第55話「非才無能、終わらせる」

「ありえません、あっては、いけない」



 魔人が、人馬のごとき見た目から徐々に人型に戻っていく。

 馬の足が、身体を覆う金属が崩れていく。

 《刻界》は彼にとって核であった魔剣を断ち切った。

 魔剣が壊れ、ハーゲンティはすでに魔人としての形態を維持できなくなりつつあるのだ。

 すでに、彼の周りにあった茨や、操作していたゴーレムすらも同じように崩れている。

 ハーゲンティは、這いずりながら俺達から遠ざかろうとしている。

 逃げようとする姿さえも、醜悪で。

 悍ましい。

 ぶつぶつと、何事かを言いながら、這いずり回っている。



「美しいものは、美しいままであり続けなくては、ならないのです。お母様、例え、貴方が私を捨てても、忘れて、醜くなり果てても、私は忘れていない。だから、すべて、保存するのです。もう失われることも、奪われることもないように、しなければならないのです。だから私は――」

「もういいよ」



 狂人の妄言を遮って、声が、壁や床に反響する。

 それは、怒りを湛えていて、しかして凍えそうなほどに冷たい声音だった。



「どうでもいいんだ。お前の言葉なんて」



 ハーゲンティは四つん這いになったまま、後ろを振り返る。

 そこには、断罪者がいた。

 息も絶え絶えで、いつ倒れてもおかしくない。

 《刻界》の反動だ。

 時間を超える斬撃の代償として、俺の肉体は一時的に仮死状態になっていた。

 時間の流れから一時的に切り離された俺の体は呼吸も、脈も、酸素の循環も完全に停止し、《刻界》が終わると同時に再起動する。

 リップに、不完全な状態で使った際、倒れたのもこれが理由。

 静止した細胞が動き出す際のダメージが大きすぎたのだ。

 今この瞬間も同じ、倒れそうで、それでもそうできない理由がある。



「今日まで、お前は多くの人の日々を歪めた」

「き、貴様……」

「ハーゲンティ。お前の権能は、本当に何かを美しく保つために使われたのか?」

「……?」

「いたはずだぞ。お前のせいで苦しんで、苦しんで、本来の美しさを損なった人間が」



 ライラックのことを思いだす。

 プライドは高かったが、元々あそこまで苛烈な人間ではなかった。

 初恋の少女を救い出したくて、冒険者になるような。

 まっすぐで純粋な人間だったはずだ。

 そんな想いが、重石となって彼を歪めたのではなかったか。

 だから、俺は、彼のことを憎むことはできない。

 憎いのも、嫌いなのも、弱い自分と――元凶であるハーゲンティだけだ。



 何より。



「ルーチェ」



 俺に残された、たった一人の家族。

 両親を失っても、力がなくても、俺が世界に絶望せずにいられたのは彼女の存在があったからだ。

 俺の前では、どんなにつらいことがあっても笑顔を絶やさなかった、優しい自慢の妹。

 しかし、彼女の時間はもう十年間止まったままだ。

 ルーチェを目覚めさせるには、この狂人を殺すしかない。



「だから、お前はここで死ね」

「あ――」



 ただ一振り、それで終わりだった。

 魔剣を使うまでもなかったかもしれない。

 刃はあっさりと首を落とし。

 傷口からボロボロと、ハーゲンティの体が崩れていって。



「お――」



 最後に何を言おうとしたのかは、誰にもわからず、届かない。

 こうして、錬金魔人ハーゲンティは完全に消滅したのだった。


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