第3話-ダンジョン素材の効果-
ミニダンジョン生活が始まって、2週間が過ぎた。
私の生活は、外見上は何一つ変わっていない。朝起きて、大学に行き、アルバイトをして、帰宅する。だけど、その内側では、確実に変化が起きていた。
まず、水筒の水だ。浄化石を入れて持ち歩くようになってから、私はほとんどペットボトル飲料を買わなくなった。水道水なのに、こんなに美味しくてまろやかで、体の中にすっと染み渡る感じ。講義中も、この水を飲むたびに、どこか心が落ち着くような気がした。
アルバイト先のカフェでは、相変わらずミスをすることもあったけれど、それでも以前よりかは減った気がする。軽い火傷や指先の切り傷も、すぐに癒し草を塗れば跡形もなく治る。これまではヒリヒリと痛む傷に気を取られていたけれど、今はそんな心配がないから、接客にも集中できるようになった。
そして、一番効果を実感しているのは、やはり集中木の実だ。これを一つ食べるだけで、私のような凡庸な人間でも、まるで頭の中に高性能なCPUが搭載されたかのように、思考がクリアになる。レポート作成も、以前は締め切りギリギリまでずるずると引き延ばしていたのに、今では講義が終わってすぐに取り掛かれるようになった。
先日、提出したレポートの評価は、これまで見たことないほど高かった。「佐藤さん、この論旨展開は素晴らしいね。何か参考にした書籍でも?」と教授に聞かれ、私は「ええと、まあ、色々と……」と曖昧に答えるしかなかった。まさか「不思議な木の実を食べました」なんて言えるはずがない。
そんな小さな変化の積み重ねが、私の日常を、少しずつ、しかし確実に、以前よりも快適で、充実したものへと変えていた。
もちろん、この秘密は誰にも言っていない。言えるはずがない。もし誰かにバレたら、きっと研究対象にされるか、恐ろしい目に遭わされるに違いない。私はミニダンジョンを隠すように、誰もいない時だけ入り、素材を回収していた。
「花梨、最近なんか肌ツヤ良くない?彼氏できたとか?」
ある日のランチタイム、いつものように学食で食事をしていると、親友の田中美咲(たなか みさき)が、フォークで私の顔を指しながらニヤニヤと尋ねてきた。美咲は、明るく社交的で、私の引っ込み思案な性格とは正反対のタイプだ。
「え、なにそれ!まさか!」
私は慌てて否定した。確かに、浄化石入りの水を飲んで、癒し草で肌荒れを治しているから、以前より肌の調子は良いかもしれない。でも、まさかそんな風に言われるとは。
「でもさ、なんか違うんだよなー。前より、なんだか元気になったっていうか、キラキラしてるっていうか」
美咲が首を傾げた。その隣で、もう一人の友人である鈴木健太(すずき けんた)が、眼鏡の奥から鋭い視線を送ってきた。健太は理系の学生で、頭が切れるけれど、ちょっと変わり者なところがある。
「確かに。佐藤、最近提出物も完璧だし、バイトのシフトも増えたって言ってたよな。もしかして、なんか裏技でも使ってるのか?」
健太の言葉に、私の心臓がドクリと跳ねた。鋭すぎる。
「裏技って……そんなのあるわけないでしょ。ちょっと生活習慣改善しただけだよ!」
私はごまかすように笑った。だけど、二人の視線が、なんだか疑わしげな色を帯びているのが分かった。
その日の帰り道、私はつい、美咲と健太にダンジョン素材の力を試させてしまった。
「今日、喉渇かない?」
私は美咲に、浄化石を入れた水筒の水を勧めた。美咲は何も知らずにゴクリと一口飲むと、目を丸くした。
「え、何これ!?水が甘い!ってか、めっちゃ美味しいんだけど!?」
美咲は驚きを隠せない様子で、続けてゴクゴクと水を飲んだ。健太も興味深そうに水筒を覗き込んでいる。
「これ、普通の水道水なの?ありえないだろ……何か混ざってるのか?」
健太は理系らしく、すぐに分析しようとする姿勢を見せた。彼のそういうところは、少しばかり厄介だ。
「混ざってないよ!ただの水道水!」
私は必死でしらばくれた。だけど、二人の好奇心を刺激してしまったのは明らかだった。
その翌日、美咲からラインが来た。
『花梨の水、あれから一日中喉が潤ってる気がする!てか、なんか頭もスッキリしてる気がするんだけど、気のせいかな?』
そして、その数日後、健太が私に話しかけてきた。
「佐藤、ちょっと相談があるんだが。この前の水、普通の水じゃないだろ」
図星を突かれた。私は動揺し、目を泳がせる。
「な、何のことかな……?」
「その水、特定の成分しか検出されないんだ。不純物が一切ない。まるで純水に近い。だけど、純水とは明らかに違う『何か』が含まれてる。まさか、ダンジョン素材でも使ってるのか?」
健太は、冗談めかした口調ではあったけれど、その目は真剣だった。彼はもう、ほとんど答えにたどり着いている。私は、いよいよこの秘密を、どう隠し通すか、あるいはどう打ち明けるかを真剣に考えなければならない時が来たことを悟った。
ゆっくりと、私の日常は、確実な非日常へと傾き始めていた。
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