世界征服結社ネヒュガ ネヒュガ怪人vsジャスティススター ~あるいは「ふくぶん」活動記録~
s-jhon
第1話・うなれ、新必殺技・ジャスティス空中蹴り!
月の無い夜の事である。交番勤務の里田巡査は自転車を押しながらパトロールをしていた。街灯の明かりがちらつく公園裏の通りを歩いていると、向こうからオートバイを押して歩いてくる人影があった。
(おや?あれは見たところ女子高生のようだ。ふらついているようだな。……まさか飲酒?)
「おい!そこの君!」
少女は顔をあげる。気の強そうな瞳。里田巡査はその端正な顔に傷がついているのを見て取った。ふらついているのは怪我のせいなのだ。
「君ぃ!?大丈夫か!救急車、呼ぼうか?誰にやられたんだ!?」
「……大丈夫です」
「大丈夫なもんか!待ってろ、今、救急車を……」
その時、巡査の胸の無線が鳴る。
「……はい本部、こちら里田……なんですって、今すぐ来い?……弱ったな」
「こんばんは、里田さん。どうかされましたか?」
いつの間にか、ツインテールをした眼鏡の少女が街灯の下に立っている。
「んん?ああ、針山さんのお嬢さん!ひょっとしてこの子はあなたのお知り合いで?」
「はい、同じクラブの後輩です。それより里田さん、行かなくて大丈夫ですか。彼女のことは私に任せて……」
「助かりました。早めに治療を受けさせてやってください。では!」
里田巡査はこれ幸いと自転車に飛び乗り、ジーコジーコと警察署へ向かった。
ツインテールの少女――針山千恵はオートバイを押すポニーテールの少女――こちらは星野宏子という――に話しかけた。
「ボロボロね。車を出させようか?その改造バイクを乗せられるような大きなの」
「……結構です。先輩の世話にはなりません」
「……あー、わかった、わかった。でもバイクは運転しないでよ。事故でも起こされたらいろいろ面倒だし。……ねぇ、宏子。私は宏子に戻ってきてほしいと思っている。それは和美や双葉や麻奈も同じ。ま、未来のやつは文句たらたらだろうけど、あれはあのとき宏子が殴ったのが……」
「先輩。アタシは先輩の仲間に戻るつもりはありません。アタシは先輩を許すつもりはありません。……失礼します」
宏子はそう言うと、オートバイを押しつつ、ふらつきながら道を進んでいく。千恵はそれを見送りながら頭をガシガシと掻き、つぶやく。
「う~ん。……仕方ないか。気長にやっていきますかね」
警察署の廊下は節電のために蛍光灯が減らされ、薄暗い。里田巡査はその廊下をコツコツと足音を響かせて署長室へ向かう。無線で警察署に呼び出され、事務員から署長室に行くようにと伝えられた。
(そういえば)
と、里田巡査は思う。
(あの事務員さん、ボォッとしていたな。まぁ、夜だしな)
しかし、自分のような交番勤務の平巡査に署長が何の用だろう、などと考えながら里田巡査は署長室のドアをノックし、入る。
「失礼します。里田淳平巡査、ただいま参りました」
部屋の中は明かりが消され、暗かった。大きな机に太った署長が座っているシルエットが、窓から差し込む街灯の光で浮かび上がっていた。
だが、部屋の中にはそれ以外にも人影があった。まず、高校生ぐらいの少女らしき人影(里田巡査はさっき会ったバイクを押している少女を思い出した)が三人。ボディーラインが浮き出るような全身タイツを着ているらしく、引き締まったボディーラインが見て取れる。頭にはそろいのベレー帽をかぶっている。
もう一人誰かが部屋の隅に立っているのだが、暗くて見えない。
少女たちのうち二人が、里田巡査の入ってきた観音開きの扉に駆け寄って閉める。そのうちの一人、短いツインテールをした少女が笑ったような気がした。
「署長?こちらの方々は一体?」
署長は虚ろな目で里田巡査を見た。里田は怪訝な顔をした。
「あ……我々は“ネヒュガ”、だ」
部屋の隅にいた人物が答えた。彼女も年若い女のようであった。彼女は話しながら里田の方に歩いてきた。窓の明かりで彼女の姿が浮かび上がる。彼女は体にピッタリした硬質な鎧のようなものを身に着け、頭にカブトムシのような大きい角が付いている。
「ね、ねひゅが?いったいなんなんです?あなたは一体……」
「あたしは怪人・ビートルレディー。あなたはこれから我々ネヒュガの下僕となるの」
「一体どういう……」
「こういう事よ」
ビートルレディーと名乗った少女の瞳が輝く。その瞳を見ているうちに里田巡査の意識は沈み、目が虚ろになっていく。ビートルレディーの角が光ると、里田巡査の体はびくりと動き、虚ろな表情のまま部屋から出ていった。もう一度角が光り、署長も部屋から出て行き、部屋には“ネヒュガ”と名乗る少女たちが残った。彼女らもいつの間にかいなくなっていた。
翌朝、地元の高校の一年生のクラスで三人の少女たちが話していた。
「和美ちゃん、千恵先輩どうだった?」
「う~ん、昨日の夜、宏子に会ったらしいんだけど、やっぱり駄目だったってさ」
「宏子ちゃん、だいぶまいってたと思うけど、まだ、諦めてないんだねぇ」
ショートヘアの少女―― 一ノ宮和美――とショートツインテールの少女――三森麻奈――がそんなことを言うと、ロングストレートの少女――髙橋双葉――が口をはさむ。
「そりゃ、そうでしょ。宏子は宏子の信念がある。だから、宏子はわたしたちとは行動を別にしているんだ。そう簡単に元の鞘に納まるって訳にはいかないさ」
「そりゃわかるけど。でも、やっぱり……」
「“ふくぶん”には宏子ちゃんがいないとね」
和美と麻奈がうなずくのを見て、双葉はため息をつく。
「ま、未来のやつは宏子のこと許してないからなぁ。こっちも何とかしないとなあ」
「だなぁ」
「だねぇ。……あの時は見事に殴り飛ばしていたからねぇ」
その時、教室の扉がガラリと開き、一人の少年が駆け込んでくる。彼女らのクラスメートの佐藤健二だ。健二は教室を見渡すと、和美たちが話しているところにやってきて言った。
「なあ、優一はどこか、知らないか?あいつも“ふくぶん”だろ」
「田中君はコンピューター研究会だよぉ、一応。千恵先輩が、“ふくぶん”の部室にネット引くときに手伝いに来てもらっただけで、それからもいろいろ手伝ってもらってるけど、今でも田中君はコンピ研の部員さんだよ?」
「うちの……複合文化研究会の部室によく来ているのは事実だけどなー。……今の時間なら屋上じゃないか?だ……猫の世話をしていると思うよ」
「また、あの猫を学校に持ち込んでいるのかアイツは!?」
そのようなことを話しているうちに、眼鏡の少年――田中優一がタッパーの入ったコンビニ袋を持って教室に入ってきた。健二は優一の元に駆け寄ると一気に話し出した。
「大変なんだよ!また、出たんだ!ネヒュガの怪人が!警察署の裏の空き地で目撃されたんだ!きっとこれは、警察を支配しようとする陰謀なんだ!」
「いったい誰から聞いたの?」
「新聞部の八神さんから。嘘じゃない!その証拠に、里田のおじさんと今朝会ったんだけど、様子が変だったんだ!」
「ふ~ん」
「だから嘘じゃないったら!」
「うん、佐藤君が嘘をつくなんて僕思ってないよ」
「だったらもっと驚けよ!」
優一は空っぽのタッパーをカバンに突っ込むと、言った。
「ああ、うん。でも、佐藤君、これまでもそのナントカってとこの怪人が出たって話をしているけど、なにも世界は変わってないでしょ。だからいまさら驚けって言われても……」
「今度はヤバいんだって!警察が……」
「うん、じゃあ、佐藤君が以前助けられたって言う、ウサギのヒーローさんは?その人が何とかしてくれるって」
「いや、ジャスティススターもその怪人に勝てなかったって。必殺のラビットキックを受けても、その怪人はビクともしなかったって!」
「って八神さんが言っているの?」
そこまで話をした時に、前の扉から担任の男性教諭が熊のようにのそりと入って来た。彼は出席簿を教卓に叩きつけ、生徒たちに「席に着け―」と叫ぶ。少年たちも少女たちも慌てて自分の席に着く。教師は眠たげな眼でそれを見ると、
「あー、全員いるな。星野のやつは休みだと連絡が入っている……。一ノ宮、お前なんか聞いてないか?“ふくぶん”だったよな、お前も」
「え?いえ、聞いてません」
「そっか。いや、星野の母親から「娘は山籠もりで特訓するから休むそうだ」って言われてな。新しいタイプのひきこもりかもな」
教師はそう言ってからからと笑い、連絡事項を伝達し始めた。
「で、宏子は来ていないの?」
その日の午後。文化部棟の一階の隅にある「複合文化研究会」部室。旧式コンピューターが唸り声をあげる会議机の前に座った針山千恵が言った。
「はい、そうらしいっす」
と、和美が答えた。双葉が後を継ぐ。
「彼女の母親は山籠もりだって言ってます。たぶん、本当に山に行っているんでしょう。ただ……その、アレがショックだったからか、それとも本当に何か特訓しているのか……」
「たぶん、本当にしているんでしょう。彼女の性格からして」
千恵はそう言ってパソコンを少しいじり、机の上に置いてあったポッキーの箱を開けると一本取出し、箱を和美に投げる。和美もそこから一本取り、双葉に渡す。双葉から箱を受け取りつつ麻奈が言った。
「そうですねぇ。マナもそう思います。……戻ってきてくれるといいんですけど。あ、はい、未来ちゃん、ポッキー」
「要らない!だいたい、なんであんな奴……!あいつはボクたちを裏切ったんだ!」
「う~ん、しょうがないと思うよ。宏子ちゃんちょっと頑固だし。あーでも、未来ちゃんは怒っていいと思うよー。だって、宏子ちゃん止めようとして殴り飛ばされていたからねー。アハハ」
「笑うな!」
箱からポッキーをもう一本取って笑っている麻奈に、未来――辻本未来は怒鳴る。和美がそれを見てニカッと笑って
「じゃ、あたしが代わりに殴り返してやるよ。だからそれで許してやってくれ」
と言った。
千恵はまたパソコンをいじる。パソコンは断末魔のような声をあげて熱風を吹き出す。千恵はガリガリと頭を掻く。すると扉を開けて、猫を抱いた優一が入って来た。
「どうかしたんですか?」
「うーん。なかなか繋がらないのよ」
「古い型ですからねぇ。ちょっと見てみましょう」
優一は猫を籠――床下に入るための扉のわきに置かれた、クッションを敷いた籐の籠にそっと入れるとパソコンに向かい合った。
「あー、やっぱり新しいのにした方がいいですね」
「あー、やっぱり?」
猫はのんきに話す優一と千恵、そしてポッキーの箱を回しながら駄弁る少女たちを不機嫌そうに見つめた。
西日に照らされたアタガ山という山の山中。市外からさほど離れた場所ではないのだが、道路から離れた位置にあるため、通りかかる人は滅多にいない。
そんな山中に一人の人影があった。星野宏子である。彼女の前には一本の丸太が立てられている。
「ハッ!」
掛け声とともに彼女はハイキックを放つ。ズンと丸太が揺れる。蹴りは二度、三度……。ついには固定具が壊れたのか丸太は地響きを立てて横倒しになる。
だが、少女の目には迷いが残っていた。
翌日の昼、高校の屋上。優一はタッパーからご飯を食べている金色の猫を優しげに見つめていた。傍らには情報端末が置かれ、地元の大型家電量販店のホームページが表示されている。
すると屋上の金属扉が軋みながら開き、二人の少女が入ってくる。優一のクラスメートなのだが、彼は名前を覚えていなかった。その少女たちが話しかけてくる。
「あ、田中君が猫を学校に連れてきているって本当だったんだ!」
「なでていいかな!?」
優一はちょっと困った顔をすると、猫に対して問いかけた。
「よろしいでしょうか、ダイさん」
猫は不機嫌そうな顔で少女たちの顔と優一の顔を交互に見やると、不承不承と言った感じで頷いた。それを見た少女たちは黄色い悲鳴を上げる。
少女たちにもみくちゃにされる猫を微笑ましげな眼で見つめ、優一は少女たちに言った。
「ちょっとダイさんのこと見ててくれないかな」
「いいよー」
「うん。……モフモフだねー」
猫が手足をばたつかせて暴れ出したが、少女たちはしっかりと猫を抱きかかえていた。
優一は教室まで戻ると情報端末の予備バッテリーをとって屋上に戻ろうとする。するとそこに担任の教師がやってくる。
「おい、田中。おまえ、屋上で猫を飼ってるそうだな」
「え!?あー……」
優一は目線をさまよわせ、和美の姿を見て取る。
「……えっと、一ノ宮さん」
「うん?あたし?何か用、田中君?」
優一は和美の元に行き、コソコソと小声で何か囁いた。和美は嫌そうな顔をしたが、仕方ないかとあきらめた感じでため息をついた。
担任教諭は胡乱げな目付きで優一と和美を見つめた。
「どうなんだ、田中」
「えっと、その」
「あー、あたしから説明します」
「……“ふくぶん”がらみかよ……」
教師は嫌そうにため息をつく。和美が
「屋上で説明します。いっしょに行きましょう」
と言って歩き出す。その後に担任教諭が続き、優一が不安そうな顔で進んだ。
健二は新聞部の八神嬢から聞いた話を相談するために優一に会おうと教室に戻った。しかし、優一と和美と担任教諭が教室を出てどこかに行くところを目撃し、声をかけようとして追いかけた。だが、昼休みの人波のせいでなかなか追いつけない。
仕方ないので、少し離れてついていくと、三人は屋上へ出て行った。屋上の扉はやや立てつけが悪く、教諭が適当に閉めたため、扉は半開き状態であった。
健二は教諭の話が終わるまで待っていようと踊り場に立っていた。屋上の扉の細い隙間から薄明るい光が差し込んでいた。
「な、なんだ!?」
突然、教諭の悲鳴が聞こえた。続けて数人の少女のかすれるような悲鳴がする。健二は怪訝に思い、そっと階段を上ると扉の隙間から屋上を覗いた。そして、ガクリと尻をついた。
扉の隙間から見えたのは、大きな角の付いた硬質の鎧に身を包んだ少女が立っており、その手前に担任教諭とクラスメートの女子二名が呆けたように立っているという光景だった。
健二は確信した。あの鎧姿の女は“ネヒュガ”の怪人だと。
怪人は角を光らせ、
「あなたたちはすべて忘れて、あたしたちが命令したときはそれに従いなさい」
と命じていた。この位置からは見えないが、優一と和美も同じ状態になっているのだろうと健二は思った。
と、その時
「誰だ!?」
と怪人が叫び、教諭たちを押しのけ扉の方に向かってくる。健二は慌てて飛び退くと転がるように階段を駆け下りた。
背後で金属同士が激しく激突する音が響いた。振り向くと屋上の扉が大きく歪み、その陰から怪人がこちらを見ていた。健二は悲鳴を上げると階段を転げ落ちた。
「で、健二のやつ、なにも言わずに帰っちゃったんだ。担任のやつびっくりしてた」
「アッハッハ」
放課後。文化部棟。赤く染まった光が複合文化研究会部室に差し込んでいる。双葉と麻耶はクッキーを食べながら談笑している。和美はストレッチをしながら話を聞いている。未来は室内におらず、千恵はコンピューターに向かって作業をしていた。
「そう言えば、未来のやつは?」
と千恵が聞いた。
「さあ?わたしは知りません。麻奈は?」
「う~ん、マナも知らないよ?和美ちゃんは?」
と、双葉と麻奈が返す。和美がそれを受けて答える。
「未来だったら、剣道部ですよ。宏子をぶん殴ってやるんだとか」
「あー。剣道部か。九重の奴が主将だっけ」
「お知り合いなんですか、針山先輩?」
「あー。うん。一応ねー。でも、アイツの性格と大会が近いことを考えると……」
千恵が苦りきった顔で言ったその時、入り口の扉が勢いよく開き、くだんの九重茜剣道部主将が未来を連れて現れた。
「針山!こいつスゲーよ!あたしでさえ勝てなかったんだ!なあ、こいつくれないか!?」
未来はすまなさそうな、うんざりしたような顔をしていた。千恵は叫んだ。
「あげないわよ!」
「そこをなんとか!」
「ならない!……あー、もう!その子はあげられないけど、後で相談に乗るわよ!だから今日は帰りなさい!私たちだってやることがあるの!」
「おお、さすが針山!恩に着る!じゃあ、またな!」
茜はそう言って来たときと同じように颯爽と去っていった。
「なんですかアレ?」
和美が尋ねる。千恵はため息をついて言った。
「あの台風女が剣道部主将の九重茜。悪い奴じゃないんだけどね」
それから千恵は立ち上がり未来に問いかける。
「で、どう?剣技に磨きがかかったかしら?」
「……わかりません。言っちゃ悪いですけど、剣道部の人たち、弱くて」
「フフ。なら、まあ、ぶっつけ本番で試してみましょうか。昨日は余所事してたけど、いよいよ明日……!」
千恵はパソコンの薄型モニターを四人に向ける。彼女らの口からそれぞれ驚嘆の声が漏れる。千恵は続けた。
「宏子がどうするのか、今のところよく分かっていないけど、本番の最中にもめごとが起こるのは勘弁願いたいからね。事前に話を通しておきましょう。ま、そうしとけば本番前に会えるでしょ。話をつけるのはあなたたちに任せるわ。できるわよね?」
和美がフフンと笑うと、ドンと胸を叩く。
「任せてくださいっ!この期に及んで宏子がぐだぐだ言うようなら、ぶっ飛ばしてやりますよ!」
千恵はクスリと笑うと「頼もしいわね」と言った。最新型のデスクトップコンピューターのモニターには、地元出身国会議員の講演会が明日、山の上ホテルで開かれる旨が表示されていた。
近くの道路にミニバンを停めると、運転していた男はアタガ山の山中へと入っていった。男はペンライトを頼りに、暗くなった山の中の細い道を登り、やがて少し開けた場所に出る。そこにいたポニーテールの少女――星野宏子が慌てて振り向く。
「おお、星野。やっぱりここにいたか。一ノ宮の言った通りだな」
「……先生?」
男――担任教諭はぼんやりした目で宏子を見つめると言った。
「一ノ宮から言伝でな」
「和美から?」
「ああ。なんでも明日、カネイ山の――山の上ホテルがある山だな――工事現場跡地に来てほしいそうだ」
「……なぜかは聞いていますか?」
「ビックイベントの前に、お前さんとのいざこざを清算したいんだとさ。まー、先生としても仲直りした方がいいと思うぞぉ。一ノ宮のやつも仲直りしたがっていたぞぉ。髙橋と三森もだ。何があったのか知らんが、意地を張るのはやめたほうがいい」
「先生、それは先生の考えですか?」
「いや、針山にこう言えと言われてな。おれが真面目な教師でないことはおまえも薄々知っているだろう?おまえらが何しようが、おれの生活に関わってこねぇ限り、知らねえよ。まあ、悩みくらいは聞くが、おまえらは悩んでいるわけじゃないだろ?おれに相談して何とかなるようなことはさ。
ここに来たのだって一ノ宮に言われたからだよ。まったく、山の中なんておれの趣味じゃねぇんだ。で、おまえはどうするんだ?一ノ宮たちとよりを戻すのか?」
「……和美たちには「あなたたちの仲間にはならない」と伝えてください」
「わかった」
教師は煙草を取り出すと尋ねた。
「ちょっと一服させてくれ」
「……どうぞ」
彼はジッポライターで火をつけ、煙を吸い込んでから言った。
「……そうそう、おまえの出席記録改竄しといた。針山に言われてな。よろこべ、昨日からの欠席は無かったことになってる。ま、テストだけは頑張れよ」
それから教師は宏子の方を振り返り、「じゃあな」と言って山道を下りはじめた。上部が粉みじんになった丸太が立っているのが気になったが、すぐに足場を確かめつつ道を下ることに集中し、丸太の件は気にしなくなった。
宏子はゆらゆらと揺れるペンライトの光をずっと見送っていた。
カネイ山は頂上に「山の上ホテル」というリゾートホテルがあることで地元では有名な場所であるが、それ以外にもいろいろリゾート開発をしようとしていたことはあまり知られていない。カネイ山の工事現場跡地はそんな夢の成れの果てだった。
そんな工事現場に一台のオートバイが走りこんできた。運転しているのは宏子であった。宏子はバイクを停めると叫んだ。
「望み通り来てやったぞ!さぁ、どこにいるの!出て来い、和美!」
すると積み上げられた土管の陰から和美が出てきた。
「……そんなに怒鳴らなくても聞こえてるって。で、宏子。あたしたちの仲間に戻ってくれる?あたしも双葉も麻奈も、宏子に戻ってきてほしいと思ってる」
「断る!アタシはあなたたちには手を貸さない!……あなたたちネヒュガには!」
クスクスクス……。和美は笑う。笑いながらその身を変化させる。体は硬質な鎧で包まれ、額から巨大な角が生える。和美は――ネヒュガの怪人・ビートルレディーは笑いながら話す。
「強情だね、宏子。……うん、もういいよ。やっぱり話してもダメだったみたい」
その言葉と同時に、宏子の背後から黒いタイツに身を包み臙脂のベレー帽をかぶったボブカットの少女――未来が漆黒の剣で切りかかってきた。宏子はそれを間一髪で避ける。
同じくタイツにベレー帽の戦闘員スタイルで、ビートルレディーの両脇にいつの間にか現れた双葉――真っ黒なボウガンを右手に持っている――と麻奈――こちらは両手にコンバットナイフを一本ずつ装備している――が未来になげやりに声援を送る。
「がんばれ~。変身前に倒してくれたら、わたしたち、仕事しなくていいからな~」
「うん、今がチャンスだよー。やっちゃえ、未来ちゃん!修行の成果を見せてやれ―」
「うるさいっ」
未来は宏子を睨み付けたまま叫び、次々に斬撃をくりだす。宏子はその素早い攻撃を何とか避け続ける。
「くっ」
「くそっ!避けるな!ボクの恨みを思い知れぇええ!!」
未来は次第に興奮し、攻撃が荒くなる。見ていたビートルレディーが「あーあ」と言った。
宏子は攻撃の隙をついて踏み込み、未来の顔面に拳を叩き込む。バキッと固い音が響き、未来はよろける。そこに宏子はキックを叩き込む。おなかに鋭いキックを食らった未来は「ぐえっ!?」とうめいて双葉たちの方に吹っ飛ばされた。
「……あー、無理だったか。さて、やりますかね」
「うん、双葉ちゃん。さあ、未来ちゃんももうちょっとがんばって。……宏子ちゃんも強敵だけど、ジャスティススターはもっと強敵だからねぇ」
宏子は跳び上がると空中で一回転する。着地した彼女は体を白い毛皮に包まれていた。彼女はネヒュガの改造人間・ラビットガール、今は「ジャスティススター」と名乗ってネヒュガによる世界征服の企みに立ち向かっていた。
「かず……ビートルレディー、あなたたちの企みはこのジャスティススターが打ち砕かせてもらう!」
「無駄よ。あたしの装甲はあなたの攻撃じゃ突破できない。……ま、未来があなたのことぶん殴りたくてたまらないみたいだから……というわけでみんなお願いね」
「ああ、ま、援護射撃は任せてくれ」
「アッハー。未来ちゃんがんばろうねー!」
「……殺すっ!」
「ちょ、おい!?」
回復したらしい未来が一人でジャスティススターに突撃していく。双葉が慌てた声を上げ、麻奈が慌ててあとを追いながら
「双葉ちゃん、援護して!」
と叫んだ。
未来はジャスティススターに向かって斬りかかる
「死ねぇええ!!」
ジャスティススターはハイキックを放つと、未来の持っていた剣をへし折った。呆然とした未来にジャスティススターはパンチとキックを叩き込む。麻奈がナイフのコンビネーションで割り込むが、未来はフラフラになってしまっている。双葉が後ろからボウガンで支援射撃するが、麻奈や未来に当たらないように撃っているため、すべてジャスティススターに回避される。
麻奈は二本のナイフを駆使してジャスティススターを攻撃していたが、数度の攻防の末、ジャスティススターのパンチを食らって後ずさる。しかし、後ずさりながら叫ぶ。
「未来ちゃん!パンチ!」
未来は麻奈と入れ替わるようにしてジャスティススターに踊りかかった。一撃目のパンチをジャスティススターにガードされ、未来は「このぉっ!」と叫んでもう一度パンチを繰り出す。
だが、ジャスティススターはその拳をつかまえると逆に引き寄せ、未来の顔面にカウンターパンチを叩き込んだ。
「へぶっ!?」
未来が悲鳴を上げる。麻奈が未来を助けようとナイフをくりだすが、ジャスティススターは顔めがけて繰り出されたナイフをしゃがんで回避し、麻奈にパンチを浴びせ、未来にパンチを数発叩き込み、とどめに顎に膝蹴りを叩き込んだ。
「ごふぅ……」
「未来ちゃん!?」
未来は地面に大の字に倒れると苦しげに「ちくしょう……負けた……」とうめくと姿が薄れて消え失せた。
「……未来ちゃんの仇ぃー!」
そう叫んで、しかし攻撃自体は冷静に、麻奈はジャスティススターにナイフをくりだす。双葉のボウガンによる射撃攻撃もジャスティススターを襲う。双葉と麻奈の連携の精度は上がっていたが、ジャスティススターはナイフの刃やボウガンの矢が掠るものの、優位に闘いを進める。
ほどなく、麻奈はパンチとキックを何発か食らい、ナイフをくりだすもののその腕を取られて投げ飛ばされる。麻奈は受け身を取ったもののナイフを手放してしまう。すぐさま起き上がり、ジャスティススターに踊りかかるも、腹部に蹴りを食らい、「ゲフッ!?」と叫んで吹き飛ばされる。
「や……やーらーれ……たぁ……!」
麻奈は苦しげに、しかしふざけた調子で叫んで倒れ、未来と同じように消失する。
麻奈が倒れたのを見て、双葉はジャスティススターに向かってボウガンを乱射し、叫ぶ。
「和美!すまん、無理そうだ。あと頼む!」
「ん、了解。あんた遠距離戦専門だし、背後から撃っててくれれば……」
「違う!わたし、やられる!」
そのとたん、ボウガンの矢を回避していたジャスティススターが跳び上がった。双葉はとっさにボウガンを上に向け、狙いを定めようとするが、狙いが定まる前にジャスティススターは双葉の近くに着地した。双葉はとっさにそちらにボウガンを向けるが、ジャスティススターの裏拳がボウガンを弾き飛ばす。
「くそっ!」
双葉は慌てて拳を握るが、彼女が攻撃態勢に移る前に、ジャスティススターのワンツーパンチが双葉に炸裂する。グロッキーになった双葉の胸にジャスティススターの蹴りが命中し、後ろに吹き飛ばされる。
吹き飛ばされた双葉は、ビートルレディーの硬質鎧に包まれた胸に激突する。ビートルレディーは慌てて双葉を抱き留めるが、双葉は吐血すると
「和美……すまん……」
とつぶやいて、消えた。
ビートルレディーは双葉を抱きしめた形の手を、ファイティングポーズに変え、ジャスティススターを見た。
「……やってくれたわね、ジャスティススター」
「降参する……気はないんだね、ビートルレディー」
「まぁ、ここで降参したら、がんばってくれた三人に悪いしね。……それに降参すべきなのはあんただよ、ジャスティススター。あんたの攻撃はあたしには効かない。あんたに勝ち目はないよ」
「断る。アタシはあなたたちには屈しない」
「あたしはあんたが泣いて「まいった」って言ったって、降参させてやるつもりはないんだがな。未来の奴にもあんたのことぶん殴ってくれって頼まれてるからね。……いっぺん殺してやるよ」
「……来なさい!」
ビートルレディーはジャスティススターにラッシュをかける。そのパンチの速度は未来のパンチの比ではなく、ジャスティススターはビートルレディーの硬い拳によるパンチを何発も浴びる。ジャスティススターもビートルレディーにパンチやキックを浴びせるが、ビートルレディーには全く応えない。
「無駄よ、無駄。あたしにあんたの攻撃は効かない。あたしの勝ちだ!アッハッハ、さあ、這いつくばれ!」
「くっ……!ならっ……これでどうだ!」
ジャスティススターはビートルレディーの腕を取り、足払いをかけて投げ飛ばす。さすがのビートルレディーも地面に叩きつけられた衝撃は耐えられなかったらしく、「ぐぅっ!」とうめいた。
だが、彼女はすぐに立ち上がり、飛びのいて距離を取ったジャスティススターに不敵な笑みを見せる。
「さすがにこれはちょっと効いたけど、あたしを倒すには足りないな。ちょっとふらつくけど、致命傷にはならないね」
「なら、これでどう!?」
ジャスティススターは跳び上がる。ビートルレディーは笑う。
「あんたの必殺技のラビットキック?あたしにそれは効かないって……」
しかし、空中でジャスティススターは回転し、なにもない虚空を蹴って加速する。
「な、なんだそれ!?」
バキィィイッ!
その跳び蹴りはビートルレディーの頭部に命中し、破壊不可能なはずのその装甲を打ち砕き、人々を操るアンテナであった角を粉みじんにする。ビートルレディー自体は「ギャッ!」と悲鳴を上げ、蹴り飛ばされて砂利の山に激突する。
キックの反動で距離を取って、ジャスティススターは着地する。ビートルレディーは角の残骸が残る額から火花を噴出しつつ、フラフラと立ち上がる。
「な……なんなの今の蹴り……!」
「……特訓の末生み出した新必殺技」
ジャスティススターは再び跳躍し、虚空を蹴って加速する。そして彼女の口から、その技の名前が叫ばれる。
「ジャスティス空中蹴り!」
「そんなのありかよぉ!?」
バギボギグシャドザァ!
必殺キックはビートルレディーの胸部装甲を打ち砕き、彼女の体を土砂の山に叩きつけてその土砂山を粉砕した。ビートルレディーは重機が削り出した崖に激突し、廃棄された資材の山の中に落下した。
だが、ビートルレディーは立ち上がった。全身から火花が飛び散り、目線は定まらず、立っているだけの状態だ。それでも、彼女は立ち上がり、ジャスティススターを見た。
「……ゆ、油断……した……。くそっ……これじゃ……む……向こうで、双葉に……おこられ……るな……」
「……アタシの勝ちだ、ビートルレディー」
「ち……く……しょう……」
悔しげにつぶやいて、ビートルレディーは崩れ落ちる。彼女の体が爆炎に包まれ、廃棄資材に火が燃え移る。
ジャスティススターは変身を解き宏子に戻ると、オートバイに乗って立ち去った。
その空間にはガラスタンクがいくつも並んでいた。ほとんどのタンクは空っぽだったが、数十個のタンクの中は蛍光グリーンの液体で満たされていた。そのうちの三つ、はしごの側にあるタンクに入った液体には人型の何かが浮かんでいた。
そのうちの一つが唸りをあげて液体を排出しはじめる。謎の液体はタンク内の排水口からどこかへ流れ出す。液体の無くなったタンクが開き、ボブカットの少女――未来が出てきた。
未来はカプセルから出るとコンクリートの床を拳で叩き、叫ぶ。
「くそっ!負けた!」
もう一つのタンクが開き、麻奈が出てくる。
「だめだよー、未来ちゃん。せっかく、カプセルが怪我を治してくれたのに、また怪我しちゃうよー」
「……一発も当てられなかった」
「う~ん。はっきり言うとさ~、未来ちゃんて本番に弱いって言うか、宏子ちゃんと対峙すると怒りで攻撃が雑になるんだよねー。あと一人で突っ走りすぎ。才能はあるんだからさぁ。頼むよー。前衛のマナたちががんばらないと、双葉ちゃんが苦労するからねー。
……あ、双葉ちゃん!……おお、双葉ちゃんよ、死んでしまうとは情けない」
「いや、あんたが言うな」
双葉は呆れたように言ってタンクから出る。長い黒髪は液体に使っていた痕跡を一切留めておらず、双葉が頭を振るのに合わせてさらさらと流れる。
「そう言えばさー。双葉ちゃん、宏子にさぁ、ダメージ与えられた?」
「いや、恥ずかしながら、かすりもしなかった。……わたしも修行しないとダメかなー」
「あー。……じゃあ、和美ちゃん、負けるね」
「……えっ!?おいおい、そんな訳ないだろ。「ビートルレディー」は宏子の攻撃を全部弾けるんだぞ」
「うん。でもさー、宏子ちゃんはそれを何とかしちゃう人間なんだよ。だから……そろそろ、かな」
麻奈がそう告げるとともに、液体に満たされたタンクの一つがドプンと泡立ち、内部に和美の姿が現れる。タンクは唸りをあげ、和美の負った傷を治療し始める。
「和美!?」
「あー、やっぱりねー」
双葉は慌ててタンクに駆け寄った。
しばらくして治療が終わり、液体が排出される。タンクから出ると和美は胸を押さえて呟く。
「ちくしょう、まだ痛い」
「おい!大丈夫か!」
「うん?平気、平気。カプセルの治療は完璧だからな。だから、そんなに慌てないでよ、双葉」
「……心配させんな、馬鹿……」
「あー、うん。分かったから……その……いい加減服着よ?」
タンク――治癒カプセルから出てきた彼女たちは全裸……ではないが、例の黒い全身タイツ姿だった。
「……ああ」
「このタイツ、充分あったかいんだけどねぇ」
「こんな体にピッタリしたタイツ恥ずかしいだろ!いいから、麻奈も未来も服を着ろ!……針山先輩が上で待ってるはずだ。……お説教だろうなー」
「ま、先輩も大首領からお説教だけどね」
「はぁー。ビートルレディーが倒された以上、警察とかにかけてた洗脳もパァかぁ……」
夕日に染まる文化部棟。複合文化研究部の部室で、千恵はパソコンの乗った会議机に腰かけ、和美たちを見下ろす。和美はうなだれて答える。
「申し訳ないです」
「いや、仕方ないわよ。勝負は水物だしね。……でも、あの装甲を砕くとはね。自信作だったのに」
「宏子ちゃん、やると言ったらやりますからね~」
麻奈がのんきそうに答える。千恵は呆れたような視線を向け、ため息をつく。
「あんたねぇ……。まぁ、いいわ。それより、次の“怪人担当”はあなただけど、以前にデザインした奴をもう一回使うってことでいいかしら。次の作戦では別の怪人をメインに使おうと思うの。いいかしら」
「うん、おっけーだよ。いろいろ試してみたいこともあるしねー。どの子を使おっかなー」
「ま、後で考えなさい。……それより、大首領サマに今回の失敗を言い訳しないとね」
その時、入り口のドアがノックされる。千恵が「どうぞ」と返すと、優一が扉を恭しく開けた。千恵は机から降り、片膝をついて首を垂れる。
「……また失敗したのかえ?」
開けられた扉から入って来たのは金毛の猫――優一が屋上でエサをあげていた“ダイさん”であった。“ダイさん”――“大首領”は部屋を横切り、先ほどまで千恵が座っていた机によじ登った。猫のしなやかな跳躍ではなく、ナメクジを早回ししたような動き。
大首領は机の上から千恵たちを睥睨する。ガチャリ。優一が扉を閉める音が静かな室内に大きく響いた。
「それで……そなた、何か言い訳はあるかえ?」
「……いえ、すべて私の計算が甘かったせいです。申し訳ありません」
「フン、あれだけ大層な装甲作ってその様とはのぅ。戦果は何もなし。これでは話にならん」
「まあ、警察や市役所のシステムにバックドア仕込めましたし、それを活用するための新しいコンピューターも手に入りましたから、何の成果もなかったわけでは」
「黙りや!そなたにどれだけの技術を与えたと思うておる!この星の原始的な猿程度、即座に支配下に納めぬか!」
「あなたの星にとっては玩具にもならない程度の技術では?成果を焦るのなら、もっと強引なやり方を採れたはずです。そうしなかったということは早期侵略よりも現地の人々に無用の混乱を与えない方法が望ましいことは明白です。残念ながら、地球人にとってはなかなか難しい注文なので……」
「ええい!ぬけぬけと!そもそも、そなたが引き込んだ宏子とやらが裏切らねばこのようなことにはならなかったであろうが!さっさとあの女を始末せい!」
「努力はしておりますが、彼女は一筋縄ではいきません。捕獲の折には強力な戦力となるはずですので、しばしお待ちを……」
「そのセリフは聞き飽きたわ!さっさと奴の首級でもあげぬか!」
猫のような生物はヒステリックに叫ぶ。千恵は頭を下げつつも皮肉な笑みを隠さない。和美は猫を睨み付け、麻奈は表情を硬くする。未来は強気な表情の中に不安を浮かべる。
そんな中、優一の携帯電話が唸るように震えてメールの受信を知らせる。優一は小声で「すみません」と言いながら頭を下げ、メールを開く。
大首領と千恵の不毛な掛け合いが続く中、優一が大首領に声をかける。
「大首領様、大首領様」
「なんぞえ!?わらわは今、この阿呆に……」
「今晩のおかずはマグロの刺身だと母から連絡が」
猫のような生命体はピタリと固まる。しばし黙考した後、彼女は優一の腕に飛び乗った。
「まぁ、よい。今回は大目に見てやろう。……下僕、帰るぞえ」
優一は「かしこまりました」と言って大首領を抱えたまま退出していった。
バタンと扉の閉まる音を聞いて、千恵は肩の力を抜く。
「はー、やれやれ。今回も優一のやつに助け舟出されたわね。というよりも、うまい具合に魚料理を夕飯に出す、あいつの母親に感謝かな」
「……それより、次はどうするつもり?」
未来が尋ねる。
「さっきの口ぶりだと、なにか考えているみたいだけど」
「まぁね。宏子を倒して無力化するには戦闘スキルが必要。和美は申し分ないけど、宏子は和美を上回る速度で成長しているから、ちょっときつい。あなたは冷静さに欠いているのが難点だし、双葉は接近戦が苦手、麻奈はトリッキーだから上手くいっているときは圧倒的なんだけど、対策を立てられると弱い……ってのが私の見立て。
まぁ、だったら一度、他に戦闘力のある助っ人を呼ぼうと思ってね」
千恵がそう答えた時、部屋の扉が勢いよく開かれる。剣道部主将の九重茜である。
「よぅ!針山!あたしゃ覚悟完了だぜ!……で、なんなんだ、あたしを強くする「覚悟がいる方法」って?」
千恵は黙って扉を閉め、内鍵をかける。麻奈が何かを察したように顔をほころばせ、床下に降りるための扉を開ける。本来なら床下の配線などを手入れするために作られたそれは、大首領によって。例の培養タンクの並ぶ地下室に通じるように改造されていた。
茜の背後から千恵が声をかける。
「覚悟が決まったなら歓迎するわ。……ようこそネヒュガへ」
千恵の瞳が怪しく光った。
太陽が地平線から辛うじて顔を出している時刻。里田巡査は夕方のパトロールをしていた。
ここ数日の記憶があいまいなことは、彼にとって全く気にならなかった。彼はそのようなことを気にするほど繊細な神経は持ち合わせていなかったのである。
夕闇が迫る中、里田巡査は一人の少女とすれ違う。彼はその少女とどこかで会った気がした。
夜の闇が世界を覆おうとしていた。
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