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  • 其之陸 天つ空にへの応援コメント

    葵春香さんのレビューに惹かれて読んでみました。素晴らしいものをありがとうございました。
    個人的に好きな朱雀帝が出てくるのが嬉しいポイントです。きらきらのアイドルの影に隠れている普通の人、弟に完敗しているが嫉妬に狂って意地悪することもない、というのが私的には惹かれるのです。そしてもしわたしが二次創作するなら藤壺さんか冷泉帝を主役にするかもしれません。
    古典に浸れる時間をありがとうございました。

    作者からの返信

    朝吹樣

    初めまして。工藤行人でございます。此度は葵さんのレビューから拙文をご高覧下さったとのこと、のみならず素晴らしいレビューまで頂戴しまして有り難うございました。本来は著者たる私こそ真っ先に為すべきことだったでしょう、『源氏』の中で特殊な機能的役割を担わされた“有名無実”の巻「雲隠」の位置付けに発して『雲隠六帖』と云う二次創作の出現する帰結までの概説を、葵さんとご一緒に朝吹さんにもレビューにて担って支えて戴いたように存じます。又、“有名無実”のその“無実”の含意を、韜筆した紫式部の心中を推し量る形で考察された件を拝読しまして、只今「補遺」として書き進めている「源氏“遺詠”小考(仮)」なる小文中に私の言おうとしていたことの一部と通ずる部分が含まれていたことに吃驚致しました。そして「矢張り」「成る程」などと反芻して唸っているところです。

    朝吹さんも朱雀帝、お好きなのですね。実は私もなのです。鷹揚、惰弱、マザーコムプレクス、容貌も器量も凡庸で、皇位に即き乍らも異母弟の劣位に身を置くことへの諦め、羨望、嫉妬、朧月夜の尚侍をその弟に奪われてさえ許しつつ、けれども尚侍の流す涙には静かに「その涙は私と弟とどちらに対して流したものか」などと問うてしまう卑屈、そして弟の意に反してでも愛娘女三宮の意に沿おうとする断乎たる父としての姿……私訳するに際して『源氏』本編をも摘読し、改めて“微笑み乍ら泣く”朱雀帝の内的人物造形を再発見したような気の致しております。現代にも源氏のような御仁はそう居ないでしょうけれど、朱雀帝のような心性の人は屹度、ありふれているような気のしないでもありません。

    裏話になりますけれども、この『〔私訳〕雲隠』の起筆に至った直接の契機は、他の私訳シリーズをご高覧下さった葵さんから「一巻でも良いので『源氏』の現代語訳を」とお声掛け戴いたことでした。そのお返事に私は、真っ先に思い浮かんだ「「薄雲」が良さそうです」としたためたこと覚えております。藤壺の宮か冷泉帝で二次創作……「薄雲」巻と云えばこの二人ですね。両者には未だ未だ深掘りしたり、想像(妄想)したりする余地の相当に残されていそうです。

    勤勉な書き手ではございませんけれども、これからも折々、覗きに来て下さいますと幸甚です。


  • 編集済

    其之陸 天つ空にへの応援コメント

    工藤さん、こんにちは。
    晩秋までお暇を頂くはずでしたが、久しぶりにカクヨムを訪ね、こちらが更新されていたので、こっそり立ち寄らせて頂きました。
    やはり、工藤さんの訳は格調高く、情緒がありますね。しみじみと感慨に耽りました。

    実は、私が『源氏物語』で最も好きな場面が、紫の上が亡くなるところでして。
    女三の宮が正妻になってからの紫の上の苦悩と諦観、出家への哀願、この世への未練はただ光源氏への心配だけという心の流れはとても切ないですよね。光源氏が女三の宮のもとから帰ると、紫の上が一睡もせず、身じろぎもせずに少しだけ袖を濡らして横になっていた場面は印象的でした。
    そして、たった一人の真に愛する女性を幸せにできなかったと光源氏が後悔する場面。
    私が十歳頃に初めて読んだ際、ちょうど若紫の年齢と同じでして、彼女に感情移入をするとともに、光源氏がお兄さんのように感じていました。その後、紫の上は須磨のことや子どもができないこと、自分の身の上から様々なことを耐え、いつの間にか光源氏よりも精神的に成熟していったように感じたのです。

    桐壺帝は桐壷の更衣の面影を求めて藤壺を入内させ寵愛したけれど、最も愛したのは桐壷の更衣ではないかと。光源氏は母の面影を求めて藤壺に恋し、藤壺の面影を求めて紫の上を手に入れた。然し乍ら最も愛したのは紫の上で、その事を彼女の死により自身が痛感したように思います。どちらの男性も、真に幸せにできなかったという後悔が未練になっているのかもしれませんね。
    その事の切なさを、この度、冷泉院の述懐からしみじみと感じました。彼の立場や気持ちを想うと、とても複雑です。

    「其れこそ犯せる罪咎をば隠さんとの邪なる思惑以て出家姿になるのでございましょう」
    この前後の部分も核心を突いていて、心に響きました。出家をしたいと希う心にもいろいろありますね。

    工藤さん、私のお願いを聞き入れて下さいまして、素晴らしい物語を読ませて頂き、誠にありがとうございました。心より感謝いたします。
    ここ数年、自律神経の乱れによる頭痛や目眩、記憶力の低下等に振り回されておりますが、できればまた晩秋に戻りたいと思います。
    現代ものの続きを拝読するのも楽しみにしておりますね。


    ※ 追記
    再読いたしましたが、やはり素敵ですね。
    若い頃に『谷崎源氏』を愛読していた私の母も補作は読んでいないのです。来年に二人で宇治市のミュージアムに行く予定をしておりますので、その時に補作の話をしてみようと思います。
    岩波文庫のを買ってしまいました♪

    それと、「古典の日」で思い出したのですが、最終話の更新日が紫の上の亡くなった日(一説によると葵の上も)であったのは矢張り意図されてのことでしょうか…オタクですみません。
    補遺ものんびりとお待ちしております。

    作者からの返信

    葵樣

    お立ち寄り下さいまして有り難うございます。拙訳、完結させておいて良かったです。ご感想、嬉しく拝読しました。

    只今、身辺に色々と立て込んでおりますため、“本当の”お返事は改めてさせて下さい。金曜の朝にはお送りできるように致します。

    先ずは取り急ぎ御礼のみにて失礼致します。

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    “本当の”お返事、随分と遅くなってしまいました。

    源氏との関係性が「お兄ちゃん」から夫へと変じた後、明石の君の登場、そして女三宮降嫁の後からは弥増して、何時しか年上の源氏以上に紫の上の方こそ大人びざるを得なかった、仰る通りでしょうね。

    「女三の宮のもとから帰ると、紫の上が一睡もせず、身じろぎもせずに少しだけ袖を濡らして横になっていた場面」……「若菜上」を先だって読み返しました。直前に源氏は紫の上の夢を見て、「闇はあやなし(暗いうちに返るのは酷い)」などと女三宮方の女房達の陰口する中で朝明けも俟たずに最愛の人の許へと戻る訳ですけれども、紫の上は袖を濡らしつつも源氏の顔を見て取るや牙骨無い笑顔で迎えるのですよね……冬の朝、戻った源氏が御格子を叩いて開けるよう促しても紫の上に仕える女房達が気付かぬ振りをして開けず、源氏を暫し寒気に凍えさせると云うのも良かった。

    そして紫の上の臨終が描かれる「御法」から「幻」「雲隠(雲隠六帖)」への流れ……その「雲隠」で冷泉院の夢の中に顕れた「こちたかりし御髪の今もめでたく見え給ふ」紫の上が源氏に寄り添うている姿からは、或いは生前に出家剃髪の叶わなかったこと、そしてそのことによって彼女が成仏しなかったことが仄めかされているのか如何なのか……。

    処で「雲隠」のテクストは大きく二系統が今に伝存しているようで、二つを比較してみますと、大まかな筋は兎も角、歌を含めて本文に少なからぬ異同も見られるようです。拙訳は「中世王朝物語全集」のシリーズが主底本とした版本・流布本系の「一類本」テクストに大きく拠っておりますけれども、今一方の写本伝本群のみによる「二類本」のテクストでは、例えば「雲隠」巻の掉尾を飾る源氏の遺詠も大きく趣の異なるようです。以下に定訳とともに並べてみます。

    一類本:吹く風のあともたまらぬ天つ空にしばしは雲のたたずまひして

    吹く風もあとにたまることのない大空にほんのしばらく雲が往来するように、ほんの少しの間、この世で過ごしたことだ〔小川2021〕

    二類本:わくらばにとふ人あらば吹く風の目にも見えこぬ跡と答へよ

    私がどうしているかと、稀にも尋ねる人がいたならば、吹く風の跡が目に見えないように、跡かたもなく姿を消されましたと答えておくれ〔咲本2023〕

    如何でしょうか? 一類本は遺詠を以て“トメ”として余情を残す一方、二類本の歌は何処か素っ気なく、続けて抹香臭いお説教めいた内容が直後に付け足されていて「そりゃそうなんだけど……」と思いつつ、些か首を傾げたくもなってしまいました。と云う訳で、拙訳は一類本(を底本とした校訂本文)に拠って良かったと今は思っております。

    序でに申し上げますと、拙訳では源氏の遺詠に現代語訳を付さなかったのですけれども、その理由は良き折に補遺の形で本篇と別して投稿したいと考えております。

    晩秋の夜長に又、此方にてお声掛けも下さいますでしょうか。再び“お目文字”の叶う日を愉しみに致しております。御身、呉々もご自愛下さいませ。でハ又。

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    追伸:

    有り難いレビューを頂戴してしまいました……愛好者の方々にはご案内のことではあろうところ、『源氏』全体の構成における「雲隠」巻の位置付け・機能的役割や『雲隠六帖』成立の背景について、『源氏』には必ずしも馴染みの無い読者の方々への導入・ナビゲートも必要であったろうと、著した者として今、省みております。
    頂戴しましたレビューは、その欠けたるところを補って新たなる読者の方々の「読み」を支えて下さる“パラテクスト”として、拙私訳の一部にもなって下さったように思われ、大変嬉しかったです。御礼申し上げます。

    お蔭様にて当拙文を新たにご高覧下さった方(葵さんのお知合いの方)もいらっしゃいまして、レビューとコメント、頂戴しております。思えば、本年は沢山のコメントのみならず、人との繋がりをも葵さんから頂戴して許りでしたね。重ねて御礼申し上げます。

    にしましても、宇治のミュージアムにお母様と……それは愉しみですね。私も学部四年の夏に友人と行きまして、体験型の展示やゲームなど愉しませて戴いたこと思い出しました。炎天下、平等院から宇治橋を渡って歩いて行ったのですけれども、途次、“橋守”の通圓さんで戴いた冷茶が身体に沁み込んで行く時の感覚が今に忘られません。大津に宿を取って翌日は叡山に赴いたのですけれども、四方やあれ程に広大とは思いも寄らず、霧の中、東塔・西塔まで見て時間切れとなってしまい、肝心の横川を見られず泣く泣く新幹線で帰京(と云うと都の人々に叱られましょうか)したこと懐かしいです。

    ……脱線してしまいました。岩波文庫は宣長の「手枕」が入っているのも嬉しいですね。コンパクトですから、旅のお供に打って付けではないでしょうか。

    そして何より最終話更新日のことです。私個人の密やかな自己満足と愉悦で終わるはずだったのですけれど、流石に“オタク”の方にはバレてしまいました……小賢しいことと何とぞお笑い下さいませ。

    補遺「源氏“遺詠”小考(仮)」の進捗は、依然として資料だけ集めてそのまま、と云った状況ですけれども、此度、葵さんから少し早い“クリスマスプレゼント”を頂戴したような気の致しておりますから、私もなるべく“クリスマスプレゼント”か、せめて“お年玉”か、と云った頃おいにはお目に掛けられればと存じます。でハ又。

    編集済

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    其之参 新院の夢への応援コメント

    こんにちは。
    工藤さんの訳、胸にすっと入ってきて、源氏の世界が広がる感じがいたしまして、素晴らしいです。情景や、人物それぞれの想いがしみじみと伝わります。

    各人が中年期以降であるから昔の想い出が胸にあり、然れども他者を慮るがゆえに自問自答するさまが切なく、共感もいたしました。
    朱雀院が紫の上のことを仄めかすような歌を詠んで寄り添っても、源氏は「上のことなど口端に上すること無き」というところ、胸が詰まります。

    また、源氏が「打ち萎れたる」ようすで「御勤行をなさ」っている隣りに美しいままの紫の上が居るのを、冷泉院が夢に見るというところも、とても切なく。せめてどこで父親が勤行をしているかだけでも確と知りたいというのは、この様に複雑な生まれであれば尚のこと当然の想いでしょうね。

    それと、罫線がとても可愛らしい。雲間にある太陽が一つずつ右へとずれていくデザイン、素敵です♪ 続きも楽しみにしております。

    ※追記
    縦組みにして拝読してみました。
    矢張り、縦組みの方が古典の趣きが出ますね。
    罫線のこと、太陽が源氏の隠喩で次第に雲隠れしていく…ということなのかしら…あはれですね。

    作者からの返信

    葵樣

    何時もコメント頂戴しまして有り難うございます。

    拙訳の“生みの母”に等しい葵さんに然様に仰って戴きますと大変嬉しく安堵致しました。実は“語り”の調子には今以て逡巡もあることですから随処に揺れも生じておりましょうけれども、一先ずは侭にて行こうと存じます。

    にしましても、紫の上のこともあって出家遁世を決意した弱った源氏が最後に頼れるとしたら慥かに兄朱雀法皇しかいないと云う展開は妙に納得してしまいますね。位人臣を極め、竟には准太上天皇にまで登り詰めた当時の源氏にとって、最早、対等に語り合える、若しくはそれ以上の尊親が朱雀院しかいないと云う事実には、最愛の人に先立たれた孤独に輪を掛けて、“至尊”ゆえの孤独も際立つようです。
    とは云え『あさきゆめみし』などでも、“強い”頃の源氏に「やさしい方だがおつよくはない」と評された朱雀院の、然しその「やさしさ」に縋りたくなってしまった側面も見受けられて、のみならず、そうして縋っており乍ら、葵さんも触れて下さっているように「紫の上のことを仄めかすような歌を詠んで寄り添」われても同調し過ぎないところは絶妙です。未だ整理の付かない紫の上への思いの深さゆえなど様々に解釈の出来るにしても、仮令、兄に対してであったとて自身の持つ不可侵の領域は譲れない、若しくは弱みを見せ切れない弟の「意地」のようにも私には思われて、何やらいぢらしくさえ感じられてしまうのです。

    冷泉院の夢で紫の上が源氏に寄り添っているところも非常に印象的ですね。読み乍ら「傍に紫の上が居るよ!」と叫んでも、夢の中の当の源氏に分かるはずはなく、読者は只管に歯痒さを覚えるより外ない訳です……。

    関連の図書や論攷に導かれて色々と調べておりますけれども、内容は云わずもがな、それよりも表現上において、予て思うていた以上に『源氏』本篇が巧みに取り込まれているようで、「彼処だ、彼処だ」と本篇と見比べ乍ら書き進めておりますため、進捗が稍少しく遅くなっておりますものの、引き続きお付き合い下さいますと幸いです。

    追伸:
    罫線のこと、お気付き下さったのですね。野暮天なのですけれども、実は縦組みビューワー設定にすると……?

    編集済