第22話「天命」

 フッ!

 突然、岩之介と彩華の目の前で、帝都の明かりがみるみる消え始めた。見渡す限り灯されていた無数の光が、黒い闇に覆われていく。

「これは…停電?」

 岩之介が周りを見回しながら叫んだ。


「ダメだ…」

 突然、彩華が雷に打たれた様に背筋を伸ばして固まった。一点を見つめて瞬きもせず、みるみる表情が消えていく。


「ダメだ…シンデン…」


「え?」

 彩華は岩乃介を見ようともしない。遠く一点を見つめたまま、うわ言の様に呟いている。

「私が…救わなければ…シンデン…」

 彩華の表情が、みるみる険しくなっていく。

「もしかして…」

「シンデン、居たの?」

 彩華の異様な様子に動揺しながら、岩之介は彩華の視線の先を目で追う。そこには、月明かりに照らされてもうもうと煙を吐く四本の高い煙突があった。

「オバケ煙突!やはり千住大発電所!」


「〈天命〉を、果たす時だ…」


 彩華が遠くオバケ煙突を見据えながら呟いた。

 そしてゆっくりと岩之介の方に向き直った。

「イワ」

 彩華が、いつになく真剣な表情で岩之介を真っ直ぐに見据える。

「え、な、何?」

 彩華の豹変ぶりに、岩之介はドギマギと答える。彩華は静かな声で岩之介に問いかけた。

「最後に一つ、まだ聞いていないことがある」

「最後?…」

 岩之介の心に不安がよぎる。


「なぜ、私を助けた?」

「見ず知らずの私を…命懸けで」

「なぜだ?」


「…」

 岩之介は答えられない。

(『彩華さんがメチャクチャ可愛くて一目惚れしたからです!』とか言える訳ないっ!)

 すると彩華は急に微笑んだ。


「イワ。ありがとう」


「え?」

「イワが救ってくれたから、私はイワとママさんに出会えた」

「私は、楽しかった」

「ボンドのウエイトレスも、ランチの戦いも、あの銀ブラというやつも!」

「ママさんの料理も、本当に美味しかった」

「今まで知らなかった事ばかりで、夢の様だった」

「だから私は…」

 そう言うと、彩華の表情が悲しげに曇った。


「一瞬だけ私は、これがずっと続けば良いなと思ってしまった…」


「シンデンを救わねばならないのに」

「私は死ぬのが、少しだけ怖くなったのだ」

「死ぬ?…死ぬってなに?」

 岩之介は、彩華の不吉な一言に思わず問い返す。だが彩華はそれには答えず、岩之介を真っ直ぐに見据えた。

「だが、イワは違う」

「見ず知らずの私を何の躊躇いもなく命を捨てて救ってくれた。一度ならず二度までも」


(違う…)

「私は感動したのだ。イワの勇気と、その潔さに…」

(違う…違う…)

 彩華の言葉に、岩之介の心はさざ波を立てる。

「イワは私に、大切なことを教えてくれたのだ」

(違う!違う!違う!違う!違う!違う!)

 波はさらに大きくなって、岩之介の心を乱暴にかき乱した。


「全然違うっ!」


 岩之介の感情が、叫びになって飛び出した。

「!」

 彩華が驚いて岩之介を見つめている。岩之介は顔を歪め、怒りを吐き出す様に叫び始めた。


「僕はただ、死にたかっただけだ!」


「勇気とかそんな立派なものは、僕の中には何処にもない!僕はただの、死に損ないなんだ!」

「あの時、僕が死ねばよかったんだ!姉さんじゃなくて僕がっ!」

 叫ぶ岩之介の瞳から、いつの間にか涙がこぼれ落ちる。岩之介は、ずっと押さえ込んでいた感情が溢れ出してくるのを止めることができない。

「イワ?…」

 取り乱した岩之介を初めて見た彩華は、ただ呆然と岩之介を見守っている。

「姉さんは綺麗で、優しくて、僕の何倍も賢くて、法術の達人で!」

「特技師の鏡だった!」

「なのに僕は、法術が全く使えなくて…そんな出来損ないの僕を庇って、姉さんは死んだんだ!」

「僕は、姉さんにこそ幸せに暮らして欲しかったのに…」

「僕のせいで姉さんは…姉さんは!…」

 叫びがかすれて音を無くし、やがて聞こえなくなった。岩之介はもう、それ以上言葉にすることができない。


(今すぐ…消えてなくなりたい…)


 岩之介は肩で息をしながら項垂れると、両手で顔を押さえて嗚咽を漏らし始めた。

 ムギュウッ!

 突然、岩之介の身体が何か柔らかくて温かいものに包み込まれた。

(え?…)


「だから…イワが死ぬのか?」

 

 岩之介の頭の上から、優しい声が聞こえてくる。

 いつの間にか、彩華が岩之介を抱きしめていた。

 岩之介をギュッと抱きしめたまま、彩華は優しく語りかける。

「それを、姉上様は望んでおられるのか?」

 その一言に、彩華の胸の中で岩之介は顔色を変えた。

「彩華さんに何がわかるっ!」

「僕の、朱美姉さんの何がわかるっ!」

 岩之介はまた叫びながら、彩華の胸の中で踠いて暴れる。だが彩華は岩之介を離すどころか、さらにギュッと強く抱きしめた。


「微塵も分からぬ」


「!」

 岩之介は、その彩華の一言に暴れるのを止めてしまった。そんな岩之介に、彩華は優しく語りかける。

「でも…私はイヤだ」

「?」

「イワが死ぬのは、イヤだ!」

 彩華の言葉に力がこもり、岩之介をギュッとする力がさらに強まる。

「イワには長く生き、元気に暮らしてほしい」

「私が姉上様なら、そう願うから」

「私も、そう願うから」

「さ、彩華さん?…」

 彩華の言葉に、岩之介は唖然として脱力した。

 その時、急に抱きしめる力が緩んだかと思うと、彩華がゆっくりと岩之介の身体を離した。そして、岩之介の肩を両手で掴んで真っ直ぐに見つめた。


「だからイワ…ここでお別れだ」


 そう呟いた彩華の瞳が、岩之介には潤んでいる様に見えた。すると彩華が突然叫んだ。

「ロォド!くびき!」

 彩華の叫んだ口度コードで、岩之介は両手・両足を板状の光に固定され自由を奪われた。

「イワ。本当にありがとう」

 地面に横倒しになった岩之介に、彩華は悲しそうな笑みを微かに浮かべた。

「彩華さん?何を?」

「もう、思い残すことはない」

「彩華さん、何をするつもり?ダメだ!ダメだよ!」

「最後にもう一つ…」

 彩華は叫ぶ岩之介には答えず、潤んだ瞳で微笑んだ。


「イワはとても賢い。だからイワは学者になれ。きっと、それがイワのだ」


《岩之介は、学問の方が向いているよ…》


 彩華の言葉に絶句した岩之介の脳裏に、あの時の朱美の声がはっきりと蘇った。

「彩華さんっ!彩華さんっ!一体何を!」

 岩之介は叫びながら必死にもがく。だが、彩華は岩之介にくるりと背を向けて言った。

「私は、を果たしに行く」

「さらばだ。イワ」


 パチン!

 小さな稲光が爆ぜて、彩華はその場から姿を消した。

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