第24話-深淵の囁き、対抗の力-

『……違う……排除すべきは……お前たちではない……』


悪魔から発せられた、不意打ちのような澄んだテレパシー。その声には、今まで聞いたことのない純粋さがあった。怒りに満ちていたはずの赤い瞳には、まるで深い悲しみが宿っているように見える。


「……今、なんて……?」


私の小さな呟きに、悪魔はゆっくりと首を横に振った。無数の腕は重たげに垂れ下がり、さっきまでの攻撃性は消えていた。


白石先生は依然として警戒を解かず、悪魔の動きを注視していた。「あれは……一体何を語ろうとしているの……?」


健太は手に持った対抗クリスタルを慎重に構えながら言った。「さっき、あれをぶつけた時、悪魔の動きが明らかに鈍った。やっぱり、何かしらの効果はあるみたいだ」


対抗クリスタル――それは、健太が研究所の古代文献を参考に、ミニダンジョンで採取した特異な鉱石といくつかのダンジョン素材を用いて作り出した、特殊な対抗アイテムだった。製法の詳細までは、私も完全には理解していない。


そして再び、悪魔が脳内に直接語りかけてくる。


『……核が……汚染されている……お前たちの仕業ではない……』


核――あの巨大な赤いクリスタルのことだろうか?汚染?私たちのせいじゃない……?


「汚染ってどういうこと?誰がやったの?」


問いかけに応えるように、悪魔はわずかに顔を傾け、赤い目をクリスタルの方へと向ける。


『……核は……長きに渡り……侵されている……黒い影に……』


「黒い影……?」


その言葉に、私はかつてミニダンジョンの序盤で見た、あの黒い靄のようなものを思い出した。


「もしかして……最初の方で見た、あの黒い靄のことですか?」


悪魔は、はっきりとではないが、頷いたように見えた。


『……そう……奴らは……核のエネルギーを……少しずつ蝕んでいる……』


私たちは、まるで足元の前提が崩れていくような混乱の中にいた。私たちは、敵を間違えていたのかもしれない。この悪魔は、核を守ろうとして、私たちを「汚染の元凶」と誤解していたのだ。


白石先生は静かに分析用のデバイスを起動させ、慎重に悪魔へ向けた。「エネルギーレベルが安定していない……さっきよりも明らかに弱ってるわ」


健太もクリスタルを軽く掲げながら言う。「もし、このテレパシーが本物なら……話を聞く価値はある」


私は、ゆっくりと悪魔に近づきながら、新しいグローブをそっと掲げた。


「私たちは核を汚染するつもりなんてない。もし黒い影が本当に核を蝕んでいるのなら、私たちもそれを止めたい」


その言葉に、悪魔の赤い目がわずかに見開かれ、そして……ゆっくりと、多くの腕が地面に降ろされた。敵意は、もはや感じられなかった。


『……信じよう……お前たちの言葉を……核を……救ってほしい……私は……もう戦えない……』


その声は微かで、けれども確かな願いを帯びていた。


私たちは、思いがけない展開に驚きつつも、悪魔の語る「核の汚染」の真実に耳を傾けた。彼の話によれば、黒い影はずっと前から核のエネルギーを吸収し続けており、そのせいでダンジョンの生態系が歪み、かつてなかったほど危険なモンスターや異常現象が現れ始めたという。


「核を浄化する方法はあるの?」


私の問いに、悪魔は、弱く光る核の中心部を指し示した。


『……核の……中心にある……純粋なエネルギーを……導くのだ……黒い影を……焼き払え……』


それが、悪魔の最後の助言だった。

核を浄化する唯一の手段――けれど、それを告げた悪魔自身の存在は、もはや限界に近づいていた。


無数の腕は重く垂れ、赤く輝いていたはずの瞳も今はほのかに光るだけ。まるで、燃え尽きる蝋燭のように。


「……あなたは、もう……」


思わず声が漏れる。悪魔はわずかに視線を私に向けた。


『……私は……もう、ここまでだ……だが……核を……頼む……』


その声には、もはやかつてのような敵意や威圧感はない。

ただ、核の未来を案じる真摯な想いだけが込められていた。


白石先生が静かにデバイスの表示を確認する。


「エネルギー反応が限界値を超えてる……もう、長く持たないわ」


健太は対抗クリスタルを握りしめ、真剣な表情で悪魔に問いかけた。


「核にたどり着くには、どうすればいい?道を教えてほしい」


悪魔は、わずかに輝く核の中心を見つめ、重そうに腕を動かして私たちにルートを示した。

それは核の周囲を囲む岩の柱の裏側、これまで気づかなかった隠された通路だった。


『……核の……純粋な力は……お前たちの内なる光と……響き合う……とりわけ……お前……』


その視線は、私をまっすぐに見ていた。

赤い目の奥に、確かに感じる“希望”の光。私に託す――そんな意志を読み取れた。


「核を、必ず……浄化します」


言葉に迷いはなかった。

悪魔は静かに目を閉じ、わずかに頷いた。


そしてその瞬間、悪魔の身体が淡い光を放ち始めた。

もはや闇に染まった力ではない、澄んだ、優しい光。


その身体は、静かに――ゆっくりと――

光の粒となり、空間へと溶けていった。


私たちは、言葉もなくその姿を見つめていた。

かつては敵だった者の、最後の光。

そこにあったのは、深い憎しみではなく、未来を託す祈りだった。


「……核を、浄化するしかない」


私たちは決意を新たに、悪魔が示した隠された通路へと足を踏み入れた。

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