私は私?
すい
私は私?
最初は指紋認証だった。
スマホのロック解除画面で、何度やっても私の右人差し指の指紋は読み取られなかった。
その時、世の中は未知のウイルスが蔓延し始めたところで、どこに行ってもアルコール消毒を求められ、そのせいでいつも指先はカサついていた。
きっとその手荒れのせいだ。
そう思っていた。
その次は、顔認証だった。
寝起きの顔もメイクをした顔も、マスクをした顔も登録完了していたはずなのに、画面に表示されたのは「顔認証に失敗しました」という文字と、ポカンとした私の顔。
確かに外出自粛でジムにも行けず、多少太った自覚はあるが、そんなに変わってはいないはずだ。
スマホ自体、買い替えのタイミングなのだろうか。
釈然としないまま、あきらめて暗証番号を入力して使っていた。
しばらくして、世間は本格的に外出自粛、というか実質は禁止に近い状況になった。
仕事は完全にリモート。
職業柄、社内の人としかやり取りがなく、それも基本的にはメールなので、私は人と話をするという事がほぼ無くなった。
独身一人暮らしのアラサー女。
学生時代から友達が多い方ではなかったから、そこまで苦ではないけれど、少しずつ奇妙な感覚におちていった。
私は、私なのだろうか?
いや、私はどんな人間だったっけ?
他人といる時、特に仕事相手と対峙している時の自分と素の自分は違うけれど、オフィスではなく、自分の住んでいる部屋での仕事だと、切り替えは曖昧だ。
スウェット上下でノーメイクだろうが、あぐらをかいたり寝転がっていても、誰にも見られない。
私しか知らない。
だから「他人といる時の仕事用の自分」を忘れつつある。
世の中の状況が状況なので、仕方無いとは思うのだけど、「仕事用の自分」と対局にあったはずの「ただの自分」も薄れてきた気がする。
通勤途中にイヤホンで聴いていたプレイリストは、部屋でそのまま聴くとなんだか違う気がするし、休憩中に読んでいたWEB漫画も、だらだら読み続けると飽きてしまう。
これが好きだったのは、「どんな、どの、私」だったのか。
新しいプレイリストでも作ろうかと、スマホを手に取ったら、また認証エラー。
これが会社の休憩室なら、同僚と苦笑して済ませるのに。
一人きりの部屋だと、変な気分になる。
私は、私なのか?
そもそも人は、何をもって「自分」なのだろう。
赤の他人でも恋人でも家族でも、「他人」と対峙してはじめて「他の誰でもない自分」を認識するのではないか。
なら、ずっと一人の部屋に居て、メールで仕事をし、買い物するにもセルフレジや置き配で済ませ、一日中他人と対峙することがない私は、どうやって「私自身」を認識すれば良いのだろう。
机の上のスマホは、エラー画面も消え、真っ暗だ。
もう一度指紋認証や顔認証を試してみようか。
今度はハンドクリームを塗ってから、メイクをしてから、それともマスクをして。
いや、どれも何度かエラーになった事がある。
ではあきらめて暗証番でロックを解除し、久々に実家や数少ない友人にビデオ通話でもしてみようか。
でももし、「変わったね」と言われたら、私は笑顔で返せるだろうか。
そして、万が一、「誰?」とでも言われたら。
怖い。
何が?
私は何が怖いと思っているの?
不意にスマホが着信を受けて震えた。
誰からだろう。
相手は私を何と呼ぶのか。
いや、何を考えているんだ。
さっき資料を送った上司からだろう。
だから会社用の声で出れば良いだけだ。
私は一人の部屋で仕事をしていただけの会社員だ。
それが私だ。きっと。それだけだ。
私は、私は、私だ。
私は、スマホに手を伸ばす。
私は私? すい @suisui0124
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