第3話 開幕

Q.ひとけのない廊下で最新機種のスマホを拾いました。あなたはどうする?


アマギ・スガリ

回答——売る。

理由——足が付かないよう、バラすなり初期化するなりの処理をした後でね。


ハチカヅキ・フブ

回答——目立つ位置に置き直しておく。

理由——どこかに届けるのも面倒やしなぁ。これくらいが妥当なセンちゃうかな?





**





「やっぱり、無いなあ」


 Tシャツに短パンとラフな格好のシラベは、ベッドに寝転がって携帯の画面を睨んでいた。


「何がだい?」


 返事をするのはこちらも似たような格好のスガリ。十六畳の部屋を二つに分け合う、シラベのルームメイトである。アッシュグレーの髪を二本のボールペンで纏めて肩から垂らしている。

 スガリは今、机周りのセッティングをしているところだった。段ボール箱からモニターを取り出して机に置いたり。

 向こうのベッドの上では、王子様風ふれどーることシリウスが、鳥の雛風ふれどーることカイザーにちょっかいをかけている。撫で回されるカイザーはされるがまま。


「ミチルちゃんの名前が無い」


 シラベが見ていたのは、自分のクラス、一年五組メンバーの総獲得フレ数である。終業後に担任からそれぞれのアカウントに配布された。付記によれば、あの場でミラーを覗いた者は今後も自動で数字が反映される。数字の更新は二十四時ごと。

 シラベが気になっていたのは、そこにウツセ・ミチルの名前が載っていないことだった。


「へえ?」スガリはあくまで部屋作りを続けている。今は写真立てを置いているところ。「ミラーを覗いたつもりだったけど、反映されてなかった、とかかな? あのときはナギさんとカズラさんが目を引いていたから、担任も気付かなかったんだろうね」

「聞いてみよ」


 電話をかけたが繋がらず。


「部屋凸っちゃおっかなー」シラベはそう言ってから、なるほど、訪ねようと思えば簡単に訪ねられるのか、これが寮というやつか、と興奮してきた。バッと体を起こしてニコニコでスガリに言う。「凸っちゃおっかな!?」

「その必要はないだろ? もう、すぐにバーベキューなんだから」

「それもそっか」シラベはすんと落ち着いた。スガリが机の上に置いた写真立てを覗きに行く。「これは、弟さん?」


 五歳くらいのスガリと、男の子に見える赤ん坊のツーショットである。背後では父親らしき人物が大きな手でピース。公園に遊びにきた一幕といった感じ。


「撮ったのはお母さんかな?」

「当たり」スガリが目線を横に流したのは、ちょっと恥ずかしいと思っているのだろうか。「こう見えてホームシックになるタイプでね。この写真で対策ってこと」

「いいね」

「そっちの方は?」スガリが指し示したのはシラベの携帯だ。「ホーム画面が家族写真だろう?」

「ああ、これは……」


 点けて見せれば、幼いシラベを抱く母親である。


「いい写真だ。高いカメラで撮ったやつじゃないか?」

「そうだね」


 シラベは苦笑した。





 絨毯が柔らかい寮の廊下には「寮内でのフレアクトは校則違反!」という張り紙がある。

 シラベとスガリが廊下を歩いていると、前方から。スリッパの音がパタパタと。すぐに生徒が一人走ってくる。

 その女の子は入れ違ったところ、あっと声を上げて戻ってきた。


「きみ、きみ!」


 振り返って見れば、ものぐさな感じの女の子だった。肩にかけたタオルはいまにも滑り落ちそう。自信無さげにはにかんだ表情。黒髪だけはよく手入れされている。灰色の瞳。真昼の月のような――。


「調子はどう? 昨日はびっくりだったね」


 シラベは絶句した。


「よかった。元気そう」


 荒れる息に肩を揺らしながら、えへへと口の端を掻く、黒髪の彼女——ミツルギ・ヒルギは、シラベよりも背が低かった。155センチくらい。


 ——ヒルギさんが、目の前にいる……?


 シラベの脳が処理限界を迎えた。フリーズして宇宙に飛んでいく。


「あ、あれ? おーい」ヒルギがあわあわとしつつシラベの前で手を振る。

「ああえっと、この子なんですが」スガリが説明する。彼女自身も多少動揺しつつ。「もうミツルギさんにぞっこんでしてね。見ていただければ分かる通り、会話だなんて成り立たないくらいに」

「えっ、ええー……?」ヒルギは困惑を深めた。「ほんと、自分って、ほら、こんなふつうの人間だからさ。君たちの方が可愛いし……」


 シラベの足元のシリウス、スガリの腕の中のカイザーが、それぞれ必死な様子でアピールしている。二体がそれほどに興奮しているところを、シラベは他に見たことが無かった。


「あれ?」ヒルギはふれどーるに気付くと、一転、目の色を変えて鼻息を荒くした。「わっ! 可愛いふれどーるさんを連れてるね! わんちゃんだ!」ガバッとシリウスを抱き上げる。「おほおお柔らかいっ。むっふふふ、んぎゃわなふれどーるさんを吸っちゃおおおお……」


 ヒルギが後頭部に顔をうずめてグリグリと押し付けたならば、シリウスは噴水のような勢いでもってフレを吐き出した。身体をピクピクさせて脱力。


「ハッ!」シラベの意識が返ってきた。ひとえにジェラシーによって。わなわなと声を震わせる。「なっ、なっ……!!」


 シリウスをビシリと指差す。


「ワタシだってそれされたい!! ズルい!! ズルイなあシリウスくん!!?」

「そっちなのか」とスガリ。


 シリウスは一度はギクリとしたが、今回はいっそ笑って返したようにシラベには見えた。


「この裏切り者が!! 私の方がミツルギさんとお近づきになりたいのに!!」


 ヒルギはシリウスを廊下に下ろしつつ苦笑する。


「さん付けだなんて、なんか遠いな。気軽にヒルギ先輩って呼んで?」

「『先輩』……ですって……!?」シラベはよろめいた。「そんな馴れ馴れしい呼び方、畏れ多いですよ……」

「多くないよ!?」


 ヒルギはあっと思い出す。


「そうだ、包丁を取りにきたんだった。もう行かなくちゃ」


 そしてまた、えへへとはにかんだ。


「最後にお名前、聞かせてくれる?」

「お名前だなんて、畏れ多いですよ……」

「何がどう畏れ多いの!?」

「ワタシはアマギ・スガリです。ほらシラベも、あまり先輩を困らせるんじゃないよ」

「わ、私は……」シラベは恐る恐る言う。「マホロバ・シラベです」

「うん」ヒルギは一つ苦笑してから、シラベに微笑みかけた。「自分はミツルギ・ヒルギ。よろしくね」


 パラパラと軽く手を振って去っていった。去り際、最後に流した灰色の目線には、確かにあのときのアリスと同様のオーラがあった。途端に実感が身体を震わせる。


「……ヤバい体験しちゃった」

「普通にこの寮にいるんだね。そりゃあそうか」

「ね」


 二人は再び歩き出す。


「そういえば、呼び捨てなの?」なんとなく尋ねる。

「嫌だったかい? シラベ」

「ううん、嬉しい。よろしく、スガリちゃん」


 恥ずかしさを誤魔化すようにして、お互いに笑いかけた。





 寄宿舎の表、整然と手入れされた芝生の庭では、新入生歓迎会ということでバーベキュー会が開催されていた。アーチにはイルミネーション、芝生はランタンで飾り付けられている.

 割合と原始的な形のコンロが点在。桜の夜風に炭の匂い。意外にふつうの学校っぽい催しだとシラベは思った。様子を見るに、セッティングは上級生によるものらしい。

 下級生が──おおよそ百人の一年生が──揃ったのを確認して、上級生らが集まった。中心にはヒルギの姿がある。


「じゃあヒルギ、挨拶よろしく」一人がヒルギの肩を軽く叩いて言う。

「えっ、ええ!?」ヒルギはあわわと慌てる。「自分は昨日やったよ!?」

「もうセイラったら。ヒルギで遊ばないの」三人目がため息を吐いた。「からかってるだけよ。今日はセイラの担当じゃない」


 三年生が三人、やんやと言い合っている。それを外から眺める二年生が二十人ほど、それをさらに外から眺めているのが一年生。シラベは一番外縁のモブの一人。


「なにあの人たち」苛立ちに目を細める。「ヒルギ先輩との距離が近くない? 馴れ馴れしいんだけど」

「そりゃ同じ学年なんだから馴れ馴れしくて当然だろ……」とスガリ。


 実際のところシラベが苛立ったのは、ヒルギとの距離が先程に比べて離れたことに──その実際の距離を思い知ったことに──起因するのだが、この複雑な心理を言語化して人に伝えるのは、シラベには少々難しかった。

 芝生に集まったのは総計百三十人ほど。シラベは、まあまあの大人数だなあ、と思うと同時に、逆に、ほかの二年生や三年生は不参加なのだろうか、と疑問に思った。

 目を回せばミチルの姿が見つけられる。ルームメイトだろうか、誰かと話している。


「ミチルちゃん」声をかければ、あら、と微笑みを返す。

「こんばんは、シラベちゃん。スガリさん」

「そっちのは?」スガリが目をやるのはミチルの隣に立っていた女の子。「見たことないね。違うクラスだ」


 女の子はビシッと右手で敬礼をした。黒の左目。右目は前髪で完全に隠れている。


「拙はクルミと言うであります! リンドウ・クルミであります! 以後お見知りおきをお願いするであります!」


 短い黒髪の両側面にエクステを付ける。緑色の右側、銀色の左側のどちらも輪っかになるように結んでいた。それぞれ雫のような外縁を描いている。よく見たら右の方はエクステでは無かった。ぷらぷらとぶら下がる蛇──のふれどーるだ。間抜けな顔をして自分の尻尾を食んでいる。

 部屋割りは同じクラスの人間と同じになる法則だったはずだ。しかし同じクラスでないとなると……。


「ルームメイトですらないの?」シラベは首を傾げた。「それにしては仲良しなような」

「それも当然であります!」クルミは敬礼を下ろしたものの、ビシッと背を正したままだ。「なにせ拙とミチルはおさな──いっ」


 クルミは唐突に顔を歪めて自分の足元を見下ろした。シラベも見る。クルミは右足のスネを左のふくらはぎに当てていた──まるで誰かに蹴られて傷んでいるかのように。


「み、ミチルさんと拙は、入学以前からの知り合いなのであります」クルミは脇のミチルをチラと見てから──一瞬だけ、睨み付けて──表情を取り直した。「だから、少し話をしていたのであります」


 ミチルは依然としてクスクスと微笑んでいる。


「へえ……私はマホロバ・シラベ。よろしくね、クルミちゃん」


 笑いかけつつも、シラベはちょっとした不快感を覚えた。


 ──この子いま、ミチルちゃんのことを呼び捨てにしたよなあ……。


「シラベ? あれは聞かなくても?」スガリが提案するように手を上げる。部屋着の上に白衣を羽織って来たので、今日も今日とておばけみたいな萌え袖。

「あっそうだ」


 シラベはミチルがリストに登録されていない件を持ち出した。


「あら、そうでしたの。気付きませんでした」聞いたミチルはごく普通に驚く。扇で口元を隠しているから分かりづらいものの。「まあ、きっと、先生の方からまた催促があるでしょう」


 それだけ言葉を交わした後、ミチルとクルミは連れ立って人混みに消えた。


「シラベって」隣のスガリが言う。「独占欲強い方なんだね」

「えっ」シラベはハッと顔に手をやった。「表情に出てた!?」

「うん、ミチルさんに君より仲のいい人がいることを不快に思ってたね。全員の一番になんてなれはしないよ?」

「それは分かってるけど!」シラベは頭を抱えて天を仰いだ。「それはそれとして思っちゃうものじゃん!」

「困った子だ」スガリはやれやれと肩をすくめた。


 パン、パンと手が叩かれる。一年生たちが見れば、三年生の一人──セイラと呼ばれた彼女が、頭の横で、舞台監督のようにして、手を叩いていた。


「では、ご挨拶をば。みなさま、ご入学おめでとう。本日は心ばかりながら、歓迎の場を設けさせてもらったよ。──『ヨスガ』?」宙に向かって問い掛ければ、彼女の頭上にコウモリのふれどーるが現れた。それはバサリと翼を翻すと、まるでマジックのように一瞬のうちに、一本のステッキに変身した。


「では、〝アクション〟」そのステッキを前方に構え、両手で抓むように持つ。「〝ショータイム〟」


 まるで天井が降るように、夜空が大地を圧し潰した。

 光がない。ざわめきもない。暗闇の孤独。

 まるでただ一人隔離されたような。


 シラベの手が掴まれた——薄い袖越しに。

 見えないが隣にスガリはいるらしい。まるで女児に手を握られるような気分である。


 真っ暗闇に一筋、星が降ってきた。

 降って、降って、雨のように、雪のように、遂には拍手のように。万雷の喝采を奏でる金銀の粒子が滝のように流れ落ちる。

 目が慣れるにつれ、向こうに光を受ける一点があることにシラベは気付いた。まるで幕が開かれて、ステージに立つ人物が明らかになったよう。


 黒いマジシャンハットに赤いリボンタイ。翅のようなタキシードスカート。

 金髪にモノクルの彼女がステッキを振れば、星の雨は一転、時を止めて宙に浮かぶ光の粒と変じた。途端、視界が開けて元の芝生の広場に戻る。光の粒だけはそのまま、シラベの、スガリの、あるいは他の誰かの手元でパチパチと弾けていた。


「では」マジシャンはハットを翻して礼をした。「みなさま、お楽しみください」


 拍手と歓声が上がった。ふれどーるたちも姿を現してフレを送っている。

 シラベも拍手しようとして、まだ手を握られていたことに気付いた。


「あっ」と手を引くスガリ。「わ、悪いね」


 どこか恥ずかしそうに目を逸らす。


「スガリちゃん……」シラベはにまにまと口角を上げる。「暗いのが怖かったんだねえ……?」

「忘れてくれ」パラパラと袖を振るが女児の強がりにしか見えない。

「可愛いねえ……」ほっぺをもちもちとしにいく。「可愛いよおスガリちゃん!!」

「んむあああ」


 シラベはスガリを弄り倒した。





 人がひしめき交わり賑やかな、星もキラキラと弾けて楽しいバーベキューの最中、シラベは人型の羊——ではなくて、ミチルに声をかけられた。


「シラベちゃん」

「んっ? むむうむう。むむう」ほっぺがお肉でいっぱい。

「食べてからで構いませんわよ……?」ミチルはシラベのプラスチック皿に目をやる。焼き肉が山盛り。「たくさんお召しになられるのね」

「ん!」ごくりと飲み込みペロリと舐めとる。「こんなにたくさんのお肉、初めて食べたからね! お父さんたちにも食べさせてあげたいなあ」


「送って差し上げればよろしい」ミチルは昼間に配られたばかりの黒いカードを取り出した。「既にこのカードで買い物をしている生徒は多いですわよ」普段なら扇で隠しているところ、カードを唇の下の辺りにやって、少し向こうを見る。「わたくしの知り合いのクルミさんも、もうたいそうネットショッピングをしたそうです。百万円ほど」

「百万円!?」シラベはギョギョッとして腕を前方で交差させた。防衛本能。

「それでもこのカードの限度額にはまだまだ届きませんけれどね。毎月ちゃんと使い切らなければ勿体ない。わたくしたちの『特権』の一つなのですから」

「それはそうなんだろうけど……」シラベは、両手が空いていれば腕を組みたいところだった。「いきなりこんな大金を渡されちゃっても困るよね」


「そろそろ本題に」ミチルはきょろきょろとする。「スガリさんは?」


 シラベはいま、一人だった。


「ん? スガリちゃんはお手洗いに行くって言ってたっけ……」シラベは目の前のコンロに目をやって、具合がよさそうな肉を取り上げた。「でもそれも結構前だね。誰か他の子に声をかけて喋ってるのかも」続けて焼きおにぎりも食べちゃう。

「そうですか……いえ、しばらく姿が見えないな、と思って」ミチルは視線を落として、不敵に微笑んだ。「こんなに人がいれば誰が居なくなったかすぐには分からないし、近くに視界の通らない林もあるから、秘密の逢瀬などもできてしまいますね」

「逢瀬って。この学園に男の子はいないけど」

「女の子同士でもあり得るでしょう?」


「うそ」シラベは目を丸くして首を回す。「スガリちゃんが誰かに垂らし込まれてるってこと? わ……私、『こんなつまらない飲み会抜け出しちゃおうよ』の、置いていかれた方ってこと!? 私ってそっち側の人間だったんだ……!?」

「そのセリフを聞いてつまらない飲み会に置いていかれた人間もいることを想像するのが、そもそもちょっと面白いですわね……」


 ミチルはコホン、と咳をした。


「今晩はそろそろお開きのご様子ですから」


 辺りの人間はもうみんなお腹がいっぱいのようで、ほとんどが雑談にだけ興じている。ちょうど、また先ほどのマジシャンメルドルがハットから炎を拭き上げて注目を引き、終わりの挨拶を始めた。


「わたくしはもう戻ります。また明日、シラベちゃん」

「うん、また明日!」


 シラベに小さく手を振ったミチルは、すぐに宿舎の方には戻って行かなかった。目で追えばクルミと合流したので、やはり二人はかなり仲が良いのだろうとシラベは思った。





 バーベキューもお開きとなった、三時間後。

 シラベが寄宿舎の廊下を歩いていたところ、二人の人間が話しているところに──言い争っているところに──遭遇した。奇しくもその片方はシラベがこれから訪ねようと思っていた、寄宿舎の管理人である。


「──そうですか。ですがこの学園には門限もありませんから」と言うのが寮母。

「そんなことがありえますか!?」それに対して食ってかかっているのが、ピンクのネグリジェを着た女の子。細く長く、白より白く、見栄えのいい手足。かなり量のある赤髪をバンドで全て上げる。青と黒のオッドアイ。


 シラベは彼女がナノコリ・カズラだと気付いた。真面目な様子で何かを訴えている。


「人が一人いなくなってるんですよ!?」

「警察であっても二時間いなくなった程度では動きませんよ」

「でも捜索願いは出せますよね? 学校の立場で出していただきたい。これは妥当な要求だと思いますが? ボクから出したって構わないんですよ」


 一向に引かないカズラに、寮母は呆れたようなため息をついた。


「では、手続きはしましょう。ですが、どうせ──」寮母は彼女の部屋と思われる扉のノブに手をかける。「取り合われることはありません」

「それは」カズラはまだ興奮しつつも、どこか慎重に尋ねる。「『よくあること』だからですか?」

「分かっているじゃないですか」


 この寮母の言葉を受けたカズラは、一歩ドンと踏み込んで、怒りの形相で声を張り上げた。


「そっ……それと!! 筋を通す通さないは、別でしょう!?」

「それに加えて。もしも『犯人』が見つかったとして」寮母はカズラの激昂は無視した。「きっと相手には『特権』があります。無駄なんですよ。無駄」


 言って、寮母は部屋に戻ってしまう。残されたのは肩を揺らすカズラだけ。もう一度だけ床を強く踏みつけた。目には僅かながら涙が浮かんでいる。


 ──えっ、泣いてる……。


 怒るあまり泣いちゃったってこと?


「……なんですか」カズラはシラベに気付いていたようだ。泣き顔をシラベに向ける。


 うわ、向こうから声をかけさせちゃった。


「えっ……と。あの……」シラベは覗き込むようにして首を傾げた。「私で良ければ、話を聞こっか?」

「うっ……」カズラは少し揺らいだが、しかしふるふると頭を振った。「ありがとうございます、でも結構です」一つ深呼吸をしてから、改めてシラベを見る。「そちらももしや、ボクと同じですか?」

「同じ?」

「ルームメイトがいなくなったんでしょう」


 頷くと同時に──。


 シラベの背筋に、冷たいものが走った。


「あなたもなの?」


 シラベが寮母に相談しようとしていたこと。それはスガリが部屋に戻ってこないことだ。捜索願いを出してもらおうとまでは考えが及んでいなかったものの。

 いくら待っても戻ってこない。連絡も付かない。探しに出ても影すらない。

 バーベキューの人混みの中で、スガリが姿を消してしまった。

 それがスガリ一人のことならまだ楽観視できた。

 けれど、他の人も失踪しているなら──それは。

 事件だ。


「はい。そして……」明るい赤色の髪の女の子は、彼女自身のスマホを取り出した。黒と青の瞳でちらと見る。「十二時を越えましたね……」


 シラベも見た。時刻は二十四時と数分。


「見ましょうか。ボクら一年五組の、更新されたランキングを」





四月三日 一年五組 総獲得フレ数ランキング


一位【314】シジマ・ナギ

二位【305】ハチカヅキ・フブ

三位【299】ショウジョウ・ユワ

四位【292】ホンジョ・レンリ

五位【3】ナノコリ・カズラ





「ね、ねえ、ホントにやるの?」

「やるに決まっているでしょう!? 逆にあなたは、どうしてそんなに冷静でいられるんですか!」


 シラベの制止も聞かず、カズラは一室の扉をドンドンと激しく叩いた。少しして扉が開く。


「うるせえな」僅かに開いた扉から顔を覗かせたのは、藍色髪に眼力の強い女の子。「殺すぞ」シジマ・ナギである。

「聞かせてください!!」ナギの睨みも気に介さず、カズラは扉の縁に手をかけた。「一晩でフレを300稼ぐにはどうしたらいいんですか!? この、『300近辺』には一体なんの意味があるんですか!?」


 カズラの剣幕に、ナギすら少し臆した。とはいえすぐに鼻で笑う。


「ああ」相変わらずの、錆び崩れたガラガラ声で。「何人か死んだか。手が早いこった」

「じゃあ、やっぱり──」

「もういいな。オレは寝る──」

「──待って」


 口を挟んだのはシラベだ。


「何の話をしてるの?」


 その言葉は、半分の無垢と、半分の警戒で構成されていた。


「『死んだ』?」


 まるで、両親が離婚話をするリビングに紛れ込んでしまった子供のように。

 事情を理解はしていないが、嫌な気配だけは──自分も当事者であることは──感じ取っているかのように。


「何の話?」


 あるいは気付いていたのかもしれない。思い至ってはいるものの、そうと確定するまでは信じたくなかっただけ、なのかもしれない。


「だから、死んだんだよ」ナギが気だるげに言う。「殺されたんだ。邪魔だったからな」


 だってシラベだってその資料を目にしているのだ。彼女たちメルドルが国家から与えられている『特権』について。その一つについて。


「なんで?」


 その名は『対人危機管理権』。

 人を殺しても罪に問われない。


「なんでって? そのフレ数を見て分からないのか?」


 ナギは皮肉っぽく笑う。部屋の扉はもう開き切っていた。


「『300』は一晩で稼げる数字じゃねえ。人を殺さなきゃあな」

「なんで人を殺すと、フレが稼げるの?」

「おいおい」ナギはまた眉間にシワを寄せる。「聞いたら答えてくれるのは小学生までだぞ」

「噂程度ですが……聞いたことがあります」カズラが引き継いだ。「ふれどーるたちは、『人殺し』が好き、だと……」

「オレたちの目にはファンシーに映ってるわけだがな」ナギはハッと嘲るように笑ったが、その後、ゴホゴホと辛そうに咳き込んだ。「……ともかく。飯は食わねえ、寝ることもねえ、棒も穴も付いてねえ。そんな奴らにとって刺激的なコトなんて限られてんだろ──そう——『殺し』だ。殺害だ。ドラマチックで、スプラッターで、メルヘンな『殺し』にこそ、やつらは興奮すんだよ」


 ナギは自分の携帯を取り出し、ファイルを開いてリストを見た。その数字を見た。


「オレが保証しよう。『300』は人を殺したときに手に入るフレ数だ」


 未だに現実感のないシラベと、顔面蒼白のカズラに順に目をやり、馬鹿にしたように口角を上げる。


「三人。殺されたな」





 シラベは一人、部屋に戻った。

 月明かりに埃の浮かぶ青い部屋。


「死んだ……?」 


 状況は、なるほど、理屈の上では把握した。

 スガリは死んでいる可能性が高い、と。

 しかし、いかんせん突拍子が無さすぎる。


 ──現実味が無い。


 死ぬだとか殺すだとか。

 みんな冗談で言ってるならタチが悪い。

 だってありえない。人が死ぬとかありえない。


「まさかね……」


 だからシラベはその夜も眠気に任せてベッドに倒れることができた。





 眠りに落ちる直前、あるいは途中で起きて、いずれにせよまどろみの中、シラベはシリウスを見かけた。

 ほんのりと青みがかった暗闇の中、シリウスはスガリの机の上に座っている。

 スガリの映った写真——その写真立てに、両手を添えて、額を付けていた。


 ボタンの目は何も語らない。

 彼が何を考えているのか、シラベには分からなかった。


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