上書き団の非日常的日常
粗塩おとみ
プロローグ
「――ねえ、アカネちゃん。不思議な能力とか、持ってない?」
沈黙を破って、ハスミは出し抜けに言った。脈略のない突飛な一言に、喉から乾いた音が出る。
「……へ…………?」
決してそらされない目線、瞬きをしない瞳。揺れる瞳孔がとらえた、上がったままの口角。その底のしれない笑顔が不気味で、冷や汗が喉をつたった。
「たとえばー……他の人の考えてることが、なぜか分かっちゃう、とかさ」
一変、瞳の笑みが消える。先ほどに比べ静かな声。まぶたがいったん落ちて、もう一度上がってくる。
「なん、でっ……」
止まりそうな呼吸のはざま。無意識に俺は立ち上がっていた。床に倒れた椅子の音が、やけに遠く感じた。
「なんで! それを、知ってるんだよ……っ!」
口の中が乾く。指先がわなわなと震えた。体重を支えている脚が、まるで棒のように動かなかった。
「よっしゃ! ビンゴ!」
俺の恐怖心とは正反対の、明るい声色。耳を疑った。その音が言葉に変換される前に、がしっ、と腕をつかまれる。
突如、ぐわん、と目の前の空間が歪んだ。状況を把握する間もなく、ハスミと俺の身体は、うねる空間のゆがみに吸い込まれていった。
……――胃の内容物を掻き回されるような、ひどい不快感。目を開ける。視界に広がるのは見知らぬ部屋。毛足の長いラグの上に、なだれるように倒れこんだ。
「たっだいまー!」
大げさなハスミの声がひびく。身体にはまだぐらぐらと揺らめく浮遊感が残り、視界が赤や黒に明滅した。
「おかえり。その子が例の?」
「そうそう、仲良くしてやって」
ハスミのものでない、澄んだ落ち着いた声だった。ふと視線を上げる。そこには、俺と同年代、あるいはいくらか歳上らしき少女が立っていた。
「……大丈夫?」
白に近い水色の髪を高く束ねた彼女は、落ち着き払った様子で俺の顔をのぞきこんだ。
「っ大丈夫、だ。……多分」
そばにあったローテーブルを支えにして、なんとか立ち上がる。
「はじめまして、私は
……何一つとして状況はわからないが、大人びた彼女の様子を見る限り、とりあえずハスミよりかは話が通じそうだな――と彼女に向き直った。
戸惑いながら声を発する。
「俺は何も聞いていないんだが……ひとまず……ここは?」
「……」
少女がじろりとハスミに目線を遣った。非難めいた眼差し。
「……あーっと……ちょっとまだ説明が済んでなくて、な?」
とぼけたように肩をすくめるハスミを見て、ツララは呆れたように息を吐いた。
何の因果でこんなことになってるんだ。眼前で行われる二人の会話を傍目に、この状況に至った経緯を回想する。
――発端は、今日の授業。転校生のハスミに、火炎魔法のアドバイスをした。ただそれだけのはずだった。
「ストロベリーミルクフラペチーノ、ホイップ多めで! アカネちゃんは?」
「……チョコレートフラペチーノで」
放課後、学園内にあるカフェブース。ドリンクごときに五百セムも六百セムも使っていられないと、今まで敬遠していた場所だった。店員に差し出された商品を受け取り、隣接しているラウンジの二人席に腰かける。
「……やっぱり、お金返すよ」
「え! 遠慮しないでいいのよ? これは授業のときのお礼なんだから」
この手の出費はほとんど気にならないのだろうか。彼女はにこにこと、むしろ俺の素振りに困惑したような調子で言ってみせる。
「本当に大丈夫か……?」
「大丈夫だってば! 私のお金なんだから、私が良いって言ったら良いの!」
自分のお金なんだったら、なんで俺なんかに使うんだよ。と思ったものの、口には出さなかった。
「ん〜美味しい! あ、もしかしてアカネちゃん、甘いの苦手だった……?」
「いや、別に嫌いじゃない」
……飲みなれないだけで。太めの色付きストローに口をつけて中味を吸う。上にのっているクリームは、ドリンクにかき混ぜて飲むのだろうか? トッピングのアラザンが、駅の洋菓子店で見かけるケーキを思い出させた。
「ねえねえ、アカネちゃんってどこに住んでるの?」
「月光岬」
「あー、じゃあ結構ここから遠い、のかな? てっきり学園の近くかと思ってた」
「転移魔法で通ってるから支障はないけど。ハスミは?」
「私はすぐそこの箒星ヒルズに住んでるよ。引っ越してきたばかりだけどね」
「そうなんだ」
ひんやりとしたフラペチーノの甘みを味わいつつ、ぼんやりと正門から見える景色を思い浮かべる。横断歩道をはさんだ向かいに、確かに背の高いマンションがあったはずだ。
「ってことは、わざわざ引っ越してきたのか?」
「うん、そうなの。前の学校は座学ばかりだったから、実技メインの学校に変えたくって」
「へえ……」
ハスミは中味の減ったカップを傾けて、底に残っていたフラペチーノを飲み干した。カタン、と軽い音がして、プラスチック製のカップがテーブルに置かれる。半分程度しか飲み進めていない自分のカップを見れば、表面が白い結露でくもっていた。
静かだ。そう感じて何気なく周囲を見渡せば、俺たち以外の人影は見えなくなっていた。そんな折、彼女が口火を切ったのだ。
「――ねえ、アカネちゃん。不思議な能力とか、持ってない?」
以上が今俺がここにいる理由だった。いや理由にはなってないが!
「どうぞ」
「ありがとう……」
気まずい雰囲気の室内で、ツララが淹れてくれた紅茶を受け取った。
「とりあえず、彼女に謝ったら?」
冷たい声色を気にもとめず、ハスミはへらへらと笑っている。
「あーごめんごめん。いきなりで悪かったな。ここはオレの家みたいなもんなんだけど、ちょっと話したいことがあってさ」
「いや、それよりも! なんで俺の能力を知ってるんだよ?」
あ、それ聞きたい? と、彼女は指先をぴこぴこと動かし、そのままの流れでパチンと指を鳴らした。
「残念だけどそれはまだナ・イ・ショ」
「っふざけんな! この能力のことは誰にも話してない。なんであんたに分かるんだ!?」
「ほらほら興奮しなーい。詳細はおいおい話すからさ、とりま特殊能力だとでも思っといて」
悪びれもしない様子に心底腹が立つ。さっきまでの丁寧な口調はどこへ行ったんだ。
「納得できるか! あと、さっきから急に口調変わったな?!」
「あっはは、気が付いた? こっちが素なんだけど、あのクラスみーんな生真面目なもんだからさ。お嬢様風のほうがウケが良いかと思って」
困惑して言葉も出ず、手持ち無沙汰に紅茶を飲んだ。ソファーで無関心そうに本を読んでいたツララが、本題。と話の続きを促す。
「あーそうだった、本題ね、本題。キミを連れ出したのは、オレたちに協力してほしいからなんだ」
「……協力?」
不信感そのままに眉をこわばらせる。
「そ。その能力が異常なものだって、自覚あるんだろ?」
「それは、そうだが」
「推測だけど、キミは自分の能力のことを良く思ってないんじゃないかな」
綺麗な金色の丸い瞳が、目前にいる俺をくっきりと映している。図星をつかれて息が詰まった。一体どこまで知られているのか――考えうる可能性としては、相手も自分と同じ類の能力者であるというのが妥当な線か? そうだとすれば、この質問の回答もとうに知れているはずだな、と思いながら言葉を返す。
「……そりゃあな」
「やっぱりね、そうだと思ってたよ! うんうん」
ハスミは高い声色で一人納得した様子の言葉を並べ、愉快げに頬を上げて笑った。
大体、こんな能力があって喜ぶような人間の方が少数派じゃないのか。映画に出てくるようなスパイなら別かもしれないが、一般人が周囲の人間の真実を知ったところで生きづらくなるだけだ。少なくとも俺は日々そう思って止まない。
「じゃさ、その能力――手放したいと思わない?」
「手放す方法があるのか?」
「あるよ」
半信半疑の問いは簡潔に返された。そして即座に「でも、そのためにはキミの協力が不可欠だ」なんて胡散臭い補足が続けられる。次いでにこやかに差し出される右手。
「オレと手を組もう、アカネちゃん」
しかし手は取らない。
「いや……いきなりそんなこと言われても。悪いが信用しきれない」
「ああ~っ! そう言われちゃうかあ」
冷静に返した俺の言葉を聞けば、ハスミはソファーのある背後に向かってわざとらしくのけぞってみせた。ツララが本からちらりと目線をそらし、ハスミを一瞥する。
「妥当な反応だと思うけど」
「うぐっ……冷たいなあもう」
「単に客観的判断」
ツララも何とか言ってあげてよ~。言いつつのけぞった姿勢に乗じてツララにじゃれるように手を伸ばしている。ツララは本に目線を向けたまま、片手間にハスミの手を払いのけた。
「私よりあんたの方が面識あるでしょ」
「そうだけどさ……! 全然フォローもしてくれないの!?」
「あんたが連れてきた以上、自分できちんと説明して」
「ええ~、貴重な友達ができるチャンスなのに? 略してトモダチチャンスなのに?」
脳内で「大して略せてないだろ」とツッコミを入れながら二人を眺める。ツララはハスミの台詞を完全スルーし、冷たく話を終わらせてしまった。しばし黙り込んだのち、ハスミは不服気な半目でムッと口を結んだ表情でこちらに向き直した。
「……ええと、どこまで話したっけ。なんか質問とかある?」
「まだあんたらの目的も聞いてない。俺がいないといけない理由があるのか?」
「うん、キミじゃないといけない理由はある」
そこは時間がないから後々になるけど……。一瞬俺の背後の壁に目線が動いた。不意に耳鳴りが脳をつんざく。
――んー、今日説明したいとこだけど、あと十五分で出ないといけないんだよな~。
目の前にいるハスミの思考が、脈略もなく飛び込んできた。おそらく彼女は壁にかけられた時計を見ているのだろう。
最近はこの耳鳴りも減っていたのだが――能力のことを意識したためだろうか? 久しぶりに他人の思考が流れ込んできた。今回は他愛のない内容だったが、この耳鳴りには嫌な思い出も多い。反射的に目線をそらした。
「目的は、とあるアイテムを回収することだ。キミにはその手伝いをしてほしい」
そのアイテムがあればキミの能力もきれいさっぱり無かったことにできる。ハスミが眉尻を上げてニッと笑いかけた。俺は冷めきった紅茶を飲み干した。
「手伝いって具体的に何をすればいいんだ?」
「ん~、それが場合によるんだよな」
得体のしれない転校生はオーバーに肩をすくめてみせる。芝居臭い動作だ。
「ごめ、この後予定入っててさ。詳細は明日説明するから、放課後空けといて!」
「えっ、明日か?」
「予定とか入ってる?」
「……いや、特には入ってないが」
じゃーそゆことでよろしく! あわただしく立ち上がったハスミに腕を引かれて立ち上がる。彼女が壁に向かい手をかざすと、ラウンジで見たものと同じ空間のゆがみがぽっかりと口を開けた。
「また明日ね!
状況を理解する前に、どんっ、と強く背中を押された。壁に付こうとした手は、ゆがんだ穴に吸い込まれていく。
「おわっ、ちょっ……!?」
――胃を荒らされる不快感、床に投げ出される身体。板張りの床に手をついて顔を上げれば、視界にあるのは朝と変わらない自室の中。
「俺の、部屋……」
見たことのない転移魔法だ――いや、あれは果たして魔法なのか? 開いたままのドレープカーテンに手をかけた。窓の外の景色はすっかり闇に沈んでいる。能力を手放す、それは確かに俺の望みだ。けれど本当に信じていいのか? 閉じた瞼に浮かぶ怪しい笑み。あいつは何故、俺の能力を知っていたんだろう。
耳鳴りは知りたいことだけはいつも教えてくれない。悪魔が囁くのはどうでもいい事実か聞きたくない真実ばかりだ。だからこの力は、天罰なのだろうと思っている。
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