忌まわしの習俗
板紫
第1話 家族葬
私は昔からフィールドワークを趣味として、さまざまな土地を旅するのが好きです。
20代の頃、大学で親しくなった友人の実家を訪れたことがあります。現地調査でぜひ行ってみたいと思っていた土地でしたが、あまりにも田舎で、既存の情報がほとんどないことから、なかなか縁がありませんでした。
あるとき、飲み会の席で友人の出身地がその場所だと知り、興奮を抑えきれませんでした。いても立ってもいられず、帰省に同行させてほしいとお願いしたのです。お互い学生で交友関係も限られていたため非常に仲が良く、普段から互いの家に泊まり合う間柄でした。そのため話はとんとん拍子に進み、夏季休講を迎えることとなりました。
友人の家族も快く受け入れてくれました。ご家族の趣味や好物を知っていた私は、土産をたくさん持って電車に揺られたことを今でも覚えています。数本の電車を乗り継ぎ、無人駅で降りてしばらく歩き、一日に数本しか来ないバスに乗りました。これまで似たような地域のフィールドワークを経験してきましたが、それでもなお、かなりの辺境という印象を受けました。
バスには私たち以外の乗客がおらず、停留所に着くと、友人の家族が軽トラで迎えに来てくれていました。私は助手席に、友人は荷物と一緒に荷台に乗って家に向かいました。今の時代では問題視されるかもしれませんが、子どもの頃、近所の廃品回収で多くの子どもたちが軽トラの荷台に乗せられて各家庭を回った記憶がよみがえります。
友人宅に到着してからの時間は、フィールドワーク好きの私にとってまさに天国でした。家族は愛想が良く、食事もとても美味しかったです。日中は地域のつながりでさまざまな場所を紹介してくれ、観光では決してたどり着けないような地域独特の場所で調査ができました。夜になると、友人の両親と友人、そして私の4人で地域の人々が集まるスナックへ行き、飲み食いを楽しみました。そこで地域の有力者や祭りの関係者、町内会の皆さんと知り合える素晴らしい環境でした。
普段のフィールドワークでは、数日滞在して地元の飲食店や飲み屋に通い、知り合いを作って少しずつ地域に切り込んでいきます。しかし今回はその必要がなく、最初からすべてが整っていました。怖い話や昔話、最近の出来事、それに関わる建物や場所など、たくさんの情報を教えてもらいました。
滞在して一週間が経った頃、夜に友人宅へ戻ると、慌ただしい雰囲気が漂っていました。スナックで親しくさせてもらっていた、友人の父の弟さんが事故で亡くなったというのです。短い間とはいえ、この地域での数少ない知人だったため私も驚き、葬儀で忙しくなるだろうからそろそろ帰るべきかと友人に相談しました。田舎出身の私には、都会とは異なり大規模な葬儀が行われることが予想できたからです。
しかし、友人の家族は「せっかくの縁だから」と、仲良くなった縁を理由にこのまま見送りに参加してほしいと誘ってくれました。受け入れてくれたことが純粋に嬉しかったですし、フィールドワークの経験則として「田舎の行事に誘われたら無下にしない」というものがあります。考えた末、葬儀にも同席させていただくことにしました。
そこからは本当に慌ただしかったです。仮通夜は自宅で行われ、地方特有かもしれませんが、僧侶が自宅に駆けつけるまでの時間が驚くほど早かったことが印象に残っています。その後、少し大きめの葬祭場へ移動し、もう一日通夜を行いました。自宅での通夜とは異なり、地域外や遠方から駆けつけた人が多かったです。私は受付の手伝いで一日中駆り出されました。
葬儀と火葬を終え、怒涛の数日間でした。都会の核家族とは違い、書類の手続きやその他の段取りが非常にスムーズでした。多くの人が一斉に動ける田舎の良さを思い出し、自分の実家を振り返るきっかけとなりました。
お骨を一旦自宅に持ち帰り、普段より多い人数での夕食となりました。本家である友人宅には親戚や知人が集まり、テーブルをつなげ、手料理や仕出しが並べられました。この段階になると、故人を悼む気持ちはあれど、ホッとした空気が漂い、久しぶりに会う親戚や知人同士が談笑する様子が見られました。
食事が終盤に差し掛かったとき「それでは」とテーブルが片付けられ、立派な陶器の皿が運ばれてきました。私はその皿の上にある「それ」を見て一瞬で凍りつきました。胃液が逆流し、吐き気がこみ上げるのを感じました。
しかし、ここで吐くわけにはいきません
「何をされるかわからない」
という恐怖が私の嘔吐を抑えていました。口をぎゅっと結び、飛び上がりたい衝動を必死に抑えながら、周囲の人々と同じように皿の上の「それ」を凝視しました。
皿の上には、人間の腕が置いてありました。
調理された様子で、醤油で煮たような茶色い見た目でした。大根や人参が添えられていました。普通なら何かしらの反応を示すべきなのでしょうが、私は必死に理性を保ち、言葉を発することもその場から動くこともできず、強張った表情でそこにいるしかありませんでした。
そんな私を見て、友人の父親が声をかけてきました。
「ごめんね、言うのが遅くなっちゃって。こっちの決まりで、亡くなった人の家族がこれ食べなきゃいけないのよ。家族葬だから」
何を言っているのか理解できませんでしたが、友人の母親も続けました。
「大丈夫、私も最初は上手くできなかったけど、親戚の手伝いで何度も練習させてもらったからね。臭いもしっかり消えてるし、味もばっちりよ」
「最初は全然駄目だったな」と周囲から笑い声が上がり、この異常な状況に私はさらに混乱しました。しかし、その様子を見て気づきました。
この人たちにとって、これは「普通」なのです。
過去のフィールドワークでも、首都圏では見られないさまざまな習慣を目にしてきました。テレビのリポーターのようにはしゃいで怒られたこともあります。だからこそ、今この場で妙な反応を見せるわけにはいかないと心から思いました。
目の前にいる人たちは「故人の一部を食べる」のが当たり前の環境で生きているのです。
そう実感すると、場にいる一人一人に恐怖を感じました。誰も嫌な顔をしていません。目の前では、調理された腕から肉が取り分けられ、添え物の野菜と一緒に小皿に盛られていきます。まるで鳥葬のように、皿の上には腕の骨がきれいに散らばっていました。
ああ、そうか「鳥葬」のようなものなんだ。家族でそれを行うから「家族葬」なんだ。
驚愕しすぎて冷静になってしまった頭でそんなことを考えていると、私の前にも小皿が回ってきました。
「おつかれさまでした」
皆が声を揃えて数珠を持った手を合わせ、食べ始めました。
「いい味だね、●●(故人)は米作ってたからさ、食を支えてる人だからいい味すんだな」
「酒が好きな奴だったから肉も柔らかいや」
「これで煙草吸う奴じゃなかったらもう少し甘かったのかもな」
信じられないことに、和気あいあいと「家族葬」が進んでいきました。
私も食べるしかありません。この「当たり前」の空気の中で、私だけが違う行動を取ったら……。人間の本能に逆らい、意を決して肉を口に運びました。添え物の野菜も一緒に、味を誤魔化せるように。
私が肉を口にする瞬間、周囲の顔が一瞬冷たく真顔になり、じっと見つめているのを感じました。こっそり吐き出すことなどできません。食べて飲み込むしかありません。葬儀の後ですから、多少神妙な顔は許されると勝手に思いながら、噛み締めるように故人をいただきました。
「あ、美味しい」
勝手に口から出た言葉でした。なぜそう口走ったのか、自分でもわかりませんでした。その瞬間、周囲の人たちの顔が緩みます。
「そうだろ、良い奴だったからなぁ」
「やっぱり人柄は最後にここで分かるんだよ」
そんな会話から、賑やかな雰囲気に戻りました。普通ではない、絶対に普通ではない。そう頭ではわかっていましたが、私は食べるのをやめられませんでした。
取り分けられた量は、居酒屋で煮物をシェアする程度だったと思います。一度も手を止めず、まるで当たりの飲食店を見つけたときのような感覚で、私は小皿の中を食べ進めました。
そして、溢れ出た汁まで飲み干した後、これもまた意識せず、勝手に
「おつかれさまでした」
と口から言葉が出ました。「ごちそうさま」ではなく「おつかれさまでした」と周囲の人たちが言っている言葉と同じ言葉が出たのです。
友人も私に礼を言い、どこか浮いているような感覚の中、食事はすべて終わりました。驚くことに、その後も皆さんは何事もなかったかのように挨拶を済ませ、それぞれ帰路についていきました。
片付けを終えた後、風呂に入り考えのまとまらない頭で客間に戻ると、友人に
「仕上げがあるからおいで」
と声をかけられ、庭へ向かいました。庭では一斗缶で火が焚かれており、友人の父親がそこに先ほど食べた腕の骨を入れていました。
「これからは家族で火を見守るから、あなたは拝むだけでいいよ」
と言われ、訳もわからず拝みました。翌朝になっても火の番は続き、それは3日ほど続きました。
燃えカスから出てきた骨は形を保っています。家庭で起こした程度の火では、火葬場のようにしっかり燃えるわけではなく、真っ黒になっていました。その骨を無理やり砕き、仏間に置いてある骨壺に詰めた後、皆で納骨に行きました。
道中で友人の父親が説明してくれました。
「右手は神様の物、左手は本人だから。亡くなった人が残せるのは左手だけなんだ。だから、他は神様に返すけど本人は家族で頂くんだよ」
お礼を言いながら、フィールドワークのメモ帳に記録するふりをして考えました。この考えは神社参拝の作法から生まれたものなのでしょうか。それとも神式葬儀の派生なのでしょうか。いや、明らかに仏式の葬儀だったし……。などと考えましたが、結論には至りませんでした。多分考えても無駄だと思ったからです。
その後、夏季休講を半分残して友人と私は住んでいた土地に帰りました。貴重な体験と言ってしまっていいのか、とんでもないことを経験したのではないか。そんな思いもありましたが、他言するようなことがなければ、あとは私が納得できるかどうかだと結論づけ日常に戻りました。
あれから20年ほど経ちましたが、親戚や知人の葬儀を経験するたびにそのことを思い出します。実はこのレポートを書いている今も、知人の葬儀に顔を出している合間の時間に書いています。
葬儀は慌ただしいですが、体が空く時間や待ち時間もあります。そんな時間を埋めるために筆を取った次第です。
今は皆で集まり、飲み食いしながら故人を悼んでいます。
そうこうしているうちに、テーブルの上に次の料理が運ばれてきました。前述した体験の際、友人のお父様には本当にお世話になりましたので、しっかりと味わいたいと思います。生前は地域をまとめ、祭りにも熱心だったと聞いています。一体どんな味がするのか。
友人が私にも小皿を回してくれたので、このあたりで書くのをやめて食事をいただこうと思います。数珠を取り出し、手を合わせて
「おつかれさまでした」
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