8. 働きがいも経済成長も

 初めてメチルに会ったのは十歳ぐらいの時だ。ちようどコバルトとの婚約が成立したころである。

 わたしは母親に連れられて、マンガン侯爵夫人のお茶会に参加した。そこで紹介された四姉妹の末っ子が彼女だった。

 当時のメチルはオドオドした子供で、見るからにほかの姉妹からぞんざいに扱われていた。

 弱者は救済しなければならない、という意識があったわたしは、なるべくその可哀想な末っ子に声をかけるようにした。


 再会したのは一年後だ。

 そのときは別人のように自信あふれる堂々とした態度でおどろいた。ほかの姉妹とのヒエラルキーが逆転しているのだ。

 聞けばコバルトの弟の第四王子と婚約が成立したとのことだった。まさに肩書が人を作るという言葉を体現しているようだ。

 それ以来、第三王子の婚約者であるわたしと第四王子の婚約者であるメチルは、なにかと比較されるライバルとなった。


 このように彼女自身が劇的な性格変化を経験しているだけに、わたしの性格変化もすんなり信じたようだ。


「元気そうに見えるけど、意外と深刻な怪我だったのね」

 しげしげと頭の包帯を見ている。

 メチルに婚約者の悪口を吹き込んだのはである。本人に伝わることを期待してのことだ。


「あまり長々とお邪魔するのは悪いわね。これでおいとまするわ」

 メチルは立ち上がってドアにむかった。

 ノブに手をかける寸前、くるりと振り返り、


「せいぜいマリエ嬢に感謝することね。彼女が偶然通りがからなかったら、どうなっていたか分からないわ」

「偶然通りがかった?」

「そう聞いたけど、違ったかしら」

「……いえ、そうみたいね」

 わたしの答えを聞いて満足そうに去っていった。


 昨日も似たようなやり取りがあった。どうやら、わたしが勝手に階段を踏み外したことになっているらしい。

 おそらくマリエは自分がしゃがんだせいで落ちたと思っている。だからそれを隠しているのだ。

 もちろん直接的な原因はそうなのだが、根本的には突き落そうとしたわたしの自業自得である。

 しかしマリエは、わたしが後ろから迫っていた理由には気づいてないのだ。


 彼女はおそらく苦しんでいると思う。何とか慰めてやりたいが、もう会わせてもらう事はないだろう。

 そう考えると、わたしは深い孤独感にさいなまれた。

 マリエはこの世界で唯一の同郷人であり、近代的人権意識を共有し、旧約聖書からインターネットにいたる地球文化について語り合える、かけがいのない人間なのだ。


 以上のことを考えながら、昼まで保健室のベッドで横になっていた。

  そのあと、あらかじめ注文しておいたレバーソテーのサンドイッチで昼食をとった。

 保健医はいい顔をしなかったが、前世の知識でレバーに造血作用があることを知っている。

 すべて平らげてからシイの肩をかりて自室に戻った。


 午後からはひたすら各方面に手紙を書いた。書き上げる端からシイに渡し、飛脚に託してもらう。


「エコロ爺にまで手紙を書かれるのですか」

 宛名を見たシイが目を丸くした。


 エコロ・グリーンは先代から実家の庭師を務めている老人だ。

 我が家の生き字引のような存在で、家族や使用人からエコロ爺と呼ばれて親しまれている。


「用があるのは彼のお孫さんよ。噂によると王都近くのダンジョンで魔石採取人をやってるらしいの」

 魔石採取人は百年前までは冒険者と呼ばれていた。

 ダンジョンに自然発生するモンスターを仕留めて、体内にある魔石を回収する仕事である。


 ギルド制度が廃止されてからは、ダンジョンを所有する会社に雇われる従業員という立場になった。

 魔石には魔力をため込む性質がある。いわば魔力電池の役割があるので、魔法使いのあいだで重宝されている。


「お孫さんというと、例のグリーン兄弟ですか……」

 シイが渋い顔をするのは無理もない。彼らは穏やかなエコロ爺とは似ても似つかぬ乱暴者として、領地では有名だった。


 しかしわたしは、あの兄弟がひそかにビリティス家に対する忠誠心を持っていることを知ってる。

 エコロ爺に職場の確認が取れたら、ただちに護衛として彼らを引き抜こうと思うのだ。

 この先、わたしをめぐる情勢は悪化する可能性が高い。そのときに備えるためである。


 翌日から授業に復帰した。

 案の定、わたしを見る周囲の目は冷たいものになっていた。イジメの噂がすっかり広まっているのだ。


 休日のお茶会は目に見えて集まりが悪くなった。派閥のメンバーたちも周囲から煙たがられているようだ。

 とはいえ、腐っても公爵令嬢とその派閥なので、表立って対立する者は出てきていない。

 ただ関わりをさけて、黙って遠巻きに見ている感じである。

 このように不穏ではあるが、表面上は何も起こらないまま二週間が過ぎた。


 ある日の夜、わたしは寮の自室でヨガをやっていた。ヨガといっても、基本的なポーズをいくつか覚えてるだけだが。

 自室では出入りの仕立て屋に作らせたスウェットを着ている。

 タオル生地をそのまま裏地にしただけの簡単なものだが、案外着心地がよいのだ。

 すると窓の外から男の声が響いてきた。


「夜分失礼する! サスティナ嬢はご在室かな?」

 あわてて上着を羽織って窓を開けた。


「あら、シアン殿下じゃありませんか。こんな時間にどうされたんですか?」

 窓の下に立っていたのはこの国の第四王子であるシアン・ストロンテュームだった。


「さきほど生徒会室に匿名の投書が届いてな。マリエ嬢をイジメた理由にかんして驚くべき情報が書かれていた。その真偽を問いただすために、こうしてわざわざ来てやったのだ」

 彼らしい傲慢な物言いである。

 ともあれ、いよいよ来るべきものが来た。わたしの中に緊張感が高まっていった。

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