柿ピー文芸・掌編集

笹村平六

その一

【柿ピー文芸】つまみ小咄


『湯呑の底』


「おい、おまえ、湯呑の底、見たことあるか?」


小上がりに寝そべったまま、親父が唐突に言う。


「見たことくらいあるわな」


「いやいや、そうやない。ちゃんと、底に映るもん、見たことあるか? 湯が減って、そこに残る、わしらの影や。なーんもないようで、ちいさな世界が、ちゃんとそこにある。ほら、見てみ」


湯呑をくるりと回す親父の指が、なんだか少し震えていた。

湯はすでに冷めて、湯気もない。


けれど、そこには、俺の顔が映っていた。


なんでか知らんが、泣きそうになった。


「ふた口目くらいが、一番沁みるやろ? 人も、湯も、だいたいそういうもんや」


湯呑の底をのぞき込むたび、

あのときの親父の影が、ちょっとだけ湯気になって立ち上る――



その一・完


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