無意識に出た言葉は責任を持つべし

 土日を挟み、月曜日の朝。

 心が晴々するような天気のなか、歩いているとふと見知った姿を見つけた。

 あの後ろ姿は……。

「小幡さん、おはようございます」

「小山内さんでしたか。おぱようございます」

 は?

 驚きすぎて周りを見渡すが、幸いなことに人がいなくてほっと胸を撫で下ろした。

「なんですかその挨拶……。絶対にやめた方がいいですよ」

 月曜日の朝から、とんでもない衝撃に完全に目が覚めた。

 土日を挟んだとしても、リセットというわけにはいかなかったようだ。

 今週が始まったばかりなのに、出鼻をくじかれた気分で。なんだおぱようございますって……。私の人生で一度も聞いたことがないし。

「大丈夫ですよ。小山内さんにしか言いませんから安心してください」

 ちょいちょい。違うの。違うんだよ。大丈夫ですよでも安心でもなんでもないんだよ。大事だからもう一回言うけど違うんだよ。

 いや、待てよ。えっ……もしかしておっぱい仲間だと思われてる。金曜日に話を聞いただけでおっぱい同盟の仲間入り。いえーいドンドンパフパフってわけじゃないんだよ。何度も言うけど違うんだよ。

「いや、私にもしないで下さい」

「えっ?」

 なんでですか、みたいな表情で見るのやめてもらえませんか。なんか罪悪感が湧くんですが。本当にその表情やめてもらえませんかね。それでも言葉にしない分、その思いは小幡さんに伝わるわけもなく。

 そんな状況に溜め息を吐き出しながら、自分達が所属している部署に着いた。

「おはようございます。お二人が一緒なんて珍しい組み合わせですね」

 朝から、元気のいい後輩が目をキラキラとさせて言ってくる。年齢なんて関係ないよ、なんて思うときもあるけど若さって凄い。そして知らないって偉大。

「おはよう」

 後輩と挨拶をして自席についた。

 私らが一緒の理由は言わない。余計なことは言わないに限る。

 後輩はというと小幡さんにも積極的に話して挨拶をしていた。

「おぱようございます」

 ばっ、おっとあっぶねぇ。お口が悪くなるとこだった。

「あ、あー、あのさ、今日の仕事で急ぎのやつってあったかわかる?」

 平静を装いつつ後輩に聞く。内心ただ事ではない。

 小幡さんの挨拶で、後輩も一瞬きょとんとしていたが、すぐさま私に気を向けてくれたお陰で何事もなかったように終わった。あと、急ぎの仕事もなく後輩は自分の席に戻っていく姿を優しく見送る。


 危なかった。


 そもそも、あの小幡さんからおっぱいの単語が出るとは誰も思わないだろう。なんなら、私が慌てる必要も無い。

 しかも、ついさっきだ。ついさっき、私にしか言わないと言いつつ既にカマしている時点で少しだけ殺意が湧いた。

 小幡さんは一体何を考えているのか。この数分で心臓縮んだ気もする。って、心臓縮むってなんだ。寿命だろ。言い間違えたのも全て小幡さんのせいだ。

 月曜日の朝から、かなりの体力を消耗してしまった。

 疲れたけど、それでもやるべき事はあるわけで。ひたすら仕事に追われに追われ、少し遅めの昼食を取りに食堂に行く。手にした食事を持ちつつ空いている席を探していると、とある一角に小幡さんとグラマラスで有名な先輩がいた。

 もはや、嫌な予感しかしない。

 近寄りたくない。関わりたくないなと思うときほど、巻き込まれるフラグが立つのは必須になっているように思う。

「あらぁ、小山内ちゃん久し振り」

 グラマラスで有名な先輩こと小山さんは、語尾にハートが付きそうな挨拶をしてくる。

 久し振り。そう、久し振りなのだ。

 小山さんとは少しだけ仕事の都合上で関わりがあった。ただそれだけ。

 私はそれだけだけど、小幡さんはなんの繋がりかは知らない。

 ここで、好奇心を出したら前回みたいになってしまう。グッと好奇心を飲み込んで、足早にその場から立ち去ろうと決意した。

「ご無沙汰してます。それでは、」

「一緒にご飯でもどう? 小山内ちゃんも今からよね?」

 ぐはっ……。失礼しますっていう前に先手を打たれた。一緒はなんか嫌だ。私は一人で食べたい。お願い。小山さんも気付いて。小幡さんと先輩で楽しそうに話してたじゃん。

 ちらり、と小幡さんを見ると目が合った。頼む。小幡さんでもいい。見逃して。

「小山内さんがいれば楽しそうですね」

「でしょー。小幡さんも小山内さんの魅力がわかってるのね」

 いやいや、“も”ってなんだ。おかしいでしょ。いや、私がおかしいのか。

 えっ、まさか先輩も小幡さんと同族じゃない、よね。いや、違うよね。怖くて聞けねぇ。聞いて「うん、そうよ」なんて言われた日にはダメージが大きい気しかしない。

 頭を軽く振り、思考を逃がす。

 そんな私をよそに、あれよあれよという間に三人でテーブルを囲っての昼食となった。

「小山内ちゃん。なかなかうちの部署に来てくれないから今度指名しちゃおうかなって思ってたの。小山内ちゃんがいると痒いところに手が届く仕事してくれるし。どう? うちのところに異動してくれない?」

「いや、それはちょっと」

「小山内さんいなくなったら、うちの部署が死にますので駄目ですね」

「そうなのね……。小幡さんにまで言われたら今日のところは諦めてあげる」

 なにこの構図。誰一人タイプが合っていない三人が集まってるんですが。

 誰でもいいから来て。ここに来て。愛想笑いで会話を回避しつつご飯を一生懸命食べていく。

 二人の会話と顔を盗み見ているとふとした違和感を覚えた。

 おい、小幡さんや……。

 ヤツは小山さんの目を見て話していなかった。おっぱいを見て話してるではないか。

 眼鏡で視線がわかりづらい時もあるけどバレてるぞ。ガン見しているのがバレてるぞ。

「小幡さん、私になにかついてる?」

 視線が合わないからだろう。小山さんが小幡さんに聞いている。小幡さんはというといつも通りだった。表情に出る人では無いし、読み取れないと言った方が正しいのかもしれないが。

「小山さんのおっ」

「おぉぉぉぉ顔に、ソースが付いてるので取ってもいいですか?」

「あらあら。恥ずかしい。小山内ちゃん、ありがとう」

 あっぶねぇ……。この女、なんて言おうとしやがった。

 ダメだよ。それはダメだよ。小さい『っ』まで出てたよ。その後に続く言葉は確実に『ぱ』だよね。そうだよね。

 ギロリと小幡さんを見るけれど、本人は全く気にしていない様子で清々しい表情だった。このやろう……。

「二人ともありがとう。楽しかった。じゃあ、またね」

 ヒラヒラと手を振りながら去っていく小山さんを見送った。小山さんが確実に行ったのを確認しつつ、まわりも確認して小幡さんに視線を向ける。

「おっぱいって言おうとしたでしょ」

 小幡さんは私の言葉に驚いた顔をした。

「小山内さんもやっぱり気になりましたよね。あのフォルム……。凄かったですよね。服の上からでもわかる張りと揺れ。そして動くロマン。そのうえ、」

「ストーップ」

 嬉しそうに話し出す小幡さんのエンジンを止めた。止めたら、なんでって表情をするのやめて。普通だから。普通は止めるから。自分で止めてほしいまであるから。

 金曜日からの今日で緩くなってるぞ。どうしたどうした。前に持ってた警戒心はどこにいったんだ。

 小幡さんの不服そうな視線に耐えられない。

「あとは、残業の時に聞きますから……」


 ***


 週末明けの仕事もなにかと多いのは毎週のことで、今日とて残業だった。

「私、考えたんですよね」

 一時間経った頃。一人、また一人と帰っていくなかで最終的には小幡さんと二人になった途端、話を切り出された。

「なにがですか?」

「挨拶、おっぱーいの方がいいですかね」

「ばっ、」

 思わず出そうになった言葉を手で口を押さえて封じた。偉いぞ、私。

 おぱようございますもおっぱーいもどっちも駄目だよ。駄目なんだよ。

「無しですね」

「やはり、おぱようございますの方が、」

「どっちも駄目ですね」

 マシな方なんてどっちもない。そもそも誰にする挨拶だよ。私以外ならアウトだよ。いや、私にもアウトだよ。この二日で小幡さんに絆されてる己を恥じる。

「そもそも、なんですかその挨拶は……」

「おっはーをひねってみました」

 は?

 いや、あーまぁ、そうね。そうですよね。うん。なんとなく分かってた。分かってましたよ。

「そうですか……」

「なかなかいいと思ったんですけど」

「駄目ですね。朝の挨拶も、私以外にしてましたよね?」

「あっ、わかりました? わからないように『ぱ』を小さくして言ってみたんですけど、小山内さんから見てどうでしたか?」

「完全にアウトですね。間違えればセクハラ案件で訴えられますね」

「そうです、よね。……すみません」

 一気に声のトーンが落ち込んだ。小幡さんを見れば、しゅんとしている雰囲気だった。

「小山内さんに認めてもらえたのが嬉しくて、調子にのっていました。これからは欲張らずに小山内さんだけに言います。なので安心してください」

 …………は?

 まず、その一。認めてません。

 その二、安心できません。

 その三、同族ではありません。

 おかしいでしょ。語り明かしたイコール友ではないのだよ。一方的な話をただただ聞いてただけなのよ。認知の歪みかな。そうなのかな。何かがズレてるよ。気づいて小幡さん。

「それにしても、先輩のおっぱいは素敵でしたよね。あれは、拝んでみたくなりますよね。小山内さんもそう思いませんか?」

「ならねーわっ」

 しまった。心の声が出ちゃったよ……。

 そんな私の心配をよそに、お構いなしにおっぱいへの情熱大陸を語る小幡さんを見てこれからはより厳しくいこうとを心に決めた。



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