爲石さん、一緒に死んでくれませんか?

@enho

「全てを変えるには、一度死んでみないといけないの」


 爲石流石ためいしさすがは慣れた手つきでナイフの柄を握り、自らの胸の谷間に刃先を向けている。

 ――ああ、もうやめたい。こんな面倒なこといつまで続けるのよ。ちゃんと痛いんだからさっさと終わらせてよ。

 流石は、高梨圭一をじっと見上げる。

 流石より、10センチ以上も上背のある高梨は、先ほどから青白い顔を浮かべ、喉奥から流体物が迫り上がってくるのをしのいでいる。

 屋上に通じる階段の踊り場で向かい合う2人、傍目からみれば、か弱い女子を襲う男子の図だ。

「ねえ、ちょっとなんか返事して」

 一言も喋らない男子生徒に嫌気がさし、流石は言った。

「……」

 高梨は口から微量の空気がスーッと抜け、手は小刻みに震えている。

 はあ、ほんとに殺す気あるの――流石の視線は、屋上へ通じる扉を捉えた。

 ――なんでいつも鍵が閉まってるんだろう。1階で火事でもあったら逃げれないのに。ああもう、曇って来やがった。

 流石の足元に置いてある真新しい通学鞄には、扉から差し込んだ光が弱光となり、先ほどまではっきりと二値化された境界を曖昧にしている。

 遅い。

「もう良いでしょ?」

 流石は高梨の手を掴み引っ張る。

「や、やめろよ」 

「じゃあどうすんの? 私この方法しか知らないし、他に当てがあるんならへどうぞ」

「ちょっと待て、なんでそうなるんだよ。お前が死ぬのと、俺の問題どう関係あるんだよ」

「直接は関係ないわね。手っ取り早いからよ」

「……嫌だ」

「だ~め。今更遅いわよ。はいこっち持って」

 流石は自らの手の上に高梨の手が重なるよう、ナイフの柄を握らせる。その手が汗ばんでいることに流石は気づいた。

「マジかよ。これ殺人だよな⋯⋯」

 頬をひきつらせ笑おうとする高梨。

 かわいい奴。

「はいはいマジマジ、殺人よ。でも安心して捕まらないから。――私もあんたと一緒に刺してあげるからね。私の自殺って考え方もありよ。でも本来は一人でやるんだよ。高梨

 流石は高梨と握ったナイフを、自らの胸に引き寄せる。

「嫌だ」

 ナイフから手を離そうと無理矢理腕を上下させる高梨。その動きはやはり男と言うべきか、女の流石には抑えきれず、上半身が上下し足元から浮き上がりそうになる。

「あぶない」

 と、スっと流石の胸に赤い線が一筋。


「痛い」

 流石の胸下からじわっと血が滲む。

 高梨は動きを止め、ナイフを握り絞めたまま、赤い広がりを見つめる。胸の尖りから下へオタマジャクシのような模様を見せ、制服の裾に達した。

「おい、大丈夫か」

 問われると同時に、流石の目にも胸の尖りを乗り越える血が見え、鉄さびの匂いが鼻をつく。

 ――きた。

「え? 痛くないのか。はやく保健室に行こう」

「うるさいよ」

 流石がは手に力を込め、一気にナイフを胸へ刺した。

「やめろ。ひぃい、離せ」

 流石は胸から持ち上がって来るを感じ、視線を高梨の後方へ向ける。学校中に張り巡らされた灰色の塩ビタイルの床から、流石のしびれに呼応するかのように、薄っすら、やがてはっきりと、靄が浮き立ってきた。

「毎度毎度、気持ち悪いのよ」

 靄に向かって文句を放つ流石。

「何言ってんだよ」

「あなたには見えな、なくていい――のよ」

 が流石の口まで達し、呂律がうまく回らない。

 靄はやがて二等辺三角形の様な輪郭を構築し、高梨の手をなでるように流石の胸の傷口から入り込む。

 ――くそ、早すぎた? 生ぬるいわ。うまくいって。

 流石の黒目が裏返るように白くなり、今まで必死に高梨を抑えていた手から力が抜けていった。

「どうした? おい」



 どっと流石が、高梨に寄りかかって来る。高梨は慌ててナイフから手を離し、膝を曲げるようにして木偶のように動かなくなった流石を抱き留める。

「おい。おい。どういうことだよ――どうすりゃ……」

 流石を抱えたまま動くことができないで、シャツに流石の血が染み込むのをじっと見ている。

「死んだのか? 冗談だよな。人間ってこんなに早く死ぬの。俺知らねえよ。なあ、ちょっと――」

 血が流石の胴とそれを支える高梨の腕の間に流れ込み、流石の体をすべらせる。

 胸に刺さったナイフが落ちる。


 金属音が階下まで反響する。

 

 ――高梨が流石の喉笛に噛みつく

 血しぶきが舞い上がる。

 胃の腑に噛みつく。

 高梨は顎骨が砕けるのも気にせず、流石の胸を砕き、こそぎ、肉骨諸共、口に含み咀嚼する。


 今だ、飲み込まれていない流石の肉体内部から靄が奇声を発する。その声は誰かを嘲るような笑い声にも聞こえる。 


 屋上に通じる扉が、高梨の食事に気をつかうようにそっと開く。まだかろうじて残っていた陽光が、高梨の赤黒い口許をいっそう引き立てるように注ぐ。

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