第3話

 放課後を迎える。

 教室の空気は弛緩し、全体的に声のトーンが一つ高くなり、明るくなったように思える。ある者はイヤホンをして教室から飛び出し、ある者は複数人集まってゆっくりと教室を出ていく。

 一軍女子は教室の中央を陣取っておしゃべりタイム。キャッキャウフフ……なんて可愛い声は出さない。ギャハハと汚い笑い声を上げていた。下品。もちろんその中に鈴木もいるのだが、鈴木は一応そういう下品な笑い方はしない。まあああいう面子と絡んでいる時点で上品さはどこにもないのだが。


 一瞬目が合った。


 「桜〜?」


 一軍女子の一人が鈴木に声をかける。鈴木の視線を追いかけた一軍女子とも目が合う。

 鈴木と目が合うのはいいんだけど、一軍女子と目が合うのはあまりいい気にならない。

 なのですっと目を逸らす。


 こそこそと一軍女子は鈴木を含めて話を始める。


 私は当然のように聞き耳を立てた。

 彼女たちのやり取りはぜんぶ聞こえない。意図して声を小さくし、囁くように会話しているのだから当然なのだが。それでも聞き耳を立てているので、所々聞き取ることのできる部分はあった。例えば「やめたら」とか「ばらすなら早い方がいい」とかそういう会話。摘み摘みなので確信は得られないが、概ね私との関係のことを話し合っているのだろうと推測はできたし、確信に近い自信もあった。


 一軍女子を困らせる、という目的は既に達成したと言っていいのかもしれない。

 だがしかし、面白さはそこまでない。もっと心の奥底から沸き立つような感情が芽生えるかなと思っていたのだが。

 そういうのはなかった。凪である。

 ただ淡々と物事が過ぎていっただけ。まるでそんな。

 満足とは程遠い。


 手のひらで転がし、楽しんだらもういいかなって思うけど。今、この関係を解消されるのは一番面白くない。ここは一つ芝居を打つか。


 私は意を決し、立ち上がった。ごほんとわざとらしい咳払いをする。そうすることで一軍女子のこそこそとした話し合いはぴたりと止んで、全視線を私に向ける。一気に視線を受けて全身に緊張が駆け巡る。こうやって視線を集めるのは慣れていない。


 「鈴木さんっ」


 鈴木を呼ぶ。それだけなのに声が裏返った。まるで楽器みたいに高い音が出る。恥ずかしさで茹でられるような感覚に陥る。そしてこれだけで裏返って恥ずかしくなるのめっちゃ陰キャ過ぎるなって悲しくなる。


 「一緒に帰ろ」


 視線を浴び続ける中、私はそう声をかける。鈴木は驚くような表情を浮かべていた。さっきの約束を破っているわけじゃない。一緒に帰るくらいは付き合っていようが、いまいがすること。

 鈴木はきっと今色んな感情が巡っていることだろう。

 断れないけど断りたい。断らなかったら周りにどんな目で見られるかわからない。嫌だ、怖い、だるい。そういう負の感情がぐるぐると。

 クラスカースト頂点に君臨する鈴木をここまで翻弄し葛藤させている。その事実に興奮してきた。これだけでご飯三杯いけるかもしれない。


 「……うん、そうだね。帰ろっか」


 悩み、悩み、悩み。そして折れた。

 ここまで悩むと一軍女子たちの目も怪訝なものにはならない。大変そうだなあみたいな目線を鈴木へ向けている。


 こうして、私たちは教室を出る。二人っきりで。


 鈴木が隣にいる。二人で廊下を歩く。帰り道を共にする。

 少し前までは考えられないような状況がここにはある。水と油。決して混じり合わない二人が混ざり合っている。我ながら不自然すぎるこの状況に違和感というか気持ち悪さみたいなものがあった。


 てか、え、どうしよう。

 話すこと何もないんだが。


 嘘告白という細く脆い糸で繋がった私たち。お互いにお互いのことを知らない。好きな食べ物も趣味もどこに住んでいるのかも。なにも知らない。話せる話題なんてないに等しかった。

 だから沈黙が生じる。

 どこに人の目があるかわからない場所にいるのも相俟って、この関係に関することもとやかく言えない。嘘告白の件もそうだし、秘密にしようって件もそう。どっちにしろ話せない。


 こつんこつんと足音だけが響く。

 気まずくて、一緒に帰ろうとか目先の面白さだけで提案したことを私は酷く後悔した。


◆◇◆◇◆◇


 昇降口を抜けて、校門を通る。学校の敷地外。細めの歩道へと足を踏み出す。


 「山本はどっち?」

 「私あっち」

 「おー、同じだ」


 家の方角を指差す。すると、鈴木はなんともいえないトーンでそんな返事をする。

 私たちはまた歩き出す。せっかく生まれた会話もそれだ終わりまた沈黙が生まれる。

 足音に加えて、自動車の排気音が聞こえ始める。とはいえ、会話が途切れたのは事実。話し出しにくい。そもそも会話のネタがないのだが。


 「鈴木さん」

 「山本」


 このまま沈黙が続くのは耐えられないと思って名前を呼ぶ。ちょうどのタイミングで鈴木は私のことを呼んだ。足を止め、顔を見合せ、くすくすと笑う。

 いいタイミングと言うべきか、最悪すぎるタイミングと言うべきか。ここまでくるとよくわかんなくなる。


 「山本、先いいよ」

 「いや、こっちこそ。鈴木さんが先に」

 「大したことじゃないから」

 「それはこっちも同じだよ」


 譲り合いが発生した。

 相手のことを遮ってまで話すようなことではない。なのでこちらは譲りまくる。

 どうぞどうぞ、と譲っていると鈴木は埒が明かないと思ったのか、苦笑気味な笑みを浮かべてから「じゃあ、先に」と口を開く。


 「家はどっちの方? 歩き? それとも電車?」


 たしかに譲ってもいいなって内容だった。ただ全く不要な話でもない。こうやって一緒に帰る以上、相手がどこへ向かうのかというのは知っておかなきゃならない。早かれ遅かれする必要のある会話であった。


 「私は電車。鈴木さんは?」

 「そっか。私は歩きだ。じゃあ、一緒なのは駅までだね」


 駅まで着いてきてくれるんだ。適当な場所で解散、でもいいのに。


 「それで山本は? なに話そうとしてたの?」


 目的地が定まり、また歩き始める。

 今度は歩きながらの会話。


 「私たち付き合ってるわけだし、手とか繋ごうかなって」


 嫌がらせ目的の提案だ。ついでに沈黙を埋められればいいかなと思ったのもある。

 どうせ「それはまだ早いよ」みたいな言葉で拒否されるのがオチだろうと、計算している。なので本当に繋ぐ気はないし、仮に繋ぐことになったら私が困る。

 周りに見られるのは面倒だし。そしてそれは鈴木だって同じはず。

 そう思っていたのに。


 「いいよ。繋ごうか。手」


 鈴木は少しだけ悩んだが、わりと早めに頷いた。そして驚く隙すら与えずに私の手をとった。宙ぶらりんだった私の手を奪うように握った。手を繋いだ。

 遊ぶつもりが遊ばれた。どこまでそのつもりがあったのかは知らないけど、完全にカウンターされた。それは紛うことなき事実。やられた。完全にやられた。


 今回は私の負けだ。


 なんて思いながら、手を繋ぎ、駅まで歩いたのだった。

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