01_Reverse: White City
01_Reverse: White City - 01
他の医学特区もそうだが、九州──いとしま医学特区は一層白い。街全体が白いのだ。
さらに特区の中へまで延伸した地下鉄のおかげもあり、俺──市ノ瀬咲良が貧乏医学生をしていた当時よりも、格段にアクセスが改善されていた。
東都医科大学付属病院。そこは俺が医者になるため六年間学んだ学舎であり、研鑽の地であり、尚且つ正直戻って来たくはない場所だった。
俺は莫迦みたいに真面目である自覚がある。そんな面が災いして、医局内の権力闘争に巻き込まれた。
その結果がこれである。俺は医者を辞める羽目になった。仰々しい『螺旋捜査官』とかいう肩書を背負わされ、とある事象を秘匿する役目を担わされていた。
──この世界には、未だ拭い去れない夜がある。
人はそれらを幻想、怪異、神秘などの言葉で言い表した。
めんどくせえ、と俺はA4の紙に手書きで『総合診療外来』と書かれた部屋(おそらくここが医局なのだろうが)の引き戸を開けた。
部屋の内部は医局と呼ぶには狭く、だが診察室と呼ぶには広すぎる。まるで実験室を無理やり改造して研究室のような、医局のような、どちらともつかない微妙な内装にされているその部屋には、赤い髪の女性がいた。彼女は椅子にふんぞり返って煙草をふかしている。仮にも医局であるのなら流石にこの場で喫煙は自重すべきだろう。
俺は絶句しながらそちらを見た。エメラルドグリーンのドクタースクラブに真っ白な白衣。鮮やかなボブカットの赤い髪。
あまりにも無気力というか、脱力しきっている彼女にそっと近づいてみる。俺が部屋に入ってきたことすら気づいていないのか、彼女は鶯色のオフィスチェアーに体を預けたまま天井を虚ろな目で見ていた。
近場の机に自分の荷物を置いて、彼女を再び観察する。
まさか──大麻? 俺は背筋に嫌なものを感じ取った。だとしたらこの症状にも説明がつく。ぼんやりとした虚ろな視線。微かな手の震え。症状から考えれば薬物乱用だ──薬物を堂々と医者がやっている? 莫迦な。恐々と彼女の様子を確認して、
「残念ながら私は薬物中毒患者ではないぞ」
「うお!?」
赤と青の双眸がこちらを見ている。瞳だけがギョロリと動くので恐ろしくもあったが、不思議と嫌悪は感じなかった。
目立つ緋色の髪に、赤と青の瞳。左目の少し下の泣き黒子。
間違いない。この女こそ、〝医学における万能の天才〟と呼ばれる女。
──
「お前が新しく配属された螺旋捜査官の市ノ瀬咲良か。少し評価を改める必要がありそうだ。お前はもっと普遍的でどこにでもいる男だと思っていたが違うらしい」
「は? 俺は……普通やろ」
俺は思わずむきになって否定した。自分自身の出自を、己に刻まれた呪いを見透かされたような気がしたからだ。
「普通ではないぞ、市ノ瀬咲良。お前は私を観察した。目の前にある事実をそのまま認識するのではなく、多角的に見ようとしているのは医師として実に良い傾向を持っていると言えよう」
「ちょっと待て。本当に大麻なんやないやろうな? それ」
「メビウススーパーライトだ」
「安心した……」
俺はほっと胸を撫でおろす。彼女は再び瞳だけを器用に動かしてこちらを見た。
「安心か。興味深い事を言うな。何故そう思った?」
そんなことを言って彼女は長い脚を組み、両手を胸の前で合わせた。
変な奴やな、と思うがとりあえず話に付き合うことにする。
「大麻は日本じゃ手に入らん。……世界から注目を集める天才が、そんなもん吸って己の才覚を持ち崩していくとは思えん」
四宮椿。彼女は世界から脚光を浴びている。しかし一切顔を出さないうえ、医学特区の外に出ないという側面から、随分とミステリアスな扱いを受けていた。突拍子もない物から絶妙にありそうなものまで、様々なうわさが飛び交っている。
前者は『実は四宮椿はAI』とか『人体実験で生み出された天才児』とか。後者は『重篤な病気で医学特区の外に出られない』というものだ。
そんなことを思い出しながら、ちらりと横目に彼女を伺う。どの説も嘘八百で当てはまらないのは承知している。彼女は非常につまらなさそうな表情で、赤青と左右で色の異なる双眸を向けた。
「それだけか?」
「え……あ、ああ、まあ」
「重要な部分が大いに抜け落ちてはいるが、いい線だ」
「は?」
何を言っているのかわからずにそんな返事をする。椿はどこか、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あらゆる薬剤は治療を行うために試した。大麻を吸ったことがあるから同じ状況を再現できると考えなかったのか? まあ、その程度で私の頭脳は崩れ落ちないが」
内心頭を抱える。なんやこいつ。人生二十八年の中で、本気で困惑していた──その様子を見て緋色の女は楽しそうに形の良い唇を横へ引いた。
「いい反応をしてくれて嬉しいよ。全部冗談だ。煙草を吸ったのは今日が初めて。お前が喫煙者であることはとっくの昔に把握しているからな」
「あ?」
俺は思わず呆けた声を上げる。す、と赤い視線がこちらを捉え、心臓を掴まれたような──酒で胸やけしたときのような不快さが全身を駆け巡った。
「日常的に煙草を吸うだろう。一日二、三本ペースで」
緋色の前髪を掻き上げて、椿は椅子から勢いよく立ち上がった。白いスリッポンがぽすぽすと、彼女の剃刀のような声音とは裏腹に軽快な音を立てる。
「最初はニコチンの少ないものを吸っていたが、それでは満足できずニコチンの濃いものに変えた。運動習慣は外科手術に耐える為だけのマラソンと週三回のジム。比較的最近、女と別れた」
そして突如顔を首元へ、俺のうなじあたりをすんすんと嗅いだ。
「相手の女が浮気していたか。甘い香水の匂いが嫌いなのはそのせい」
「うぉ!?」
「シトラス、ベルガモット、そしてレモングラス。これは昔の恋人からの贈り物が最初。香りが好みだったから継続して購入し使用している。だがそれが決定的な、相手の浮気の原因に」
「ちょ、ちょっと待てや! 何で……そんなことが……?」
俺は顔を引きつらせながら椿に向かって叫ぶ。彼女は左右で色が違う瞳で彼をじっと見つめている。その奥にある泉の如き叡智に、少し眩暈がしていた。
「観察すれば大抵の事はわかる。私はあらゆる情報を見逃すことはない」
「か、観察……そんな俺のプライベートなことまでどうやって」
「もう少し明かしてやろうか?」
「……もう少しったって……もう明かせることなんか……」
「長い髪は切る暇がないのではなく、陰陽庁に所属する陰陽師という側面を持つゆえに伸ばさざるを得ないのだろう。そうか……お前は水天龍宮の巫覡だな? あの〝女装の〟巫覡」
「~~ッ! 強調すんなや! 好きでやっとらんわ!」
その言葉に思わず椿に向かって怒鳴る。しかし彼女はどこ吹く風と、そのまま軽やかに言葉を紡ぐ。
「拳銃を扱う心得があり、加えて右手の親指付近にある黒子は先天的なものではない。扱ううちに火薬が入り込んでできたものか。……ふむ。お前、かなりしっかり戦闘訓練を受けているな」
椿はそう言って咲良の背後へ回り込み、背中に軽く右手をそっと当てる。
「それ、は、そうやけど。いや待て!」
「──他にもわかるぞ。腕時計は安物をずっと使っている。物持ちがいい反面物に対しても無頓着。
ああ、お前──元医者だろう? 外科以外のスキルはまあまあだったようだが、まあ随分揉まれて救急でもかなり重宝される外科医だったようだな。喜ぶといい、東医の救急は万年人手不足だ……きっと歓待を受けるぞ。猫の手としてな」
椿は推理を一頻り披露して満足したのか、煙草を唇へあてがい、紫煙をふうと吐き出した。俺は彼女の観察眼(というか、まるでスキャナーに読み取られるような気持ちだったが)に驚きつつ、どうしても一つだけ納得できなかったことを口にする。
「……一つ、間違いがある」
「聞こう」
「時計は死んだばあちゃんの形見だ。当時は相当高価なもんだった」
「失敬。ミスだ」
無表情のまま椿はそう言った。明らかに形式上自分の推理の過ちを認めたという風ではあったが、この天才は存外人間の心の機微を理解しようと努めてはいるらしい。
まずなぜ彼女がここに? 『医学における万能の天才』なんて異名を与えられた、とんでもない才媛なのだろう。そうであるならばこんな狭い場所で燻っておらず、世界へ出ていけばいいのに──内心そんなことを思う。そして椿はそれを見透かすように、
「気になるか?」
不敵な微笑みを浮かべた。瞳の奥で瞬く、どす黒い知性を感じ取る。
「まぁ、多少は」
「やはりお前は面白いな。私にこれだけプライベートを暴露されて怒らん者も珍しい」
「……怒っても仕方なかろうが。全部事実なんやけ」
不貞腐れたような口調になって、唇をへの字に曲げる。ふと視線を動かし──気づいた。彼女の左手、人差し指と薬指に挟まれたままの煙草は長い。つまりここへ来る直前から吸い始めたということだろう。
彼女は俺を揶揄うためにわざわざこの部屋で煙草をふかしていた。
俺はその結論へ至る。そしてそれと同時に、じわじわと何か、口腔内に苦い味が広がっていく。これが何なのか、出涸らしの煎茶を飲まされた時のような、指にできたささくれがちくちく痛むような──微妙に気になる、いやな感覚。
「それを正しく認識できない者の方が圧倒的に多いという事だ。大抵私にあらゆる事を暴露された患者や医者は、」
「……『黙れ! その口を閉じろ!』って罵倒すんだろ」
そう言ったとき、俺はこの目の前にいる女に腹が立っていることに気付いた。
「正解だ」
「じゃあ同じこと言ってやるよ。……人の秘密好き勝手ベラベラ喋りやがって。その口縫い付けてやろうか。デリカシーどこにおいてきたんかちゃ、このクソアマ」
椿は俺の言葉に、一瞬呆けた顔をして固まった。だが次の瞬間、
「ああ。怒りの瞬発力がないんだな。理解したよ」
この女には凡人が何を言っても無駄だと本能が告げている。
そして同時に──
こいつの相手をまともにしとったら、禿げる。俺はそう確信した。
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