第20話 提案制度

「なるほど。この数字の根拠はこちらの資料なんですね」

「そうです。……たしかにこれがないと分かりにくいですね。資料として添付するべきでしたわ」

「いえ。今説明していただいたので大丈夫です」


 昨日提出した書類に関して担当者の疑問に答える。商会に入った当初は少し遠慮がちにしていた他の従業員たちとも二ヶ月も経てば気さくに話すことができるようになっていた。


「上にお客様がいらっしゃっているの。問題が無いようであれば戻っても?」

「もちろんです。来客中に呼び出してしまいすみません」

「不完全な書類を提出した私が悪いのよ。余計な手間をかけてしまい申し訳ないわ」


 そんな会話を交わしながら応接室へ戻るために階段の方へ移動していく。


「そうなの⁉︎ おめでとう!」


 そんなミラベルの耳に喜びに溢れた声が飛び込んできた。


「乗り合い馬車の改革案ねぇ。うんうん、良いところに目をつけたんじゃない?」

「自分が利用していて不便だなと思ったことを提案しただけよ。でも通るとは思っていなかったから嬉しいわ」


 声の主は商会の中でも若い女性従業員の二人だった。


「ああ、先日提案制度を利用したみたいですね」

「提案制度?」


 二人を見つめるミラベルの視線に気づいたのか、そばにいた先ほどの従業員が教えてくれる。


「アルバート商会には『提案制度』というものがあるんですよ。いつでも誰でも新しい計画を思いつけば発案することができる。しかもその内容を商会長が直々に見てくださるとあれば……どの社員もこぞって参加したがりますよね」


(なるほど。商会は常に新しいアイデアを求めているわ。アルバートは既存の考えには囚われないタイプだから、どんな提案であれ一度は考えてくれそうね。その上で仕事として成り立つと思えば後押しをしてくれる)


「しかも提案が通れば自分で担当できるんです。手当も付きますし、何よりも自分が考えた新しい仕事を進めていけるのは魅力的だと思いますよ」


 ニコニコと笑いながらそう続けた従業員に見送られ、ミラベルは階段を上がった。


(提案制度ね……。誰でも発案できるというのであれば私でも可能ということだわ)


 与えられた仕事をこなすだけではダメだとミラベルは感じていた。今の立場は言ってみればアルバートの温情のようなもの。胸を張ってアルバートの秘書だと言えるようになるにはそれなりの実績が必要だった。


 果たして何か提案できる計画はあるだろうか、そんなことを思いながら階段を上り切るとミラベルは応接室の扉をノックしようと手を上げる。と、同時にその扉が少し開いていることに気がついた。


(ああ、そうだわ。パメラと二人だけしかいないのだもの。閉め切ることはできないわね)


 二人の立場はかつての学友ではあるが公爵夫人と独身の侯爵家三男。アルバートとパメラ、そしてミラベルもそこに特別な感情が挟まるとは思わないが、世間体を考えれば疑われるような行動は慎むべきだ。

 そう思いながら上げたままの手でノックしようとして、ミラベルはパメラの声に動きを止める。


「ミラベルに婚約を申し込まないの?」


(……婚約?)


 突然耳に飛び込んできた思いもよらない言葉にミラベルは固まった。


「今このタイミングでか? 離婚したばかりのミラベルに?」

「そうよ。離婚後すぐに新しく婚約を結ぶことも珍しくはないでしょう? やっとミラベルが報われない恋心から解き放たれたのだもの。アルバートも自分の気持ちに正直になってもいいのではなくて?」


 盗み聞きなんてダメだと思いつつもミラベルはその場から動くことができなかった。少し開いた扉の隙間からは、先ほどまでと変わらず応接ソファに腰掛けたままのパメラと、扉の正面、彼女の右手側に置かれた執務机にもたれかかるアルバートが見える。


「これから口説くとは伝えたな」


 真剣に問いかけるパメラに対してアルバートはひょうひょうと答えた。


「まぁ! では婚約式はいつにするの?」

「口説くとは伝えたが、婚約は申し込んでいない」

「何ですって⁉︎ まさか曖昧な関係にしようだなんて思っていないでしょうね?」


 パメラの秀麗な眉根にキュッと皺が寄る。アルバートの返答次第によってはさらに非難する気持ちが表れていた。


「そんな訳ないだろう!」

「ではなぜ?」


 パメラにしてみれば男性が想いを伝えるというのは婚約すると同義なのだろう。その点は貴族らしいとも言える。たとえ政略結婚であっても、まるでそれが様式美だとでもいうように彼らは令嬢に跪いて婚約を申し込むのだから。


「今のミラベルに必要なのは婚約相手じゃない。それにミラベル自身もすぐにそんな相手を求めないと思うぞ」

「どういうこと?」

「ミラベルがずっとリカルド卿を想っていたことはパメラも知ってるだろう? 離婚したからといってその気持ちが無くなるわけじゃない」

「だからこそ、新しい相手が必要なのではなくて?」

「新しい相手よりも前に、ミラベルは自分自身の価値を知るべきだ」

「価値?」

「そうだ。何かできるから、言うことを聞くから、役に立つから、だから価値があるわけじゃないだろう?」


 アルバートの視線がミラベルが座っていたソファに注がれる。


「リカルド卿は自分の都合のためにミラベルを利用した」


 はっきりと告げられた言葉はミラベルも自覚していたことだ。それでも、アルバートの口から聞く事実は残酷にミラベルの胸を抉る。


「そのせいでミラベルは何か利用できる部分がなければ自分には価値がないと思い込んでいる」

「そんな……!」

「俺にとってはただ一緒にいてくれるだけでいいんだけどな」


 そう呟いたアルバートは切なそうに目を細めた。


「今ミラベルに婚約を申し込んでも断られるだけだ。それに、存在するだけで意味があるのだと、そう自分自身で思えなければミラベルが本当の意味で幸せになることはできないと思うんだよ」


(存在するだけで、意味がある……)


 アルバートが言った言葉が耳の奥に響く。そしてその言葉は、それからずっとミラベルの心に残ったのだった。

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