05_Reverse: Black Swan - 04

 鯨の歌に似た、悲哀の声が遠くで聞こえた気がした。


 ──ぽちゃん。


 水天龍宮の内部は、異様な静謐に包まれていた。遠くで時折水音が聞こえる。足元で水面が揺らめく。この場所が神秘にほど近い場所なのだと、嫌でも理解させられる。

 項垂れている嘴馬遼士郎は、暫く何も言わずに黙り込んでいた。

 沈黙が満ちる。その中で時折俺の耳を叩く歌は、帰る場所を失くした子供が泣いているような印象を受けた。


 それは、事実なのかもしれない。


 四宮椿というひとの肉体は、沖田つばきという人物のものだ。ではその沖田つばきという少女は、どこに行ってしまったのか。

 あの『第四手術室の惨劇』において、木っ端みじんに魂が砕け散ってしまったのだろうか。俺は必死に考える。


 四宮椿を殺す動機。そして──神原信近を殺す動機。

 両方を持っている人間が必ずいる。そしてその人物は俺をも殺そうとした。この水天龍宮という、一般人は決して立ち入ることのできない場所で。


 犯人には、俺に暴かれては困る秘密がある。俺は鬼頭慶次の言葉を思い出していた。


『犯人は逃走。車が公用車だったもんで、まあわかるでしょ』


 嘴馬には、恐らく二人を魔術的に殺害する手段がある。能ある鷹は爪を隠す──彼は魔術師としての力量をひた隠していたが、妖精未満の存在である第三怪異カンブリアと縁を結べる時点で異常だ。

 仮に嘴馬が神原を殺すとして、そこにはどのような動機があるというのか。答えは一つだった。



「……第四手術室の惨劇、その原因となった神原信近への復讐。そして、親友の弔い合戦」


 俺の言葉に、嘴馬は恐る恐る顔をあげた。左右にゆっくり揺れている眼球が、彼の精神が如何に追い詰められているのかを物語っている。


「犯人は椿を殺したことで、事象の遺伝子を弄る手段を手に入れた。結果、あんたはその筋書きの上に乗せられた。犯人はこのままあんたに罪を着せて逃げる気でおる」

「それ、は──」


 嘴馬は何か言おうとして、唇を結ぶ。それはあの時、神原も同じだった。俺と椿が初めて神原信近の別荘へ赴き、彼と相対した時。彼には呪禁じゅごんが掛けられていた。

 これを解くのは悪手だ。解くことが、その呪禁に隠されたもう一つの呪いを発動させる引き金になっている。

 呪いを解けば、別の呪いが彼の心臓を穿つだろう。俺は瞼を降ろし、彼の足元へ視線を向ける。ゆらり、水面が動く。カンブリアが彼の影で回遊しているのだ。



「椿の殺害が魔術儀式の一部やっていう、俺の推測は多分合っとる。犯人は俺がここに来たのが、魔術儀式に椿の死体が必要やって気づいたからやと勘違いした」

「……、そうだ。椿は神秘汚染が何だって言って、陰陽庁が連れて行った……」


 嘴馬の声からは普段の落ち着きが失われ、焦燥だけがある。


「あいつは……、まだ、」

「わかっています。──犯人は俺を殺すために、切り札を切ったんです」


 空間魔術。本来ならば魔女しか使えないはずのそれを使った。それが犯人にとって致命的なミスになった。

 魔女は幻想種としての種、そしてそれに連なる者を指す。女性の魔術師の呼称ではない。魔女と言われても、男もいる。神原信近や俺がそうであるように。


「さらに言えば、犯人にとって最大の誤算があった。それが海堂さんの存在です」

「海堂が……? なんで、あいつが」

「九州圏を管轄する螺旋監察官インサートとして、ここに派遣されてきました」


 俺は端的に事実を伝える。ジャケットの内ポケットにある黒鉄に触れる。


「警視庁公安部、そしてサイロ。海堂さんは警察組織と大々的に、天界魔教と神榮会を捕まえる算段を立てはじめた。そうなれば確実に処女懐胎事件で死亡した板取まひろ、神原綾佳の二人に関しても情報を上げなければならない。もちろん、射殺された四宮椿のことも」


 ジャケットの内側から拳銃を引き抜く。

 嘴馬を庇うように一歩前へ、銃口をゆっくりと視線の先へ向ける。


「三日間という短期間でも、あなたには俺にウロウロされては困る理由があった。その最大の理由は、十三年前に起きた交通事故です」


 俺は拳銃の安全装置を解除する。

 十三年前、交通事故によって、沖田つばき四宮椿、そしてその父親が死んだ。

 その記録は改竄されている。高速道路で飲酒運転の車と、患者が乗っていた車が正面衝突した。そのような形で。


 何故改竄されたのかは依然不明のままだ。ただ一つ確かなことがある。公用車が路肩に停車中だった車へ、センターラインを超えて正面から突っ込んだ──などという事実は記録されていない。

 だがわざわざもみ消すということは、この一件が意図的に引き起こされた犯罪である可能性が高いことを示唆している。俺は確信を深める。


「当時、交通事故を起こした車は公用車やった。あんたは二人を救命せず、その場から立ち去った。……空間転移して」


 嘴馬が生唾を飲み込む。俺の言葉は徐々に熱を帯びていた──それが真実に近づいているがゆえの興奮なのか、それとも沸々と怒りがわき上がっているからか。

 きっと両方だった。


 俺は何もかもを自覚するのが遅すぎた。


「そして──椿の銃創は、俺たち螺旋捜査官や、陰陽庁の国家陰陽師たちに支給されるものと同じ口径やった。弾丸の使用数は徹底的に管理されとる。やから、弾丸の数が合わんくなっとったはずなんですよ」



 こつ、こつ、と革靴の音が響く。その人影がゆっくりと近づく。室内の柔い光が、彼の憮然とした表情を徐々に暴き出す。


「帳簿はオンラインシステムで確認しました。けど椿が殺されたあの日、弾丸の使用履歴は無かった。けどその四日後、俺の拳銃が二発使用されとった。そこで帳尻を合わせたんでしょう」

「……何でわざわざ、そんなことをすると思うんだよ?」

「簡単な話です」


 俺は一度言葉を切って、彼の方を睨みつける。



「あんたが四宮椿を生み出し、そして殺したからですよ。────大城さん」


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