんだ。その時、ここに君のために木を植えると約束してね。でもその直後にひき逃げにあって亡くなってしまったんだよ。それで生前、彼女が好きだった白い花を植えたんだ」


 そのガマズミは小さな白い花が寄せ合うように咲き誇っており、その一つ一つが花束のようであった。


 きっと彼女はも独りではないのだろう。


 「おじいさん、今度僕も一緒に裏山に花を取りに行くのを手伝わせてください」


 おじいさんは少し驚いた顔をしてこう答えた。


 「それは構わんが…いったい誰からその話を……?」


 「別に……友達がそう言ってただけです」


 そう言うとおじいさんは何かを察したようににっこりとほほ笑んでこう言った。


 「そうだね。みんなで行こうか」


 あの日僕が体験したことは誰にも話していない。誰もいなくなった交差点を見ても寂しさはなかった。あの日のことを思い出しつつ、花屋で買った白い花束を置いて帰ることにした。


 秋。ガマズミの木はまるで「私を見て‼」と言わんばかりに赤く、華やかな実をまとっていた。

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露に消え入る まめぞう @Mamezou-cat

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