01_Reverse: White City - 03
「お前は東医の出身者だ。ならば東医のデータベースでお前の情報は見つけられる。予想通り名前が入った論文を見つけた。するとその論文を見ればお前の担当教授と指導医が誰なのか、そして専門分野が何なのかわかる。そこから東医の人事データベースへ飛んで出向履歴を探る。お前は当時の脳外科医長の推薦で東京の警視庁赤羽病院に出向し東医には戻っていない。つまりお前は出向後すぐに螺旋捜査官になった。まず螺旋捜査官になる以前の連絡先は今の番号とは絶対に違うと断言できる。長年使っている携帯番号のままであれば、」
「長えよ。簡潔に言えや」
「……探知した」
「犯罪やねえかちゃ……」
俺はシンプルに椿の行為に引いていた。
この女が監視を受けている理由は一瞬で理解できた。『調査』という名目で、平気で法律の線引きをひょいと超えるのだ。この女は。信じ難い倫理観の無さに俺は絶句する。
「嘴馬はそこにいるな?」
「お、るけど! お前本当いい加減にしろや! この距離なら普通にこっち来ればよかろうが」
「病棟に入るのに嘴馬の許可がいる。さっさと代われ」
「…………あの。嘴馬先生。四宮が、代われ、と言っています」
「お、おう」
俺はかなり怒りに満ちた顔をしていたのだろう。一瞬嘴馬は顔を引きつらせ、困った表情で俺のスマホを受け取り耳へあてがった。
「椿、お前さ。俺のこと悠々自適な老後過ごしてるジジイだと思ってんだろ?」
「だというのに呼び出せば五分で飛んでくるあたり、お前のことを『暇人』以外にどう形容すればいいんだ?」
「あーはいはい、暇人ですよ。家帰ったってやることねえよ。どうせ論文読んで一日が終わるなら、病院にいても同じだろうが」
病院に住み着いとる。頭いかれとるんか?
俺は心からそう思ったが、必死に言わないように飲み込んだ。そもそも椿も大概頭がいかれているとは思うが。弟子が弟子なら師匠も師匠だ、と俺は失礼千万なことを思い浮かべる。
労働基準法を知らない奴しかここにはいないらしい。厚生労働省の看板がさめざめと泣いている気がした。
「先日の診察依頼だが、あらゆる角度から検討しても検査結果の不審点は見受けられなかった。……ああ、スピーカーホンにしてやれ。せっかくだから咲良の意見も聞こう」
先程のやりとりを思い出して、俺はかなり嫌な気分になった。またひとしきり俺に推理させた後「全部間違いだ」と丁寧にちゃぶ台返しする気だろう。
嘴馬が俺のスマホを操作してスピーカーホンに切り替えた。どうやってタイミングを認識しているのかは全くわからないが、椿は「それで」と前置きをして再び話し始める。
「第一に、患者は十七歳。幼少期に大病した経験もなく、現在の体重も標準的。第二に、婦人科系の疾患を指摘された経歴も無し。第三に──」
椿は一度言葉を区切った。
「この患者、中高一貫の寄宿制女子校に通っているんだろう?」
「ああ。白梅女学院らしい」 嘴馬が答える。
「超がつくお嬢様学校だな。ならば日常的に関わる相手でありうるのは、教職員と父親ぐらいなものだろう。SNSなどの交友関係に異性がいればこうしたこともあり得なくはないが……」
「患者は学校に併設された寮に入ってて、交友関係はかなり狭かったようだ。自分から異性を避けてるってよ。まあ、母親が言うにはだけど」
「ふむ。お前の言っていることが全て真実なら、この患者は処女懐胎したことになるな」
処女懐胎? 俺はその言葉に眉を顰める。
話を総合すると、つまり──十七歳、女子校に通う高校生の患者が原因不明の妊娠をした。検査結果に異常が見当たらないということは本当に妊娠しているのだろう。断言できるなら超音波検査に初期兆候か、或いは胎児が写っていた?
俺は必死に考えながら口を開いた。
「……想像妊娠の可能性は?」
「無い。エコーで確認済みだ」 椿は冷たく言い放つ。
「けど単為生殖なんて有り得んやろう。普通に考えて相手がおらな」
「そうだな。率直に言って私も同意見だ。というわけで嘴馬、なんとかしろ」
「なんとかってお前……いやさすがに心臓外科の患者じゃないし、俺の一存じゃ決められねえって」
「産婦人科部長はお前と比較的良好な関係性を築いているだろう。脳外科より断然マシだ」
「無茶言うな、俺にも立場がある。勝手に他科の患者には会わせられねえって」
「面倒なことだ。ああそうだ、咲良」
ものすごく嫌な予感がした。この先の展開がなんとなく読める。絶対こうなる、と俺はじわじわボディーブローのように効いてくる胃痛に俺は顔を顰める。
「確か螺旋捜査官にはこうした、不可解な事件に対する介入義務があるな」
「刑事事件になったやつだけちゃ。適当なこと言うな」
「おやそうなのか? これは立派な刑事事件に値するものだ思うがな」
椿はどこか厳しい口調で言った。そこには明確な怒りと医者としての責任が滲んでいる。
「処女懐胎? 笑わせる。どれほど医学が発展しようと、人間がある日突然一人で子を産むのは不可能だ。つまり絶対に彼女を妊娠させた相手は存在する。どういうことかわかるだろう」
椿の主張は正しい。彼女が言っていることには筋が通っている。捻くれているのは俺の方だ。
それに──今までの情報を総合して、その可能性を否定することは絶対にできない。むしろそちらの可能性の方がよっぽど高い。俺は己の浅はかさに嫌気がさして、唇を噛んだ。
四宮椿とて、いかに変人奇人であっても医者である。
俺は嘴馬からスマホを受け取る。
「……」
その一言を絞り出すのが恐ろしく、俺は黙る。椿は俺の考えを察したのか、
「患者は未成年。尚更その可能性は考慮して然るべきだ。患者が性暴力のショックから、健忘状態に陥っている可能性もある。どちらにしてもこの一件を放置はできない」
「どちらにしても、ってどういう意味かちゃ。お前のいう通り、この患者が……その、強姦されて妊娠したなら」
「胎児が人間であるという確証はない」
「まさか。いや、けどそれは……」
俺は次ぐ言葉を見失って黙った。そして椿は決定的な一言を俺へ投げつける。
その言葉は俺の背後と、スマホの両方から聞こえてきた。俺はそちらへ勢いよく振り返る。
視線の先には──緋色の女。
目立つエメラルドグリーンのドクタースクラブに、白いスリッポン。白衣に片手を突っ込み、右手にはスマホが握られていた。
「そう」
その声と同時に通話が切れる。俺はスマホをジャケットの内ポケットへしまって、彼女の方へ向き直った。
「幻想の者に子を抱かされた可能性を否定できるだけの根拠も、今はない」
「あー待て待て! 椿、まさかとは思うがその話を直接患者にする気じゃねえよな」
黙っていた嘴馬が慌てたように口を挟む。
第一に、神秘や幻想は秘匿しなければならないという原則がある。その側面からも、そしてもちろん患者の心情を考えれば、そんな与太話と受け取られかねないことを話すわけにもいかなかった。
「その辺は、俺の方でどうにかできるとは思います。ただ……」
俺はじとりとした視線を椿へ向けた。
「あいつが俺の言うことを聞くとは到底思えません」
「あー……まあ、うん。そうね〜……」
嘴馬は椿の傍若無人っぷりを思い出したのか、視線を右へ左へ彷徨わせながら言った。
「失礼なことを言ってくれるな。必要でないからそうしないだけだ」
まるで俺の行動の大部分を無意味と断じられたような気分になったのは言うまでもない。しかし流石にそれを指摘するのはなんとなく癪に触った。
俺は黙ったまま椿をじっと睨む。俺の内心を知ってか知らずか、彼女は「そう怒るな。シワになるぞ」と微妙にズレた一言を発する。
「とにかくだ──嘴馬。此度の一件、お前がなぜ気にしているのかはもう知っている。洗いざらい吐いて楽になったらどうなんだ」
「なんで俺尋問されてんだよ」 嘴馬は苦笑する。
「誤魔化すな。元々お前の患者だったんだろう、あの女子高生」
「俺のIDで勝手にカルテ見たのか?」
「IDを使わなくてもやりようはある」
椿はそう言って鋭く嘴馬を睨む。
「外傷性心タンポナーデ。運悪く硬式テニスの速球が当たって救急搬送された。そうだろう」
嘴馬が僅かに視線を逸らす。鶸色の瞳が迷いを写していたが、それだけではない。俺はそこに小さな違和感を見出した。
「その際に心囊穿刺を行い回復したが、その後容体が急変し開胸手術が行われている。執刀医はお前だ、嘴馬」
「あーあーわかったわかった。全部話すからそう睨むな」
嘴馬はひらひらと手を振って椿に言った。納得がいかない様子で彼女は指導医を睨んでいる。そして相変わらずだな、と吐き捨てた。
「……あとで居室に来い。これからオペなんだ」
弟子に押され負けながら、俺の方へ視線を投げて続ける。
「八階の、渡り廊下渡ってずっとまっすぐ行ったら心臓外科の医局がある。その真横だ」
「承知しました」
俺は不満げな表情の椿を視界に入れた。その瞬間、俺の勘が鋭く働いた。人生二十八年で最も鋭い勘である。
「いかんぞ」
「まだ何も言っていないが」
「研究室で大人しくしとけ。やる事なら山ほどあろうが」
「この興味深い症例を放置して大人しくしていろ!? 貴様、目の前にニンジンをぶら下げられた競走馬にも同じことを言うのか!?」
椿は俺のネクタイを引っ掴み、物凄い勢いで前後左右へ振り回しながらそんなことを叫ぶ。
前言撤回、やはりこいつは医者というよりもマッドな研究者だ──俺の感動を返せ。そう言いたくなりながら必死に猛攻に耐える。
「本当なんなんかちゃこいつ! この……」
「ほう? なんだ言ってみろ。凡人の悪口など微風に等しいが今日は特別だ。聞いてやろうではないか」
俺は流石にトサカに来た。そして、
「このニワトリ女! ちったあしおらしくしとれ!」
「誰がニワトリ女だ! 私は医学における万能の天才だぞ!?」
椿は初めて、そのおめでたい称号を自称した。
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