第26話 リカルドの戸惑い Sideリカルド

 ミラベルと離婚してマリエッタを邸宅へと迎え入れたリカルドは浮かれていた。長年想い続けたマリエッタのいる毎日に想像以上の喜びを感じる。

 それに一度はルドヴィックを選んだマリエッタが結果としてその兄と別れ自分の元に来てくれた事実が自尊心をくすぐった。そもそもは家同士の婚約だったとはいえ、初めて兄に優ったような気がしたのだ。


「今日は一緒に出かけない?」


 そう言われてリカルドは書類に落としていた視線を上げる。執務室の入り口にマリエッタの姿が見えた。

 マリエッタは買い物が好きだ。商会に品物を持って来てもらうこともあるが、どちらかというと自ら街に出て店で商品を選ぶことを好む。リカルドの元に来てからもすでに何回も一緒に出かけていた。


 手に持っていたのは今日中に目を通しておきたい書類ではあったが、リカルドは一瞬考えた後に書類を片付けると立ち上がる。


「何を見に行きたいんだ?」

「今度伯爵家のお茶会へ招ばれたの。そのためのドレスとアクセサリーを見たいわ」


 笑顔で言いながら近寄ってくるとマリエッタは自然にリカルドの腕に手を添えた。当たり前のように寄り添う姿が嬉しい。


 つい最近ドレスもアクセサリーも新調したばかりということが一瞬頭をかすめたリカルドだったが、すぐにマリエッタの声に応えて執事へ馬車の用意を申しつける。華やかなマリエッタのドレス選びはリカルドにとっても楽しいひと時だ。かつてルドヴィックがマリエッタへドレスを贈る姿を見てどれだけ悔しかったことか。

 それを思えばいくらでも贈りたい思いが溢れてくる。


「ドレスショップに新しいデザインの物が入ったんですって。お友だちが私に似合うと思うって言ってくれたの」


 小鳥のさえずりのような軽やかな声を聞きながら、リカルドは玄関へと向ったのだった。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


 幸せな日々に影が差す小さな違和感は些細な時に現れた。


 マリエッタの買い物やお出かけにつき合い日中の時間が取られることが増えてから、リカルドは夜に仕事をこなすことが増えてきた。マリエッタに就寝の挨拶をした後に仕事をすることはやぶさかではないが、以前と比べて睡眠時間は短くなっている。


 不意に喉の渇きを覚えてリカルドは書類に滑らせていたペンの手を止めた。疲労を感じる目を閉じ、目頭を気持ち押さえる。


「……ふぅ……」


 無意識に出たため息が夜のしじまに消えた。


 使用人に飲み物を持ってくるように言いつけようとベルへと伸びた手が机の上に置かれた懐中時計を見て止まる。


「もうこんな時間か」


 使用人はそれが仕事だからたとえ夜遅くであろうとも主人の命令であれば従わなければならない。しかしリカルドは今まで比較的早めに休む生活時間で過ごしてきたから使用人たちもすでに休んでいるだろう。


 そしてふと思い出した。


 今までも忙しい時に夜遅くまで仕事をしたことはある。そういった時はいつもミラベルがハーブティーを入れて持って来てくれた。他にも仕事に集中するあまり寒さに気づかないような時は上着をかけてくれたり、根を詰めすぎる前にさりげなく声をかけたりと、リカルドが無理をすることのないように気を遣ってくれていたように思う。


「そういえば、執務室の花も最近は無いな」


 ぽつり、とこぼれた言葉を聞く者はいない。


 今では多くの書類が積まれた執務机の一角に以前は花が飾られていた。リカルドの視界を邪魔することのないささやかな花たちは、疲れて椅子に背を預けると癒すかのように目に入ったものだ。


 それに、思い返せば机の上の書類も積まれるよりも前にわかりやすいように分類されていた。早めに目を通して決済を済ませなければならない書類は上に、時間に猶予のある書類はその下かもしくは隣のトレーに。


 てっきり執事が簡単に振り分けてくれていたのかと思っていたが、彼は今も変わらずリカルドの仕事を手伝っているし、思えば書類によっては彼の管轄外のものも多い。


 では誰が仕分けていたのか。


「まさか、ミラベルが……?」


 それ以外にリカルドの仕事に手を出せる人はいないはずだ。


 今まで気づかなかった事実に思い至りリカルドは戸惑いを覚えた。予想外のことに驚いただけだ、そう思いながら心のどこかで『本当にそれだけだろうか?』という声がする。


 ミラベルからさり気なく示された気遣い。

 

 その事実に何とも言い表せない気持ちを感じながら、リカルドは夜を過ごしたのだった。

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