05_Reverse: Black Swan - 05
細い息が零れる。彼は俺に名を呼ばれて動揺を繕おうとしたのか、軽く首を振った。
誰もが息を殺していた。俺の後ろにいる嘴馬も、眼前に立つ大城照明も。俺もまた、銃口を彼へ向けたまま黙っていた。
大城は俺へ憐憫に似た視線を向けている。四宮椿を失って、ついに頭がおかしくなってしまったのか、と言いたげな表情だった。
あくまで自分は犯人ではないという姿勢を崩す気はないらしい。俺は奥歯を噛み締める。
「市ノ瀬君。何か誤解してないか? 海堂君は確かに真犯人を見つけろとは言ったが、」
俺は冷たく吐き捨てる。
「あんただけやったんですよ。四宮椿を殺したのが、天界魔教やって言ったのは」
「それは──、状況的にそう考えるのが妥当だからそう言っただけだよ」
視線を微かに彷徨わせる。そして意志の籠った声で続けた。
「市ノ瀬君。よく考えてくれ。この熾天使連続殺人事件は終わっていないんだ。神原綾佳、板取まひろ、彼女らの処女懐胎だけじゃなく、神原先生まで殺された」
「……確かに、終わっていないでしょうね。あんたにとって消したいやつはあと一人いるはずなので」
「何を言って、」
「俺ですよ。俺が生きていれば、確実に事件の全貌を暴こうとする。だから何としても消してしまいたかった」
「待てよ! 何で僕が四宮先生を殺さなきゃならない? 大体、神原信近は」
「確かに彼は、第四手術室の惨劇への関与を認めました。第四手術室に神秘の遺物を持ち込んだ、と」
しかしそれが偶然とは思えない。彼が当時東医に属しその情報が回ってきたとしても、あまりにも都合が良すぎる。
彼を唆したのは誰かは、考えるまでもなかった。
「神原信近が殺害されたことはご存じですよね」
「だけどそれは魔術による殺害だったんだろ? 鬼頭君から聞いたよ」
「ええ」 俺は応じる。「ですがあの現場には俺がいた。俺の目の前で神原は死んだ。何故そんなピンポイントなことができたのか、ずっと疑問でした」
「四宮先生の解呪が上手くいってなかっただけだろう」
大城が噛みつく。疑われているのが癪なのか、それとも己の犯罪を暴かれることに苛立っているのか──どちらともつかない表情が口元に浮かんでいる。
「いいえ。あいつの魔術は、魔術の発動を阻害するわけやない。──魔術の基盤になる、仮構ごと分解するものです」
「……、それは」
「あの時、あんたは鬼頭さんに連絡しとったでしょう。俺の動向を注視してほしいと。それだけやない」
俺は視線を拳銃へ向ける。黒鉄は黙したまま時を待っていた。
「この拳銃にはGPSがついとる。あんたは俺の位置情報を把握できるし、管理者権限で俺の拳銃使用履歴に手を加えることは造作もない」
俺がそう言い切った瞬間、ほんの数秒──彼の表情が嫌悪一色に塗り潰される。
「君の言うとおり僕が犯人だとして、処女懐胎事件はどう説明する気なんだ」
大城は困惑したように眉を下げて言う。俺はできる限り冷静を保って続ける。
「処女懐胎事件に関して、あんたは何もしとらん。あんたがしたのは四宮椿、神原信近の殺害だけなんやから。あたかも事件に関係があるように演出して、事件を複雑化させた」
「何のために? 四宮先生を殺すのが第一目標ならそんなことする必要ないだろ」
「──椿を確実に関与させ、嘴馬先生を真犯人に仕立て上げるためなら?」
大城の瞳が細められる。俺は拳銃を握る右手に力を込めた。
「単純な暗殺は、俺や嘴馬先生に疑念を植え付ける。やから彼女が〝事件の中で犯人に殺された〟という構図を作る必要があったんです」
「……熾天使連続殺人事件は、……そのためだけに、意図的に複数の事件を一つの事件として編纂された……?」
嘴馬がその推理を口にして、ふらり、と力なく前へ踏み出す。そして、大城へ向かって震える声で問うた。
「それを理解したうえであいつは、殺されてやったっていうのか?」
「ッ、」 僅かに大城の表情が凍り付く。
「答えろよ」
俺の腕は空を切った。嘴馬は大城の襟元を乱暴に掴み上げて叫ぶ。
「十三年前、蒼司を殺したのはお前なのか? つばきの人生をめちゃくちゃにしたのも、椿を殺したのもお前なのか!?」
大城は答えない。嘴馬は感情に任せて叫ぶ。
「あいつらが……! お前に何をしたっていうんだよ?!」
静寂が水天龍宮に満ちる。大城は何も言わないまま、じろりと嘴馬を睨みつけた。そして力の抜けた彼の腕を払いのけ、明らかにこちらを嘲笑する声色で溜息を零した。
俺の知っている大城はもうどこにもいない。冷めた視線、そして全身から漂う空気。水天龍宮の温度を下げていく。
ゆっくりと唇が動き、別人のような声が紡がれる。もっとも、それが真実であり──俺が知らなかったというだけの話だった。
「……君がここまで執念深いとは、正直思っていなかった」
「他人事みたいに言いやがって」
嘴馬が詰る。大城はその声が聞こえていないように無視して続けた。
「けどさ、証拠はどこにもない」
その言葉には冷気が纏わりつき、水天龍宮の静謐とあいまって鋭さを増していた。嘴馬は苦悶に顔を歪めて、必死に息を吸う。
「僕が四宮椿、そして神原信近を殺した証拠。何より十三年前の事故は隠蔽されていて、何もかも──存在しない。どうやって僕の罪を糾弾する気でいるんだよ」
大城は表情の抜け落ちた顔をこちらへ向ける。もう逃げ回れないという諦観すらそこにはない。こうなることが分かっていた、そう言いたげな──
「君は僕を糾弾できない」
「……!」
「わかるか? 神秘は、秘されるが故に神秘だ。螺旋捜査官が何のために存在しているのか、忘れたわけじゃないだろ」
「詭弁だ。お前は徹頭徹尾自分のことしか考えてねえだろ」
「嘴馬先生」
俺は彼の左腕を掴む。
「何でだよ。あの時、早く救急車呼んでくれてたら。あいつのことだって、助けられたかもしれなかった! 何で逃げたんだよ。何で──」
「秘匿する方が重要だった。あれは不安定過ぎた。あれを安定化しないと、」
「まさか、……意図的に、突っ込んだのか?」
嘴馬の声に、大城は答えない。だがその沈黙は肯定と同義だった。
「……公用車を最大加速にした状態で、僕は途中で空間転移して退避した。その後は君らの想像通りだ。あの事故が起き──僕と神原は第四手術室へ神秘魔眼を持ち込んだ」
口の中が乾く。
なんでそんなもんが、と疑問を覚えるよりも先に嘴馬がその言葉を反芻した。
「神秘、魔眼──、まさかあの目玉」
嘴馬が左手で顔を覆う。第四手術室に持ち込まれた神秘の遺物は二つ。一つは大城が自白した、神秘魔眼。そしてもう一つは──、
「ただ、神秘魔眼単体じゃ人の死をひっくり返すほどの力はない。だから屍者蘇生の霊薬を使わせることにした。ああいう場では条件さえ整えば、仮構展開をせずとも魔術が起こせる。……まあ、あの時は魔術を超えて、〝奇跡〟が起きたようだけどね」
告解室で神父が懺悔を聞くとき、こんな気持ちになるのだろうか。いや、ならないだろう。俺は胸の奥で沸々と湧き上がる怒りを必死に抑え込む。
神秘魔眼。即ちそれは神秘生命体から摘出された、生きた臓器。それを安定化した状態で秘匿するためだけに、全ての事件は引き起こされた。
「つまり、……神秘魔眼の安定化が済んだから、椿は用済みになった。やから……」
言葉にするのも嫌だった。仮にそうだとしたら、椿は。
大城はどこか納得した表情を浮かべ、ほんの少しだけ視線を下へ向ける。
「そうだね」
そして──無感動に、残忍な真実を告げる。拳銃を握る手が震える。思わず両手で握りこみ、必死でその震えを抑えようとしたが、その動機は。
椿はこんな下らない動機のために、殺されてやったというのか?
神秘魔眼の安定化。安定化が済んでしまえば、動く死体は用済み。そう言わんばかりの行動ではないか。俺は早鐘を打つ心臓へ意識を向ける。
「本当はこんなに早く彼女から神秘魔眼を──、というか、そもそも彼女を殺すことは予定外だった。神秘魔眼を摘出して、この水天龍宮で封印する。ただそれだけのはずだったんだけどね……」
一度深く息を吐き出す。
「────けど、神秘の解明に手をかけられたら殺さざるを得ない」
「ッ、お前!!」
俺は冷笑する大城に向かって叫んだ。自分でも想像できないほどに悲嘆に暮れた声が漏れ出て、
「何で……何でですか。あんたは、」
「この任務は全てにおいて極秘だった。それにわかるだろ」
わかる? 何が分かるというのだろうか。この殺人に何の大義があるというのだろうか。椿は死んだ。殺された。神秘を明かしたからなんだ? 彼女が神秘を秘することを選べば、そんな言葉はただの屁理屈だ。
確かに椿はめちゃくちゃなことをする奴だった。調査という名目で法律の線引きをひょいと超えることも一度や二度の話ではない。けれど、
「……あいつが行動を起こすとき、誰かを救うためやった」
「それでも、神秘の解明を容認することはできない」
大城は突き放す。
「神秘編纂者はそこにいるだけで悪影響を与える。君も経験したはずだ。──ICUに入っていた間、妙な夢を見たと言っていたよね。それこそが歪曲の正体」
──〝彫刻〟の奇跡。
人に幻想を、その背骨に記憶を刻む奇跡。現実を容易く犯し、真実を捻じ曲げる奇跡。
「今も君が神秘編纂の影響を受けてなお、正気でいると誰が証明できる?」
俺は椿が起こす奇跡の一端を目撃した。椿から影響を少なからず神秘編纂の影響を受けたことは否定できない。それでも。
それでも、俺は。
「────俺がとっくに正気を失っとることぐらい、わかっとる」
「なら引き際くらいは見極めるべきだね」
大城はジャケットの内側へ手を突っ込み、無骨な拳銃を引き抜く。既に安全装置は解除され、引き金を引けば俺の腹には致命傷が叩き込まれるだろう。
後ろには嘴馬先生がいる。俺が死ねば彼を生かしておくわけがない。
奴はこの一件を極秘事項だと言った。関係者を生かしておくわけがない。
「せっかく拾った命、無駄にしたくはないだろ」
大城は左手を軽く振った。手の内の空間が小さな円を描いて黒く歪む。ぼう、と光が浮かび上がったのが見えた。
その手の内側にあったのは、何だ?
緋色。
彼女の人生を彩った色。俺の人生をかき乱した色。
眼球だった。人間の眼球が、淡い光を放ちながら大城の手の内で浮いている。
真っ赤な虹彩。それが誰の眼窩に収まっていたものだったのかなど考えるまでもない。陰陽庁が椿の遺体を収容した、嘴馬はそう言っていた。それは事実だ。
陰陽庁は、否──大城照明は、収容された椿の遺体から神秘魔眼を摘出した。
彼女から普通の人生も、命も奪っておいて、遺体をも好き勝手にするのか?
はらわたが煮えくり返るような気がした。身勝手な怒りだということはわかっていた。俺は椿の苦悩に何一つ寄り添えてなどいないのに。
「返せ」
横で嘴馬が掠れた声で、そう呟く。
「椿を返せよ」
「申し訳ないが、遺体を返すわけにはいかない。彼女の遺体は厳重に封印し──」
続きは言わせなかった。
指先にかかる引き金は異様な重さを持っていて、いつまでも冷たい触覚が指先に残っている。
空間を震わせ耳を劈く音があった。けれど俺にはくぐもって聞こえて、遠くで響いているような、奇妙な感覚を残す。
俺が反射的に発砲した銃弾が、彼の胸部を貫通していた。
肺には血がたまり、放っておいても己の血液で溺れて窒息死するだろう。
「い、……、の、」
二度続けて引き金を引く。俺の頭は先程よりもずっと冷えていて、さっさとこうすべきだった。心が殺意に対して従順さを見せているのにも疑問を覚えなかった。
《《あくまでこの殺人は俺の意志だ》 》。
ひゅー、ひゅー、喘鳴が響く。床に散らばった鮮血の中に、その目玉が転がっていた。相変わらずそれはぼんやりと光を放ち、誰かの願いを叶える視線であり続けている。
動脈血の赤の中でも瞳の赤は埋没することなく、宝石のような輝きを放っていた。
俺はそれに願いを求めたわけではない。ただ、伝えたいことがあった。
絶対にその言葉が椿に届くことがないと、分かっていたとしても。
「な、ん…、で……」 血だまりの中で大城が俺へ腕を伸ばす。
「〝何で〟?」
愚問だった。
俺は銃口を彼の額へ向ける。
そして一つ、──息を吸う。
「愛した人の尊厳を、これ以上踏みにじられてたまるか」
俺はそれだけ言って、彼の頭蓋を撃ち抜いた。
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