第4話 明日から新婚旅行で家空けるから

「ケイコ、明日から新婚旅行で家空けるから、あとよろしく」


 今夜も山本のバイクで家に送られて帰ったあたしは、居間で荷造りをしている母からそんな連絡事項を突然に告げられた。


「じゃあ、いってきまーす」

「じゃあね、ケイコちゃん。お土産買ってくるからね」


 翌朝、そう言って新婚夫婦が旅行に出て行った家に一人残ったあたしは、ぽっかりと気の抜けたぼんやりのままルーティン作業で学校へ行く準備をしていた。そこにスマホの着信音が「ピロン♪」と目覚ましのように鳴り、そのカナエからのメッセを見てあたしは本当に目を覚ました。


『昨日の夜、ケイコが男と二人乗りでバイク乗ってる動画流れてきたんだけど、マジ?』


 学校へ行くとあたしは二股女になっていて、「そいつ昔馴染みの男友達」と説明してカナエみたいに理解を示してくれる友達もいたけれど、そんな面白くもない話は疑惑の解消なんかには当然のようにならなくて噂は尾ひれはひれに拡散し、当然のようにそれは彼氏の耳にも入ることになり、ショウくんから昼休みの校舎裏に呼び出されたあたしは彼女の義務として彼氏に事情の説明をしなければならなくなった。


「昔、隣の家に住んでた幼馴染なのよ、そいつ。ちょっと会ったら夜だからって家まで送ってくれただけなの、その動画」


 真剣な顔であたしの説明を聞いているショウくんに、あたしは嘘はないけれど誠意もない自分の説明のズルさに嫌気を覚えた。だけれどどうしても怖かった。このまっすぐで純情に溢れたかわいい彼氏が、あの無愛想な山本のようにあたしを拒絶も救済もしようとせずにただ寄り添って、あたしを否定せずに受け入れてくれる姿がどうしても思い描けなかったからだ。

 けれど、そんな不信はあたしをまっすぐに見ている彼の目にはすぐに見抜かれる。


「僕が頼りないからですか? だから門限までしか僕はケーさんと付き合えない」

「そんな――」


 ショウくんのまっすぐな質問に、とっさの否定の言葉が喉の奥から出てこない。あたしの弱さが彼を傷つけているのはどうしようもない事実で、それを否定するなんて不誠実を通り越してただの卑劣に思えたからだ。


「――じゃあ、いいよ」

「え?」


 そう言われたショウくんが目を見開く。その反応のかわいらしさにあたしは苦笑しながら続きの台詞を口にする。


「今夜、親いないから。あたしの家、いいよ」


 これは卑劣じゃない。だけれど誠実とも言い難いと、言葉を口に出してからあたしは思った。



   ***



 母の新婚旅行と山本との関係がショウくんに知れたのが同じ日だった偶然に、こういうのもタイミングなのかなと思いながら、あたしはショウくんを家に招き入れた。


「珍しい?」


 ダイニングのイスに座らせたショウくんは年季の入った団地の古臭い間取りが珍しいのか、落ち着きなく部屋の四隅に視線をさまよわせている。


「あ、すいません。団地の部屋なんて初めて入るから、つい」


 ダイニングの隣の開きっぱなしのふすまの和室はテレビやコタツにホコリの積もった祖母の仏壇、キャビネット周りに適当に置かれたぬいぐるみや通販の段ボールなんかで雑な暮らしの生活感に溢れるリビング代わりに使っている六畳間で、その横の閉じられた襖の奥は母と義父の新婚夫婦の寝室だった。


「古いっしょ。築五十年」

「いえ、そんな、全然キレイです」


 あたしはペットボトルのお茶をコップに注ぎながら、ショウくんの絶妙にフォローになっていない感想に苦笑してしまった。ここに住んでいるあたしには絶対出てこない感想だ。今もあの新婚夫婦の愛の巣から、毎晩お盛んな情事の事後に漂う淫臭が漏れて来やしないかと気が気じゃなかった。


「はい、どーぞ」

「あ、いただきます」


 差し出されたお茶に口をつけるショウくんを横目に、むかいのイスに座りながらリモコンでテレビを点ける。夕方のニュースの賑やかな雑音を誤魔化しに流しながら、あたしは「さて、どうしよう」とこの期に及んでまだ悩んでいた。友達の家に泊まると親に嘘を吐いてここに来た彼の気持ちも、そんな彼を家に誘った意味も分かった上で、あたしは未だに覚悟の決まらない自分の情けなさにほとほと愛想を尽かしていた。


「それで……どーする?」


 だからこんな、相手に決めてもらおうなんて姑息な言葉を使い、


「……いいんですね?」


 そうテーブルに投げ出していたあたしの手を掴んで問い掛けてくるショウくんのまっすぐな瞳に、熱く伝わる手の熱に、このまま全部委ねて流されてしまえばいっそ楽になれるんじゃないかなんてズルい考えが頭をかすめて、身投げのような不実なうなずきを返したのだった。


「……優しくしてね」

「――はい」


 ショウくんが掴んだ手を引いてあたしを立ち上がらせる。

 腰に回る手。

 熱い抱擁。

 唇。

 そのまま覚悟もなにもないままに熱に流されて過ごした彼との夜は、彼が満たされれば満たされるほど、あたしはどこか冷たくなって、それを取り繕えば取り繕うほど、胸に氷が広がっていく気分になって、あたしは満足気に眠るショウくんのかわいい寝顔を横にしながら、かわいそうなことをしたという罪悪感を抱えて眠れないまま、夜明けのカーテンに薄明りが差していく様子を眺めたのだった。

 朝。

 あたしはなにも変わらずに、ただ罪だけが重くなった今日が来た。

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