第35話 始動

 ミラベルの初めての顧客であるリリー・プリムローズは伯爵令嬢だった。学園を卒業してすぐに十五歳年上の伯爵家に嫁いでいる。貴族なら年の差のある婚姻はよくあるものの、十五も上ともなればやはり珍しい。


(卒業後のことだったし、私も自分のことで精一杯だったからよく知らなかったけれど普通の結婚ではなかったのでしょうね)


 通常結ばれる婚姻とは条件面で明らかに違う場合そこにはなにかしらの理由があるものだ。今回のように年齢差が大きいものも大抵そうだった。


 プリムローズ家は産業等で特別有名な家ではないが、その歴史は古い。しかし長く続いてきた家だからといって当主が必ずしも優秀とは限らず、当代の当主は方々に借金をしていたという。

 対して結婚した相手は少し前に子爵から伯爵へ陞爵した家だ。国への経済的な貢献を認められて陞爵を許されたものの、古くからの貴族家は新しく位の上がった者たちに対して好意的ではないことが多い。それだけ貴族社会は閉鎖的だった。


 ならば新しい家が認められるにはどうしたらいいのか。


 もちろん実力で受け入れられていくことが最も良い方法ではある。しかしそれには時間がかかる。結局のところ手っ取り早い方法として古い歴史を持つ家と婚姻を結ぶのが一番の近道といえた。

 類に漏れずプリムローズ家も経済的な援助を受ける対価として娘のリリーとの結婚を認めている。その結果彼女が婚家でどういった扱いをされようとも何も言うことはできないだろう。


(家のために犠牲になるのはいつでも女性なのよね)


 言ってみれば、彼女たちはお金と時間をかけて作られる家の財産のようなもの。その財産を一番価値の高いところで売りに出すのは彼らにしてみれば当然のことなのかもしれない。


(もちろん、すべての令嬢がそういった扱いをされるわけでもないし、逆に令息が必ずしも優遇されるわけでもないのだけれど)


 そんなことを思いながらミラベルはリリーの到着を待った。

 そしてほどなくして寮の入り口に馬車が姿を見せる。


「お待ちしていましたわ」


 鞄一つを手に馬車を降りたリリーに対してミラベルは笑顔で声をかける。


「今日からお世話になります」


 そう言って頭を下げたリリーは痩せており疲れた顔をしていたものの、ペリドット色の瞳には固い意思がうかがえた。

 本来は輝きをまとっていたであろうピンクゴールドの髪は手入れがされていないのかくすんでいる。身につけているドレスも伯爵夫人とは思えない質素なものだ。


(以前会った時も一昔前のようなドレスだったわね。荷物も鞄一つ……)


 ドレスこそそんなことはなかったが、自分自身も鞄一つでヒュラス邸を出て来たことをミラベルは思い出す。

 だからこそ、ミラベルは気を引き締めるように決意を新たにした。


(今日ここから始めるのよ)


 そう思いながら改めてリリーに声をかける。


「リリー嬢の部屋は三階になります」


 リリーの正式な立場は未だ伯爵夫人だ。なので本来であれば家名に『夫人』とつけて呼ばなければならない。しかしミラベルはあえてかつてのように名前に『嬢』をつけて呼んだ。

 

 ここに来た時点でリリーと今の家との縁は切れたのだと示すためにも。


「今はまだリリー嬢だけですが、貴族の方々が住む場所は三階ですわ。二階は平民の方々が、そして一階の食堂は身分に関係なく使用できるようになっています。もしそのことを気にされるのであれば気をつけていただくようにお願いいたしますね」


 階段を上がりながらミラベルは簡単に寮内を説明する。


「受け入れていただいているのは私の方ですもの。皆さんのお邪魔にならないように気をつけますわ」


 ミラベルが予想したように、リリーもまた自分の現状にとって平民と同じ寮というのは大きなことではないと言った。


「それよりも私は寮費を始め、諸経費をちゃんとお支払いできるかどうかの方が心配ですもの。以前お話ししたように、価値のある物は何も持って出ることはできませんでしたわ」


 たしかにリリーは装飾品を身につけておらず、鞄の中にもおそらく最低限の身の回りの物しか入っていないように思えた。しかしそれは打ち合わせをしていた段階からわかっていたことだ。


「ご心配なさらず。そのことは部屋についてからこれからの流れとともにもう一度説明いたしますわ」


 ミラベルがそこまで言ったところで、二人はちょうどリリーの部屋の前についたのだった。

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