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 保健医が準備をしているのを待つ間、私は改めて兄の顔をまじまじと見た。次に兄を嬉しそうに羽交い締めにしたままの間宮先輩を見る。

すると、さっき頭の中に流れ込んだ映像と声がまた蘇ってきた。


先ほど脳内で響いた女性の声は、今度は姿も浮かんできた。

その女性は、肩より少し長い位のストレートヘアを振り乱して身振り手振りで私に向かって何かを語りかけてくる。やがてスマホを取り出して荒々しく操作をすると、その画面を見せつけるように私の眼前に晒した。画面には、男性二人のツーショット。兄と間宮先輩がスマホ画面に収まっていた。


「ゆっちゃんだ……」

その見たことがない女性が、ゆっちゃんであることをなぜか私はすぐに理解した。

私の頭の中がまた忙しく動き始めた。


「チカ?」


頭の中がフル稼働中だったために体の動きが止まっていたようで、心配する兄の声で現実に戻された。

兄の少し緑がかった瞳が心配そうに私に向けられる。


キミボエだ。兄が主人公だわ。小さい頃から見ていたから全然気づかなかった。


 保健医から体温計を渡されたので、もぞもぞと脇に挟む。

続いて問診を受けるが、兄たちが気になって気もそぞろだ。


間宮先輩は兄を私から引き離すという大義名分があるため、必要以上にくっついている。二人のツーショットはかつて友人のゆっちゃんに見せられたスチルにそっくりだ。


あ、これやっぱりキミボエだ。間違いない。


というか、間宮先輩、もしかして兄のこと好きなんじゃね?

兄、もしかして、攻略対象を攻略済みなんじゃね?


ゆっちゃんは間宮先輩推しだったから、彼女の話は間宮先輩のことばかりだった。なので、私はキミボエの攻略対象者は彼しか知らない。

もしかして、兄の周りにはすでに攻略対象者が集まっているんだろうか。


そうだよなあ、この私がイケメンに惚れられるなんてあるわけないわなー、と遠い目をしていると、保健室のドアがノックされた。


「翔太、すごい勢いで走っていったけどどうした?」

とドアが開くと聞き慣れない声がした。


 皆が振り返るとそこにいたのは、浅黒い肌をしたワイルド系のイケメン。

「チカが倒れたって聞いて」

兄が説明をすると、そのイケメンは私の方を見て挨拶をするように手を上げた。

「ちっす。俺、翔太の友達の折原。君が噂のチカちゃんか、かわいいね」


噂とは? という疑問が頭に浮かんだが、それには触れずに、私は、はじめましてと頭をペコリと下げた。

ちなみに、この手の人の言うかわいいは、挨拶のようなものであることを私はちゃんと知っている。


 折原先輩も学校の有名人だ。間宮先輩とは正反対のタイプの、チャラい系のイケメン。

女性関係も派手で、いわゆる一軍女子と評される美しい女子生徒たちを周囲に侍らせている。もちろん私は対象外だ。

兄から話を聞いたことがなかったので、友人だったとは知らなかった。


 私に軽薄そうに手を振る折原先輩に、兄はすごく嫌そうな顔をする。

「うわー。だからお前には会わせたくなかったんだよ! ミチカだ。ミチカ。チカなんて呼ぶのは百年早えー」

兄のとんでもない発言に、思わずヒッと声が出た。


「お兄ちゃん恥ずかしいからやめて……。すみません。好きに呼んでくれていいので」

「こんなシスコン兄を持って、妹ちゃんも苦労するねぇ」

ペコペコと頭を下げる私に、折原先輩は、気にする風もなくカラカラと笑うと、無言で間宮先輩の手をはねのけ、兄を自分の方に寄せた。そのときに間宮先輩を軽く睨みつける。


おやおや? もしかしてこれは?


 ピピと挟んでいた体温計が鳴ったので、私は保健医に手渡した。

「熱はないね。顔色もだいぶ良くなったし、たぶん貧血だね。大丈夫だと思うけど今日はもう帰りなさい」

保健医はそう言って、保健室から出ていった。


 兄は、折原先輩の手から強引に抜け出すと、私のそばに来る。

「じゃあ、今日は俺と一緒に帰ろう。部活は休むから」

「一人で帰れるから部活に行っていいよ。もうなんともないし」

「途中でまた倒れたらどうするんだよ」

「ただの貧血だって。保健の先生も大丈夫って言ってたじゃない」


二人で言い争っていると、また保健室のドアがノックされ、二人の男の子が入ってきた。


「あれ、菜月とナブ、二人は友達だったのか?」

兄が意外というような顔で二人を見た。


「保健室の前でたまたま会ったんだよ。翔くんがチカチカ叫びながら走ってたから何かあったのかと思って」

私達兄妹の幼馴染、桜野学、通称ナブが心配そうな目線を私に移して答えた。


「ナブ、ごめんね。ちょっと貧血を起こしただけだから大したことないよ。もうなんともないし。お兄ちゃんが大げさなのよ」

チカチカ叫びながら走っていた、という言葉に引っかかったけど聞かなかったことにして私が答える。


「俺は、サッカー部の部長に頼まれて先輩を探していたんです。遠征の承諾書まだ出してないでしょう?」

ナブの隣に立つ菜月くんが無表情で答えた。菜月くんは私と同じクラス。小柄ながら整った顔立ちをしていて、イケメンというより美少年といったほうがピッタリの容姿だ。


兄が思い出したようにポケットに手をやった。

「あ、そうだ。書類を取りに教室に戻っている最中だったの忘れてた」

部長に対して失礼なことをのたまった。


そういえば菜月くんは兄と同じサッカー部に所属しているんだっけ。期待の大型新人が入部してきたと兄が喜んでいたのを思い出した。


兄がポケットからグチャグチャになった承諾書を出すと、その場にいた全員が顔をしかめた。

「お兄ちゃん……、提出書類は大切に扱いなよ」

私が苦々しげに言うと、兄は慌てたように

「違う、ちゃんときれいにカバンに入れてたんだって! だけどチカが倒れたって聞いて思わずポッケに突っ込んで……」

だんだん語尾が小さくなり、やがて兄はぐちゃぐちゃの書類を保健室の側机に広げると、手でシワを伸ばし始めた。


兄はいわゆる子犬系だ。今、がんばって書類をきれいに戻そうとしている頭には垂れた耳が見える。


ぷっと私が思わず吹き出すと、折原先輩が、全然直んねーじゃねーかと、楽しそうに声をあげた。

「うるせえよ。破けてないだけマシだろ」

と謎の反論をして、ヨレヨレのその紙を菜月くんに手渡した。


「悪いけど、コレ部長に渡して。俺、チカが心配だから今日は部活を休んで帰る。部長にそう伝えて」顔の前で両手を合わせ上目遣いで、お願いというふうなポーズをすると、菜月くんは頬を染めて了承した。


おやおやおや? これももしかして?


「妹さんを送るのに一人で大丈夫か? 俺も一緒に送ろうか」間宮先輩が言うと、折原先輩が

「先輩は生徒会で忙しいでしょう。俺が送りますよ」と牽制する。

二人が軽くにらみ合うと、その間にナブが入った。


「いえ、僕が一緒に帰ります。僕は二人の家の近所ですから」

「そうだな、じゃあナブ、頼むよ」と兄が言うとナブは嬉しそうに頷いた。


おやおやおやおや? これももしかして?


私は気づいてしまった。もしかしてここにいる全員、攻略対象なのでは? そしてみんなもう兄に陥落されているのでは?


 兄を前にしてうれしそうに頬を染める攻略対象者を見て、私は、自分がイケメンに惚れられた、という恥ずかしすぎる妄想を一瞬でもしてしまったことを思い出し、一人別の理由で頬を染めた。

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