現在ベイローレル家の当主であるアッシュ・ベイローレル公爵は、両親を若くして亡くし、十五歳で当主の座に就いた。



 幼い頃から美しいものが好きだったアッシュ・ベイローレル公爵は、当主になってからその地位と財力にモノを言わせ、自分が「美しい」と思う物はどんなものでも収集するようになった。



 当主になってから十年の間に、彼が収集したものは数多い。



 宝石、絵画、骨董品。馬や樹木や船。時には出先で見かけた景色が美しかったからと、他人の領地の一部を買い取る事もあった。



 アッシュ・ベイローレルはそういう男だった。



 なのに。



—―帝国一の美女だと言われてるわたしをどうして手に入れようとしないのか分からない……!



 これまでわたしの美貌に惑わされなかった男はいない。



 男を誘惑して情報を聞き出し、情報が要とも言える事業をいくつも成功させ、没落寸前だった貧乏子爵リンデン家を盛り返して、現在いまのような裕福な家門にした。



 わたしが男を利用して、リンデン家は大抵のものを手に入れた。



 だけど爵位まではどうにもならなかった。



 だから「決して暴かれる事のない帝国の秘密」を知る為に、アッシュ・ベイローレル公爵に近付いて誘惑してるのに、アッシュ・ベイローレル公爵は帝国一の美女を手に入れようとしないどころか、わたしの誘惑にすら気付かない様子で、のらりくらりとわたしを交わした。



 自信があったのに。



 この美貌にも、アッシュ・ベイローレル公爵を落とす事にも!



 これまでの男たち同様、ちょっと気がある振りをすれば、貴重な情報をベラベラと話すと思ってたのに!



 なのに一年掛けて出せた成果と言えば、お互いを名前で呼ぶようになった社交界でのちょっとした知り合い程度……!



 腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ。



 でもそれも今日でお終いよ。



「如何ですか、アッシュ様。美しい風景画でしょう?」


「ええ、確かに。首都から離れた別荘に招待された時はどうしたものかと思いましたが、これほどまでに美しい絵画を見せて頂けたのですから来た甲斐がありました」


 全く興味のない風景画を、アッシュ・ベイローレル公爵が好きそうだからという理由だけで購入して、ようやく漕ぎ付けた「誰にも邪魔されないふたりきりの時間」を過ごせるこの機会に、「決して暴かれる事のない帝国の秘密」が何なのかを手に入れる。



 多少強引な手を使う羽目になるけど、これ以上無駄に時間を費やしたくはない。



「それで、カミーリア嬢。この絵画は売って頂けるのですよね?」


「もちろんです。応接室でワインでも飲みながらゆっくり値段の交渉などを致しましょう」


「ワイン……ですか?」


「ええ。もう日も暮れますし、お茶よりアルコールの方がいいかと思いまして。ワインはお嫌いですか?」


「嫌いな訳ではないのですが、僕は余り飲めない性質たちで」


「酔われたらどうぞこの別荘にお泊りください。いくつか客室もありますので。もちろんお茶の方がよろしければお茶を用意致します」


「いえ、せっかくのお誘いですのでワインを頂きます」


「では、応接室に参りましょう。使用人に軽食とワインを準備させますね」


「ありがとうございます」


 わたしを見て、アッシュ・ベイローレル公爵は柔らかく微笑んだ。



 美しいものが好きなアッシュ・ベイローレル公爵が「ナルシスト」と言われる理由が分かる。



 彼は、彼が収集している物の中で一番美しい。



 わたしのハジメテを捧げてもいいと思えるほどに。



 まあ、そんな事はしないのだけど。



「楽しい夜になりそうですね」


 そう微笑み返したわたしが何をしようとしてるのかアッシュ・ベイローレル公爵には想像も出来ないだろう。



 応接室に入ったあと渡されるワイングラスに「催眠薬」が塗ってあるなんて予想もしてないだろう。



 闇ルートで手に入れた「催眠薬」。



 その名の通り、口にすれば催眠術にかかったような状態になるらしい。



 その状態になれば、こちらの質問に答えさせるのも容易。



 この薬が「自白剤」と違うところは、飲んだあとの数時間の記憶が消える事。



 明日の朝、目覚めた時には自分が何を話したのか覚えてない。



—―ごめんなさいね。アッシュ・ベイローレル公爵。



 ほんの僅かな罪悪感と多大なる勝利の喜びが湧き上がってきた。

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