第1話 仙晶市、自由と孤独の街 *Moon Riverにて*
雪が、降り始めた。
皆がコートの襟を立て、
ダウンを着込み、足早に歩く。
白く染まる街の中で、
私の白い身体もその中に
溶けていってしまいそうな気がした。
仙晶市に住むようになってから、
半年が経つ。
東北にある小さな地方都市、仙晶市。
昔とあるカリスマ的な武将に導かれながら、
城下町として発展したこの街の住民は、
多くがエゾリスや野ウサギなどの小さな小動物や、カモシカなどの草食動物だ。
肉食動物も多少はいるが、テンやキツネなど、身体が大きくない者がほとんど。
私のようなユキヒョウは、アーケードを歩くだけで文字通り浮いてしまう。
誰もが一目私を見ると、
ぎくりとしたような、
それでいて美しいものを見ているような、
複雑さと畏怖をたたえた表情を浮かべる。
ここの住民は、
大型の肉食動物を見慣れてはいないのだ。
「ああもう、面倒くさい。」
一旦アーケードを出ると、
雪も構わずにアーケードの屋根の上に
一直線に駆け上がった。
周りにいたエゾシカやニホンザルが、
驚いて私の方を見上げる。
私が前にいた首都圏では、
私のように身軽な動物たちはこんな風に建物の屋根の上を移動したりもしていたけれど。
ここ仙晶市ではそんな風に移動する者は見たことがなかった。
仙晶市民たちは上品というか、
大人しいというか。
…要は「調和」を重んじるのだ。
どこに行っても私は「異端」。
それでも他の動物たちの視線を釘付けにするのは、――悪くない気分だった。
身体に降り積もっていく
静かな雪が気持ちがいい。
熱い私の心を
冷やしていってくれる気がした。
そのままアーケードの屋根を、
目当ての店の方へ駆けて行く。
今、この瞬間だけは
私は完全に「自由」なのだ。
私が身体の大きな肉食獣であることも、
この街で遠慮がちに、
でも確実に訴えてくる
「お前は私たちとは違う」という視線も、
その全てから。
『Moon River』の店先に着くと、
ほんのりと息をついて、ドアを開ける。
「…おう、雪香、君か。」
「マスター、山崎のハイボール、一つ。」
「はいはい。」
この街に来た頃、
たまたま見つけたこのバーは
今ではすっかり私のお気に入りの店だ。
ウイスキーをメインに、
日本酒や地元クラフト酒も置かれている。
店内には静かなジャズピアノが流れており、
客は私の他には誰もいない。
木目調のカウンターには静かなオレンジの明かりが漏れ出るように落ちていた。
『Moon River』の店名通り、
私はその様子を見て、
川面を照らす静かな月明りを思い浮かべる。
「苛立ってるね。」
「当然でしょ。アーケード歩くと変な目でじろじろ見られてばっかり。」
「みんな君が美人だから気になるのさ。」
「柊さんは?私のこと気にならないの?」
「さあ、どうだろうね。」
そう言って不適な笑みを浮かべる白い馬が、
この店のマスター、柊玄だ。
自分と同じ
白い身体を持った大型動物を見たのは、
仙晶市に来てから初めてのことだった。
柊さんも柊さんで、
私のことを怖がったり
遠巻きにしたりする様子が
微塵も感じられなかった。
昔軍や警察に関わったことがあるようだが、
詳細は話してはくれない。
要は、世慣れている、ということなのだろう。
差し出されたハイボールに口をつけると、
そのほのかな香りと口の中をはじける炭酸に、
雪の中を走って火照った身体と心が
じんわりと冷やされていった。
「はあ、やっぱりこの店は落ち着く。」
「そうだな、平日のこんなに早い時間から飲みに来るのも、君ぐらいのものだ。」
「他の店は入りづらいのよ。」
「ほどほどにするようにな。仕事の方はどうだ。」
「そうそう、その話を聞いてもらいに来たんだった」
私ははっと思い出すと言った。
「ねえ聞いてよもう最悪なの、明日からとうとう私もバディ制度が適応される。」
「ああ、あの市が推し進めてたやつか。」
「そうそう。今度の事件から本格的に始まるみたい。」
「いいじゃないか。二人で組んだ方が効率的に仕事が進むんじゃないか?」
「いやよ、私一人で動いてる方が楽なの。」
そして間を置くと続けた。
「…それに、また怖がられるに決まってる。」
「まあそうだな、仙晶市警察は二ホンジカのやつらが多いからなあ…」
「…それがね、私の相手は警察内からじゃなく、外部委託で引っ張ってきた人らしいの。」
「どういうことだ?」
「詳細は聞いてないけど…精神科医らしいのよね。」
「医者か。」
柊さんは頷きながら言った。
「雪香は一人で突っ走りすぎるところがあるからな。悪くないんじゃないか?」
「そんなの!医者なんて勉強しかして来なかった大人しい動物ばっかりって相場が決まってる。どうせ私を遠巻きにして、顔色伺いながら、どうでもいいことばかり話しかけてくるんだわ。」
ハイボールを飲み干すと私は言った。
「はあ、仕事くらいは一人で自由にやりたかったのに。」
「はは、苦労するな、雪香も。」
柊さんは少し笑って言った。
その顔がとても優しい。
草食動物なのにこの余裕と落ち着きがあって、身体の大きさも私を少し上回る…
…そんな柊さんのことを、
時々男性として見てしまいそうになるが、
やっぱり本音ではこんなユキヒョウから好かれても迷惑かもしれない、と思う。
「明日が初顔合わせなの…気が重い。」
「そうか、それは大変だな…今日は私が一杯奢るから、ゆっくり飲んでいけ。」
そう言うと柊さんは、
新しいハイボールをとチーズを差し出してくれた。
ハイボールの黄金色と、
やわらかい雰囲気の全てに、
包まれているような安心感を覚えた。
それは私の過去の全てから私を遠ざけ、
許してくれているような気がした。
ここまでお付き合いくださりありがとうございます!次回更新は6/4(水)21:00~
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