第7話 リコは薬学の授業で故郷を思い出す

 ベコン・ペペロンチーノは学生リストに目を通していた。

 そして、カナリアたちの声に目を疑っていた。


「どういうことだ?」


 一足遅れて裏口就職した彼が最初に行ったのは、学生名簿を調べることだった。

 ゲームのヒロイン主人公がマリアベルの敵なんだから、主人公の情報を集める。

 そしてそれは容易いと思っていたが、早速出鼻を挫かれていた。

 教職員に配布された資料は偽装されており、一目では全員が貴族に見えた。

 だが、噂レベルでは間違いなく庶民が混ざっている。

 つまり情報の偽装が行われていた。

 とは言え、一人一人の情報を調べるのは憚られた。

 そもそも、こちらの素性も怪しいからだ。

 だから、動きを待っていたら、思わぬ情報が飛び込んできた。


「リコ・ギズモ。この娘が庶民で主人公…」


 プレイヤーを主人公に投影させる為か、名前が決まっていない主人公。

 彼女を先ずは見つけると息巻いていたところに、リコという名が伝えられた。

 そして混乱していた。

 

「これは…、偶然?ただ、動きとしては間違いない…か。リコが主人公らしい…」


 リコという名を知っていただけに、ベコンは戸惑っていた。

 何故知っていたのか、ゲーム配信者の名前がリコだったからだ。

 だからって、こっちの世界のヒロインが『リコ』とは限らない。

 無数の可能性があった筈なのに、ピンポイントでリコ。

 これではまるで自分が見ていたゲームそのものに飛び込んだ気がして混乱していた。


「ここは現実ではない?仮想空間…ってこと?」

 

 彼は頭を抱えながら、封印の魔術がかかった引き出しに手を掛けた。

 そこから、別の報告書を引っ張り出して、新たな情報を求めた。


「いや、そんなことは…。ゲームが始まる五年も前から俺はいるんだぞ。仮想空間だとしたら、そんな無駄なことは」


 各クラスの担任や警備員に至るまで、全てと言わないがボルネーゼの息が掛かっている筈だ。

 用意は周到だったのに、知っていた名前が飛び出したから頭を抱えている。

 

「ヒロインであるリコ・・は学校で浮いてしまう。平民なのに主席入学だったという噂。…だけど、成績なんて何処にも載ってない。ボルネーゼの密偵が入ることを想定していた?いやいや、それも今はいい。と…、とりあえずは主人公順当な滑り出しをしたんだ」


 ただ、それはそれ。今は娘の為の最善を考えるべきだろう。

 彼は父として、教師として、リコが所属するCクラスの名簿に一先ず目を通す。


「キュピイ・リングイネの隣の席だったのか。彼女は子爵の娘。桃色の髪の少女。乙女ゲーにおける主人公のサポート役。ベコン・ペペロンチーノはいないのに、彼女はゲーム通り存在している…か。んで、こいつが異常な程の情報を搔き集めて来る」


 恋愛ゲームあるあるの何でも知っているサポート役。

 現実に置き換えると、とても優秀な情報屋ということだ。

 彼女が持ってくるのはヒーロー達の情報だから彼女を押さえておきたい。だが、彼女は主人公の味方だ。

 リングイネ家はボルネーゼと敵対していると考えた方が良い。

 ボルネーゼの敵が多すぎるから、今のような状況になっている。


「そして、このクラスにあの女がいたんだったか。授業の風景は描かれないし、誰がどのクラスに居ても関係ないから意識していなかったけれど。最初にリリアをいじめるキャラクター、フェルエ・ラザニア。はっきり言って彼女はマリアベルにとって、何の役にも立たないが。さて…」


 今はとにかく情報が欲しい。

 混乱を誤魔化す為、若しくは肝心の名前を言い当てられなかった失策を取り戻す為。

 先ほど到着した報告書も開けて、更に情報を詰め込むが、その文面に目を剥いた。


 ——レオナルド殿下が平民の女に頭を下げて謝罪をした


 ベコンはこのイベントを知っている。

 知ってはいるが、五年も生きた後にこの文章を見ると鳥肌が立つ。


「愚直と言うか、愚鈍と言うか。貴族の在り様を決めたのはお前の曾祖父で、学校を作ったのはお前の祖父だろ。そこで何をやっている…」


 ゲーム配信を視聴していた時は何も思わなかったこと。

 でも、その国の人間に憑依して、歴史を学ぶと見えるものが変わった。

 イグナースが一枚噛んでいると知っているが、それにしたって絶対にやってはいけないことだ。

 封建社会の礎にあるのは、序列による柱だ。

 王子と庶民が同列ならば俺達も、と領民が蜂起をする可能性だってある。

 次代の貴族制度を担う若人たちも混乱するだろう。

 

「その混乱は歪な変化を孕む。変化は恐ろしいものだからリコへのイジメが加速する。…マリアベル。お前は絶対に関わるなよ。フェルエの暴走はラザニア辺境伯だけに持っていかせるんだぞ」


 フェルエ・オブ・ラザニアが仕掛けようとしている。

 その話も入っているが、ここでやはり問題がある。

 ベコン・ペペロンチーノというキャラを知らない。

 教師の中にボルネーゼの息がかかった人間がいた。

 その一人だろうことしか分からない。


 そこに彼自身の性格も複雑に絡み合う。


「民主主義は確かに最高だ。実力主義だって大いに構わない。…でも、せっかく手に入れた上級国民の座なんだ。リコには悪いが、俺は勝ち組を味わっていたい…」


 生まれた時から勝ち組、それが今の彼を突き動かす原動力で、身を削るような真似は避けたい。

 出来れば、何も起きずに過ぎ去って欲しいとさえ思う。


 まぁ、それとて

 

 彼の本質からは逸れた考えなのだけれど。


 だから彼は自分の右手がスラスラと書き続ける文章にさえ気付いていなかった。


     □■□


 Cクラスの一番後ろの席、リコは配布された資料を黙読していた。

 隣には、王子との面会以来仲良くなったキュピイが、眠そうに机に突っ伏している。


「リコは真面目だねぇ。私はついていくので精一杯。黒板もタチの悪い落書きにしか見えないんだけどぉ。」

「えっと…、私は頑張って成績を上げないといけないから、領主様や村の人たち、お金を出してくれた人たちに恩返ししないといけないし」


 ベコンの不安はさて置き。

 リコはまだまだお上りさんだ。

 故郷のことが気がかりで、今は追い出されない為の勉強で頭が一杯だった。

 そこに少しずつ、優雅さが垂らされる。一滴ずつ、脳に染み込んでいく。

 清潔で立派な建物の中で、可愛い制服を着て、貴族の子供たちと一緒に学校に通う。

 その中でも浮かれないほどは、少女も悟っていない。


「はぁ…」

 

 だが、日に日に視線が厳しくなるのも感じていた。

 レオナルド王子が頭を下げても尚、いやそのせいもあってか、クラスの目は更に厳しいものになっていた。


「では、今から実際に魔草を見に行きます。植物園へ移動するわよ」


 教壇に立っているのは、ジュエル・オムレツ伯爵夫人。

 中年の女性で、とても品がある淑女である。

 ただ、彼女には自分が見えていないのではないか、思っていた。

 そもそも、彼女はリコと一度も目を合わせていない。


「リコ、移動だってぇ。学校の植物園か。私、あそこ苦手なのよね。不気味だし、臭いし…」

「キュピイさん、聞こえてますよ。授業中のおしゃべりも全部聞こえてますからね。お二人は罰として、今日の実習の助手をするように」

「えぇぇええええ?」

「えぇ、じゃありません。ユニオン王立大学校は設立以来——」


 移動すると言ったのに、ここから更に十分間の学校理念の話が続き、愛らしいキュピイにも生徒から避難の目が向けられる。


「うー、ゴメン。皆。それにリコ」

「ううん、大丈夫。実習の助手なんて、とっても光栄なことだし」

「うんうん。庶民にはお似合いだな。キュピイ、説教分はお前もやれよ」

「えぇぇぇ…」


 リリアは首を横に振って、全然気にしていないと友人に告げた。

 ただ、この実習は誰もやりたくない代物だったらしい。

 大仰に言ったところで、実質土いじりである。泥水の中に入らなければならない。

 貴族は何もしないことが美学、そんなのは庭師にやらせておけば良いという考えは、レオナルドの曾祖父が広めたこの世間の常識である。


 そして遂に、この授業で彼女が動く。


「先生、提案があります。私、前からあの奥の紫の葉っぱが気になってたんです。あれをギズモのリコさんに採ってもらってはどうでしょうか?」


 そう提案したのがフェルエ・ラザニアである。

 因みに、顔はにやけていた。

 ユニオン王国での辺境伯という爵位は、通常の伯爵位とは違う。

 イベルコ山の向こうには異教徒が住む国がある。戦争をした歴史もある。

 その城壁代わりの山を押し付けられているため、独自裁量権が認められている特別な爵位だ。

 今は伯爵位だが、遥か昔はラザニア公領として一国のように振舞っていた。

 とは言え、三代前あたりからいざこざが起きていないから、今は当方の田舎領主と変わらぬ力しかない。


「フェルエ。お前、それ本気で言ってんのか?」


 そんな時、少し乱暴そうに聞こえる男の声が十五人の生徒の一人から上がった。


「なぁに、ゼミティリ。貴方は興味ありませんの?平民がどれほど優れているのか、私は知りたくて仕方ありません。だって、平民が首席なんですよ?」


 伯爵の嫡男ゼミティリ。

 真っ黒い髪に褐色の肌の190cmほどの男だ。

 キャロットが話した四大貴公子の一人である。

 後の紹介となってしまったが、フェルエの肌もゼミティリ同様に褐色に近く、彼女も長身である。 

 そして体格に勝るゼミティリは気にもせず、フェルエに突っかかった。


「あぁ!?バカか、お前。あれはマンドラゴラだろ。抜いた者はもちろん、この場の何人もが卒倒する。魔力が低い者なら死に至る」

「え…」

「そうだ。危険なんだよ、平民の女。こいつの言ってることは無視しとけ。先生も何、固まってんだよ」


 リコは流石に固まってしまう。

 片耳にピアスの怖そうな男で、目つきも声も鋭く怖いからではなく、とんでもない草を抜かせようとしたフェルエが怖かったからだ。

 その後も彼はリコの顔を見ようともせず、ただ半眼をフェルエに向ける。 


「…私は固まってなどいません。今から注意しようと思っていただけです。フェルエさん、アレは後期の授業で使うものだから、今は引っこ抜けません。ですから、今回はその手前に生えているハジケ草を取りに行って貰います。リコさん、頼みましたよ?」


 元々注意を受けたのはキュピイの筈なのに、ペナルティはリコが背負っていたらしい。

 それに対して、キュピイは何も言えない。

 教職員は皆、貴族と言っても良い。その爵位の大半は伯爵位である。

 キュピイと仲の良いベルガーがいたなら違ったかもしれないが、彼女にだって家族がいる。

 ただ実は、その親友はもっと冷静で、リコの耳元で小さく囁いた。


「ここは大人しく従った方がいいよ。伯爵家でも中身はまるで別物だから。特にゼミティリ君とフェルエさんのところは別格。侯爵家とほとんど同列と考えた方がいいの」

「聞こえているわよ、キュピイさん。全くその通りだけど」

「聞こえている。このイカれ女と同列にはされたくないな」

「ひ、ひぃぃぃ、ご、ごめんなさい!」


 とは言え、残念ながら囁き声も響く形状の植物園だったらしい。

 キュピイは両肩を跳ね上げて、平民の背に隠れてしまった。半分は冗談っぽくだが。

 そのやり取りが終わったとみて、オムレツ伯爵夫人は庶民に命じた。


「リコさん。引っこ抜くときは根本からでお願いしますね」

「はい!」


 どうやら死の草は免れたが、そこでまた友人が後ろから囁く。

 いや、叫んだ。


「リコ、ゴメン。私、ちょっと離れるから!」


 彼女の私語から始まった罰ゲームだった。

 ただ、リコもなんとなくは予想していたし、そろそろ体が疼く頃だった。

 生まれてからずっと、日の光なんて気にせずに土を弄っていたのだ。今の畏まった生活を窮屈に感じていた。

 だから靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、スカートの裾を捲って、ドブ水の中に入っていく。

 この時点で「はしたない」とか「汚らしい」とか「やっぱり土人ね」なんて声が聞こえてくる。


「全く、めんどくせぇ連中だ。弾けりゃ、目と鼻がやられちまうほどの煙が発生する。だからみんな植物園の入り口近くまで引いてやがる。どいつもこいつもマジでイラつく」


 と、ゼミティリの心の声というか囁き。

 ん?囁き?そう、囁き声は植物園内ではよく聞こえる。

 リコの耳はちゃんと届く。彼の言葉をヨハンと重ねながら、泥水の中を進んでいく。


「泥の感触が気持ちいい!あんまり時間は経っていないけど、久しぶりな気がする!」


 そのリアクションに面白くないと言う者、汚らしいと言う者、色々いる。

 ただ、リコには関係ない。


「これですよね!それじゃ、行きますよ‼」


 だから、彼女は嬉しそうにハジケ草を引き抜いた。

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