第5話 それでも、ここで生きていく


 公開弁論の翌朝。

 空がやけに高く、澄んで見えた。


「おはよう、レンジくん! 昨日のスピーチ、バズってたよ!」


 登校早々、声をかけてきたのは三年C組の“情報屋”こと松田歴記子(まつたれきし)。

 SNS中毒気味な彼女は、校内限定の裏アカで“事件”を実況中らしい。


「『異世界帰りの勇者が風紀委員長に宣戦布告』ってスレ、いいね1200超えたって」


「マジか……目立ちすぎ勇者、ここに爆誕だな」


「ふふ。しかも“アズ君ファンクラブ”が出来てるって噂もあるよ?」


「そっちかよ!」


 ちなみにアズ君は今、購買部で「今日の名言」をマグカップに印刷する企画に巻き込まれている。


>【今日の一言:ルールは破るより、疑え】──by アズ君


 ……これ、燃えないか心配なんだけど。


 教室の空気も、ほんの少し和らいでいた。

「勇者の人だ……」みたいな視線が、妙にこそばゆい。


「レンジ、席こっちだよ」


 其摩ことねが窓際を指差す。

 俺の机の上には、チョコパンが一つ──そっと置かれていた。


──言葉にならない、でも伝わる好意。


「……まだ戦いの途中だけど、こういう瞬間は、やっぱり嬉しいな」


「勇者もパンで回復するんだ?」


「HP200回復した」


 ことねが、くすっと笑った。

 この瞬間だけは、本気で思える。この世界に、帰ってきてよかった──と。




 放課後、図書室。


「弁論の余波、意外と大きかったみたい。風紀委員の中でも“共感した”って声があるって」


「おお、黒羽が全部抑え込んでるのかと思ってた」


「逆よ。あの人、“表向きは厳しいけど、裏では自由を守ってる”って噂もあるの」


「……それ、ラスボスの側近で、実は裏切りフラグ立ってるタイプじゃん」


 ことねが笑いながら首を振る。


「私は、あの人を敵だとは思ってない。むしろ、レンジに必要な“壁”なんじゃないかなって」


“壁”──か。


 異世界にもいた。倒さなきゃ進めない、でも倒すと見えるものがある。そういう強敵。


「うん。かもしれない」


 ことねが、ふと声を落とした。


「……それと、もうひとつ気になることがあるの」


「ん?」


「昨日の講堂。観覧席の一番奥に、ずっと立ってた子がいたの。何も持たずに、じっと」


「風紀委員じゃなかった?」


「ううん、見たことない顔。でも、存在感が妙で。“見てる”っていうより、“観察してる”って感じ」


 その言葉に、背筋を冷たい何かが這った。


 ──まだ、この学校には“表に出てないルール”がある。




 夜、自室。


 アズ君が、ぽつりとつぶやいた。


「レンジよ。“自由”とは、誰かから許されて得るものではない。……だが、忘れられている」


「でも、誰かに思い出させることはできるかもな」


「そうだ。勇者にできるのは、火種を灯すことだけだ」


 窓の外、星がにじんでいた。

 めんどくさくて、理不尽ばかりなこの世界。──それでも、ここで生きていこう。




 翌日、昼休み。


 中庭のベンチで、俺は“ダブルジャムパン”をかじっていた。

 購買部人気はアズ君の名札効果で急上昇中、名言つきパンが大ヒットらしい。


 >《知識とは、甘さと酸っぱさの間に宿る》──by アズ君


「……意味わからんけど、うまいから許す」


 そうつぶやいたところに、意外な人物が隣に座った。


「……お前が、伝師蓮司か」


 制服のボタンをきっちり留め、背筋を伸ばした男子生徒。

 目つきは鋭いが、落ち着いている。


「風紀委員?」


「いや。予備軍だ。柊サクヤ──来年度の委員長候補だ」


──また、やっかいそうなの来たな。


「昨日の弁論、見てた。“選ばない自由”とか、“意思で動け”とか。……危うい発言だった」


「俺は、割と普通のことを言ったつもりなんだけど」


「“普通”の基準を壊す。それが一番の反逆だ、この学校においてはな」


 サクヤの声は低く、だが揺るがない。


「俺は秩序を守るつもりだ。黒羽先輩の意志を継ぐ者として。……だが、昨日のお前には、少し揺さぶられた」


「え、俺の演説そんなに刺さった?」


「いや、刺さったのは、アズ君の名言のほうだけどな」


「そっちかよ!」


 ふっとサクヤが笑った気がした。

 が、その表情はすぐに真顔へ戻る。


「黒羽先輩も、お前の言葉に“何か”を感じていた。あの人、昔は“自由”を語っていたらしい」


「……え?」


「でも何かがあって、変わった。“校則を守る側”に立ち、自分を律するようになったんだ。まるで、自分自身を封じ込めるように」


 サクヤは立ち上がり、背を向けたまま言った。


「彼女が今でも“自由”を憎んでいないなら──お前の言葉は、まだ届くかもしれない」


 そして静かに去っていった。


 その夜。


 俺はアズ君に聞いた。


「なあ、黒羽って……敵なのかな?」


 アズ君はしばらく黙っていた。


「敵か味方か、それは人間の都合。だが、彼女は“自由を知ってしまった者の末路”かもしれぬ」


「……それ、どういう意味?」


「いつか、お前自身が知る。“自由を掲げた者”が、なぜ“規律を守る者”になるのか──をな」


 その言葉の重みに、なぜか胸がざわついた。


 翌日、図書室。

 返却棚の奥に、年代物の冊子が一冊──『生徒会だより(3年前)』。


 なんとなく手に取り、中をめくると、ページの一角に写っていた。


──眼鏡をかけた中学生の黒羽ヒカルが、笑っていた。


『校則に縛られず、皆がのびのび生きられる学校にしたい』


──そのコメントと一緒に。


「……この人、ほんとに変わったんだな」


 呟いた俺に、ことねがぽつりとつぶやく。


「……彼女、自由に傷ついたんじゃない?」


「え?」


「理想を語ったせいで、裏切られたとか、責められたとか……だから今は、誰よりも“ルール”にしがみついてるのかも」


 その言葉が、妙に胸に引っかかった。


 そして──

 講堂で“観察者”のように立っていたあの影を思い出す。


 まだ、全貌は見えていない。

 この学校には、もっと深い“ルール”がある。


 でも、たとえどんな理不尽が待っていても。


 俺はもう、逃げない。


 この場所で。

 この言葉で。

 この世界と、向き合っていく。


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