昇降口は、わたしを女子中学生にしてくれなかった。
夕幻吹雪
靴を履く
「おはよう~。ねぇねぇ、昨日のテレビみた?」
「はぁ?テレビとか古すぎ。笑うんだけど」
「そんなことないでしょ。……はぁ、りゅう様かっこよすぎ」
朝の昇降口は、生徒たちの囀り声で満ちている。ぴちぴちぱーちく。とりとめのない会話が唇からこぼれて広がっていく。
「はよー。あれ?お前今日休むんじゃなかったのかよ?」
「……母ちゃんに見つかってずる休みは延期よ。あー、くっそ」
「だせー。ちゃんとやんねーからだろ」
「うるせーな、あのな、俺がどんだけ必死に仮病を訴えたと思ってるんだ!」
「……そんなことより今日の給食なんだろなー」
朝の昇降口って不思議だ。
みんな、学校が好きで来ているわけじゃないのに、なんだか楽しそう。外を歩いてきた土のにおいのする靴を、おりこうさんに脱いで、下駄箱に突っ込む。別に、脱がなくたって、怒られやしないのに。でも、みんなきちんと守ってる。
ルールだから?
そうかもしれない。でも、それだけじゃない。
「なぎさー!おはよう」
昇降口のそばで突っ立ていたわたしに、明るくてよくとおる声がうしろから聞こえた。近づいてきたのは、サエだ。なぎさ。わたしの名前。彼女は昇降口の階段よりちょっと離れたところから笑ってわたしを呼んでいる。
はいはい。そんなに大きな声で呼ばなくても聞こえてるってば。
昇降口の前には8段ほどの階段がある。コンクリートでできた、鼠色の、ところどころ砕けた古ぼけた階段。
いったい何人の生徒に踏まれてきたのか。もとはきれいな鼠色だっただろうに、今は土と、ほこりとあとは苔がうっすらと化粧をしてしまっている。
「なぎさ、今日もはやいねぇ。感心感心」
中学校で指定されたスクールバックを肩にかけ、サエは短いポニーテールを揺らした。笑うと八重歯がのぞくかわいい子。
「べつに、早くないよ。っていうかサエが遅いだけでしょ?」
「ええーー?そんなことないって!遅刻してないじゃん!」
「遅刻ぎりぎりですー。もう、ほらいくよ!ちこくしちゃうんだから」
とりとめのない会話。生徒たちは昇降口で囀る。教室じゃない。昇降口だ。
外履きを脱いで、上履きに履き替える。パン、パン、パタパタ。
靴が学校の床にたたきつけられて、散らばる様子はいつも面白い。だって、靴って放り投げるといっつも変なとこにいちゃうんだもん。思ったところにいかない。でも、それでいい。それがいい。
「なぎさ、今日部活どうするの?」
サエの言葉にわたしは一瞬返事に困った。
わたしとサエは吹奏楽部に入っている。でも、わたしはここ最近部活に行っていない。1年の後期からずっと。わたしは幽霊として吹奏楽部に入っている。
「……んー、どうだろう。行かないかもなぁ」
別に、行かないことを悪いだなんて思っていない。でも、サエはそれをどこか悲しそうにとらえている。彼女の大きな猫目がそういっているからわかる。
部活に行かないことは、悲しいことなのかな。べつに行かなくてもいい気がするけど。
朝の昇降口って不思議だ。だって、今日の新しい一日を始めるのに、ここはいつでも私たちを帰そうとしてくる。みんなに開かれた魔法の扉。普通の女の子から女子中学生に変身させる力を持つ扉。
憂鬱な扉。
じめじめとした、どことなくかび臭いこの空間は、ほこりもうっすらと漂っている。
部活にはいかない。行かなくたって怒られないもの。でも、本当はいかないといけないのだとそう感じる。
「……サエは、部活に行くの?」
かかとをゆっくりと靴にしまいながら、わたしはサエに尋ねた。そういえば、今日は髪をまとめていなかったな、とかがんだ時気が付いた。
別に、サエが部活に行こうと行くまいと私には関係がない。
だって、わたしは弱いから。
中学になって始まった「部活動」は、わたしを一足先に縦社会の難しさを痛感させた。先輩と後輩。この制度、ほんとうにいらないと心の底から思ってしまう。
小学校の時までは、6年生も1年生も、みんな仲間でいられた。「先輩」なんて仰々しい肩書、存在していなかった。
けれど、中学校という箱はどうだろう。
小学校まで仲の良かった一つ上の学年の友達を、「先輩」として崇め、礼儀を尽くさないといけない。
いったい誰が想像したのだろう。小学生であったときの感覚のまま、話しかければ「常識がない子」というレッテルを貼られてしまうだなんて。
「行くよ、部活。っていうか、行くものでしょ?なぎさが行かないって言う方が変だよ」
「……そうかな。あんまり好きじゃないんだよね」
昇降口は、普通の女の子を女子中学生に変身させる魔法の扉。
「そうやってまた逃げるわけ?なぎさは昔から甘えん坊だなー」
でも、その魔法の扉はすべての女の子を変身させてくれるわけじゃない。
キラキラで、おしゃれな子だけを選別する、ふるいの扉だ。
「まぁ、なんにせよ。ちゃんと部活来なさいよ!みんな言ってるのに、なぎさだけ行かないとか、許さないし」
じゃ、と言ってサエは先に歩いていた友達の元へ向かって走っていく。サエと同じキラキラな女の子たちの元へ。
残されたのは、わたしと汚れが目立つようになった上靴だけ。
「わたしも、許せないよ……サエ」
昇降口は、魔法の扉なんかじゃない。
わたしの友達を他人に変える、魔物の扉だ。
昇降口は、わたしを女子中学生にしてくれなかった。 夕幻吹雪 @10kukuruka31
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