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 家に到着すると、心配する兄に、少し寝るからと声をかけて自分の部屋に引っ込んだ。


制服から着替えて、ベッドに寝転ぶ。

間宮先輩に会ってから、ずっと頭の中は混乱したままだ。


スマホを取り出して、キミボエについて調べてみるが、そんなゲームは見当たらなかった。そもそも恋愛ゲーム自体がこの世界には存在していないのだ。


そして、ゆっちゃん。

今のミチカとしての私はゆっちゃんに会ったことはない。肩より少し長いくらいのストレートヘア、一生懸命語りかけてくる声、あの人物がゆっちゃんだということはなぜか確信している。でも私はゆっちゃんのことはそれしか知らない。本名も年齢も私との関係も。


 間宮先輩、兄、キミボエ、そしてゆっちゃん。はっきりしているようで、そのじつ[■]ルビ]ぼんやりしたままの記憶だ。


私は目を閉じて、パズルを組み立てるように、途切れ途切れの過去の記憶をゆっくりと手繰り寄せる。

自分の身体がベッドに沈んでいくのを全身で感じながら、いつのまにか私は眠りに落ちていた。


 夢の中で、私は、どこかの狭い個室にいた。テレビ画面とマイク。カラオケボックスの一室かもしれない。眼の前にはピザとフライドポテトと飲物。そしてテーブルの向こうにはストレートヘアの若い女性。ゆっちゃんだ。


ゆっちゃんは、熱心に私に向かって語りかけていた。彼女が私の眼の前に突き出したスマホ画面には、間宮先輩と兄のツーショットが表示されている。先程保健室で見た場面とよく似た構図だ。ゆっちゃんはスマホ画面をスワイプさせ、間宮先輩と兄のいろんなツーショットを次々表示させていく。ゆっちゃんの顔は得意げだ。


私も彼女に向かって何かを話しかけると、カバンの中から大画面タブレットを取り出して、私のお気に入りの乙女ゲームのスチルを大画面に表示させた。そのでかいタブレット買ったの? と訊いてくるゆっちゃんに私が得意げに頷いて何かを言うと、ゆっちゃんは爆笑した。

そんなことがしばらく続いた後、急にドアの外が慌ただしくなった。走り回る音と叫び声。

室温が上がり、一つしかない入口ドアの隙間から煙が入ってくる。だめだ。これはヤバい。逃げないと、ゆっちゃん、早く、早く……


「逃げて!」


 自分の叫び声に驚いて目が覚めると、部屋の中は真っ暗だった。寝ているうちに夜になったらしいが、そんなことは全く気にならない。

汗だくで、呼吸が乱れて、自分の心臓の音がバクバクとうるさいくらい鳴っている。


そうだ、あのとき、私は死んだんだ。

そして、あのときゆっちゃんが話していたBLゲームの世界に転生したんだ。


 ドアが乱暴にノックをされ、私の返事を待たずに兄が入ってきた。

「チカ? どうした?」

廊下の明かりで逆光になり、兄の表情は見えないが、声から兄の心配そうな表情が簡単に想像できた。

「チカ? 叫び声が聞こえたけど何かあったの?」

ナブの声もする。学校帰りに家の前で別れたから、その後に家に来たんだろう。

部屋の入り口で中をうかがっている。兄妹同然とはいえ、女性の部屋にはみだらに入らないのがナブという人物だ。


「だ、大丈夫」

自分の声が震えているのに驚いて、思わず口に手を持っていこうとしたが、その手も震えていた。

「ちょっと嫌な夢を見ただけだから」


兄が部屋の明かりをつけた。

たぶん私の顔は真っ青だ。

兄が息を呑むのがわかった。


「大丈夫じゃないだろう」

いつものシスコンのふざけた兄とは違い、声に緊張感が走っている。


兄はナブにここを頼むと言うと、部屋の外に出ていった。

代わりにナブが「入るよ」と声をかけて私のすぐそばに来て、心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「顔、真っ青だよ。今日の貧血といい、何かあったの?」


「最近、ちょっと眠れなくて……」

本当のことを言うわけにもいかず、嘘をついた。

「僕じゃ頼りないかもしれないけど、何があってもチカの味方だから、相談してほしいな」

ナブが寂しそうに笑った。

それはよくわかっている。兄とナブは、本当のことを言ってもきっと信じてくれる。だからこそ言えない。

私が口ごもっていると、兄が濡らしたタオルを持って戻ってきた。


「ほら、汗を拭いて」

水で冷やされたタオルが気持ちいい。タオルに顔を埋めると震えが治まってきた。


「今ちょうど、ナブがゼリー作って持ってきてくれてたんだよ。食べるか?」

「貧血にはプルーンが良いってあったから、プルーンゼリー作ってきたよ。後からでも食べて」

「ううん、今食べる。ありがとう」


今度はナブがゼリーを取りに行く。

兄は私のそばに来て、私の額に手を当て熱を測る。

「熱はないようだけど……」

「大丈夫だって。さっきナブにも言ったけど、最近ちょっと寝不足で……」

兄は疑わしげな目を私に向ける。こういうとき、兄はとても鋭いのだ。


少しすると、ナブがお盆を持って戻ってきた。お盆には三つのゼリーが載っていた。

「とりあえず三つ持ってきたけど、チカが全部食べてもいいよ。まだあるから」

「一個で十分だよ。いつものようにみんなで食べよう」


小さい頃から三人のうちの誰かが病気をすると、残りの二人がお見舞いと称して突撃し、枕元でお見舞いの品をみんなで食べるのがいつものお決まりのパターンだ。


 ナブからゼリーを受け取る。

赤いプルーンゼリーの上にホイップクリームとミントの葉でデコレーションされている。

「ふふ、かわいい」思わず笑みがこぼれた。


そんな私の姿に安心したのか、ふたりともホッとしたような顔をしてゼリーを食べ始めた。

兄が一口食べると、驚いたように顔を上げた。

「これ、プルーンなの? 初めて食べたわ。ナブのスイーツはあいかわらず美味いな」

「僕も初めて作った」

ちゃんと作れるかヒヤヒヤしてた、と兄に褒められたナブは嬉しそうだ。


「心配しなくてもナブのスイーツはいつでもおいしいよ」

私が言うと、兄とナブが私を見て笑った。


 冷たいゼリーを体に入れると、だいぶ落ち着いた。

「ふたりともありがとう。もう大丈夫だから。また寝るね」


私がベッドに横たわるのを見て、ナブは、じゃあ僕は帰るよと、私の頭を優しくなでてから部屋を出ていった。

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