(途中)第3話 つり!

『釣りやらね?』


生まれてから高校を卒業するまで住んでいた生まれと育ちのふるさと、岩手で青春を謳歌していた頃は、釣りと言えばもっぱらザリガニ釣りのことであった。


そんなことねーよ、との声も聞こえるが、まあ、ちょっと落ち着いて欲しい。


近くに川か海があればそうかもしれないが、そうもいかない地域というのもある。家の近所や通学路など、至る所で流れていた用水路が唯一の釣り場な地域だって存在するのだ。


同じ都道府県に住んでいようと、ほんのちょっとの地形の違いが大きな差を生み、そして、それが差別に繋がる。


おっぱいの大きさ論争に続き、人は、なんて愚かな生き物なのだろうか。


……さて。


順当というかなんというか。アウトドア趣味の階段を順調にステップアップしていて、遅れてやってきた青春というべきか、ただ流行りに乗りたがっているだけというべきか。


朝の5時なんていう、相も変わらず人の予定なんてものを一切として考慮していないタイミングで送られてくるレッドのメッセージは、とはいえ俺の胸を高鳴らせた。


釣り。これまでにザリガニ釣りしか経験のない自分からすると、釣りというワードだけで最低5分は時間をつぶせるくらいに妄想が捗る。


幸いにも、いま、お互いが住んでいる付近には、あの、一級河川が流れている。


そう、あの、一級河川だ。


一級というからには、ザリガニはいうに及ばず、きっと、ザリガニを主食とするような魚だって釣れるはず。


ザリガニを主食とするような魚がなんなのか具体的に想像することはできないが、鮭や鯉くらいはきっと釣れるのだろう。


……ここまでで察しがついた人もいるかもしれないが、正直に言うと、俺には、釣りの知識は勿論、魚に関しての知識さえも一切として持ち合わせていない。


淡水魚や海水魚の違いなんかも義務教育が終わると同時にすっぽりと抜け落ち、自分がいま口にしている魚の名前に全く興味を抱くことなく。1人暮らしになってからは更に一歩踏み込み、食事という行為への無関心にまで至り、赤い魚と白い魚程度の認識へと格下げとなっていた。


そんな人間でも、釣りという行為の響きに憧れてしまう。


魚に興味が無ければ、釣りの道具が無くとも、だ。



『あそこらへんだと、ブラックバスが釣れるらしいよ』


「ブラックバスってよく聞くけど、結局、あいつらってなんなの? やべぇ魚なんだっけ?」


『アメリカザリガニ的な立ち位置じゃなかったっけ。なんちゃら外来種みたいな』


「あー、他の魚を食い尽くしちゃう的なやつね。じゃあ、どれだけ釣っても文句言われないな」


『美味しければ尚良しだな』


どんな釣り竿を買おうかとAmazonでウィンドウショッピングに精を出しながら、例のごとくDiscordで駄弁る夜の11時。


今回、釣りに行く場所に魚がいるのかという根本的な問題点については、レッドが先んじて現地に赴き、何人かの釣り人を確認したことで一先ず解決。


その後、その近辺では、ブラックバスとかいうスズキの親戚みたいな魚がいるらしいとのネット情報も手に入れ、これでいよいよ、釣りへの本格的な参入が視野に入ったところだ。


「で、なに買えばいいん? 釣り竿とリールとルアーがあればとりあえず大丈夫?」


『まあ、そんなもんだと思う。とりあえず竿を決めれば、必然的に他も決まってくるっしょ』


釣りとは、思っていた以上にめんど……もとい、奥が深く、釣り竿だけで星の数ほどもあり、どこで何を釣るのか、それによって使うべき竿が変わってくる。


そして、釣り初心者が最も驚いたこと。それは、リールの存在だ。


いや、リールを知らなかったわけではない。釣りと言えばリールと言っても過言ではないだろうし、実際、釣りと言って思い浮かべる場面なんて、竿をしならせながらリールのハンドルをぐりぐりと回すシーンであろう。


そのリール。なんと、釣り竿とは別会計なのだというから驚きである。


勿論、竿とリールのセット販売もあるが、あくまで、本来別々だった商品を抱き合わせて販売しているに過ぎない。


まあ、リールを必要としない竿もあるのだが、いまその話を持ち出すと一生この話題から抜け出せなくなるため、今回は割愛する。


そして、そのリール小話、第二の驚きポイント。それは……


「で、スピニングリールとベイトリール、どっち買うよ?」


リールの種類によって竿を選ばないといけないという、これまたなんともな底なしの沼が待ち構えているのだ。


『スピニングで良いっしょ。こういうのは、まずは、初心者向けのセットを買って、後から付け足しすればいいんだから』


果たして、このスピニングリールとやらが初心者向けのリールなのかどうかも定かではないのだが、ネットでそんな記事をいくつも見たのだから初心者向けなのだろう。おそらく。


「それじゃあ、それに合った竿ってなると、やっぱりここらへん? 収納時の大きさもかなりコンパクトになるみたいだし」


『価格もそんなにだし、とりあえずこれにしてみるか。それで……』


やれ竿の固さだとかルアーの種類だとかのあれやこれや。更にみっちりと時間をかけて吟味すること幾数時間、日付もとうに変わった深夜2時。


釣り人になる準備が、遂に、整った。



「なー、さみいよー。人もいねーよー。本当に釣り人いたのかよー?」


「いたんだって。この前の夕方頃にここらへん散歩してたら、竿振ってたおっちゃんが」


「それ、幻だったんじゃないの? 最近、忙しかったって言ってたじゃん? 疲れてんだよ」


「仮に幻だったとしたら、俺、どんだけ釣りに恋焦がれてんだよ」


未だ明るさ衰えぬ冬の大三角を南東の方角に眺めるは、3月のど頭、月初の忙しさを振り切ってやってきた金曜の夜10時。


アウトドア趣味を始めるなら冬が良い、なんてことをどこかで聞いたことがあるが、今更ながら、果たして釣りも該当するのだろうかと疑問しか湧いてこない寒さである。


寒さに震えながら自転車こきこき、レッドに言われやってきた河川敷には、人っ子一人見えない。ランニングや犬の散歩をする人がいないこともないが、それは土手の上、立っているステージが違うためノーカウントだ。


自転車のリアボックスに丁寧に積み込んだはずの釣り道具一式は、振動及び慣性などなどの地球に働くあらゆる力の影響でものの見事にごちゃまぜにかき回されてしまっていた。


釣りの準備は思っている以上に大変で、ましてやこの暗闇。ただでさえ寒さに萎えた心は、カオスと化した道具たちによって折れる一歩手前である。


そんな冷え切った心に火を入れるように、夜のアウトドアでは必須と言っても過言ではないであろうヘッドライトを装着。人生を照らすにはあまりにも心許ない300ルーメンという明かりは、しかし、4分割されている釣竿を決められた順番と向きにはめ込んでいくには必要十分で、現状の生活に特に不満の無い俺には丁度良い。


……ハードボイルドを決め込んでみたものの、傍目から見たらきっと、ガタガタ震えながら釣りの準備をしているおじさんなんだろうなと思うと、やはりやるせない気持ちになってきてしまう。


寒さとは、人を切なくさせにけり。

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おっさん、趣味を謳歌する! からんたん @karantan

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