4-11

「あれ、ここって——」


 オイラーは周囲を見渡す。

 そこに広がっていたのは懐かしい光景。リサイクルショップで買った学習机、本棚。バイト先の先輩から譲ってもらった食器の数々。狭くて古臭いデザインの一室。それでも世界一安心できる場所だった……学生時代に暮らしていたアパートの部屋。

 そして、部屋の隅にある小さなシングルベッドには、裸のまま眠る彼女の姿があった。


「リーナ……」


 当時付き合っていたエルフの彼女。

 バイト先で出会い、趣味の映画鑑賞をきっかけに関係を深めた。

 自分から彼女に告白し、それを彼女が受け入れてくれた時は世界が光り輝いて見えた。

 それから何度も体を重ね、心を通わせ、将来のことだって真剣に考えていた。


「……あれ、起きてたのオイラー」


 彼女は欠伸を噛み殺しながら、眠そうな目を必死にこすっている。

 そして、隣にいない自分の姿を視界に捉えようとして、今にも閉じそうな目を見開いた。


「え、あなただれ……!?」

「…………」


 戸棚のガラスに映った自分の姿を見て、全てを理解した。

 そうか、これはあの時の再現ってことか。


「いやああああああああああああああ!! なんでここにヒューマンがいるの!? オイラーはどこ!? 誰か助けてえええええ!! わたし殺される!!」


 簡単な話。彼女が愛していたのはヒューマンのオイラーではなく、エルフの姿をしたオイラーだったということだ。

 また、あの地獄が再現される。



「頼むから殺してくれええええええええええええ」

「ゼインお願いだ……! 早く楽にしてくれ」

「くそ! ゼイン! この裏切り者が! テメェのせいで俺たちは!」


 目の前では仲間たちが拷問されていた。俺は何もできない。目をそらさずにこの光景を見続ける。それが俺に課せられた罰だった。

 肉が焼ける臭い、肉が腐る臭い、むせ返るような血の臭い。

 人間の中身が全てぶちまけられたような場所で、俺は涙、鼻水、吐瀉物で顔をぐちゃぐちゃにして立ち竦んでいるだけだった。


「ごめん……! 本当にごめん……!」


 記憶の隅に隠していた光景。

 過去からの追跡者。忘れるな、逃げるな、目をそらすなと語りかけてくる。



「死ね! 売女!」

「この国から出て行け!」


 また窓ガラスが割られた。母は「気をつけてね」と私に声をかけると、ちりとりとほうきを使って飛び散ったガラスを拾い集めている。


「ねぇ、お母さん。私たちが何をしたっていうの……?」

「彼らの生活を脅かしてしまったのよ」

「でも、私たちは何もしてない!」

「そうね。だけど、私たちは個人であると同時に集団でもあるの。彼らからすれば私たちは移民という集団に属している人間なのよ」


 母は何をされてもこの国のことを悪く言わない。

 悪い人もいるけど、良い人もいる。それが母の考えだった。母は個人と集団の切り分けがしっかりできる人だったのだ。


「でもこんなのって……!」

「大丈夫。私はヒューマンだけど、あなたはエルフの血も入ってるから。だから、私さえいなくなれば……全てが解決するわ」


 母は笑っていた。

 追い詰められた人間は心から楽しそうな笑顔を浮かべる。そんなことを私はこの時の母を見て知ったのだ。



「慶太。ご飯できたぞー」

 築六○年のボロアパート。古くなった木の匂いが充満する部屋で懐かしい声を聞いた。

「……おじさん」

「なんだ変んな顔して。俺の顔になんかついてるか?」


 なるほどな。これがゴブレットの能力か。おじさんは死んだ。これは誰にも覆せない事実。そのおじさんが目の前にいる。対象にとって耐え難い幻想を見せる……か。


「それともあれか、勉強のしすぎで疲れちまったか?」

「いや、そっちは順調だよ」

「そかそか。慶太は俺と違って優秀だからな。良い大学に入って、良い企業に入って、綺麗な奥さんを捕まえろよ。ま、顔は俺似てイケメンだから、綺麗な奥さんは大学に入らなくても捕まえられるかもしれんな。がははははははは」


 ————これは俺が大学に進学する前の光景か。

 おじさんが進学の費用を貯めるために、深夜のアルバイトを増やし出した時期だ。


「確かに顔はいいけど、おじさん童貞だからな」

「ど、ど、童貞ちゃうわ! 一応素人童貞だからな!」

「もっと恥ずかしいよ、それ」

「やめいやめい! 甥っ子にまで憐れまれてたまるか!」


「————なぁ、それって俺のせいだろ?」

「…………」

「まだ若いし、顔もいい、定職だってある。俺さえいなければ優良物件だろ」

「教えてくれ。どうして俺のために人生を使ってくれたんだよ」


 おじさんは何一つ言葉を発しない。……そうか。これはあくまで幻想。

 過去に戻っているわけでもないんだ。俺が知らないことを目の前の幻想が答えられるわけはない。

 死人に口なし。俺はもう二度とおじさんと会話をすることはできない。

 そして、感謝の気持ちを伝えることも一生叶わないのだ。


「おじさん。俺はいくよ。叔父さんに恩返しをできなかったこと、きちんと感謝の気持ちを伝えれなかったこと、あとはそうだな、一緒に酒も飲みたかったし、結婚して幸せになってほしかった。俺はそれを一生後悔し続けるよ。そのことだけは許してほしい。でも、足は止めないから。おじさんみたいなカッコいい人間になれるように、これからも進み続けるから」


 どんなに悔やんでも過去は変わらない。

 だから、今を大事にする。

 もう二度と後悔しないように、俺は今を全力で生きなければならない。



「やれやれ、私の負けみたいですね」


 さっきまでの幻想は綺麗さっぱり消え去り、目の前には落胆の表情を浮かべるゴブレットの姿があった。どうやら、俺はやつの能力から無事に解放されたみたいだ。


「あんたの能力、俺との相性が悪いみたいだな」

「そうみたいですね。能力をかけてから一○秒もせずに解除されるなんて初めてです」

「解除の条件は……トラウマの克服ってところか?」

「そうですね。まぁ普通なら、トラウマというものはそう簡単に克服できないはずですが」


 たしかに強力な能力であることには間違いない。

 人間生きていればトラウマ、挫折、失敗の経験なんていくらだってある。その弱い部分に作用する能力というのは、うまく使えば対象を誘導、支配、洗脳することだって可能だろう。


「しかし、どうしてあんたはその能力を最初から使わなかった? そうすればここの囚人たち全員を洗脳することだって可能だったはずだろ」

「物理的には出来なくはなかったと思いますが、私の能力にも色々と制約がありますからね。————それに、それだと面白くないでしょう? 自分の意のままに操れる人間なんて。私は人間が幸福に生きようと必死にもがいて、地獄へ進んでいくのが好きなんです」

「やっぱりあんたとは友達になれなそうだよ」


 相変わらず趣味が悪い。来世なんて信じていないが、仮にあったとしてもゴブレットと付き合いがあるなんていうのはご免だ。


「残念です。さて、それではこのゲームはソーダ君の勝ちです。なので、お仲間にかけさせていただいた能力も解除させてもらいますね」

「いや、大丈夫だ。あと一分もすればみんな戻ってくるさ」

「お仲間を信頼しているんですね。それでは私はここで待機してますので、もし厳しそうだったらもう一度声をかけてください。いつでも能力を解除しますから」

「心配は無用だ。もう俺からあんたに話しかけることはないと思うぞ」


 オイラー、ゼイン、エルシィの三人なら大丈夫。

 彼、彼女には暗い過去がある。それでも、三人は幸せに生きようと今も足掻いている。

 人間は幸せに生きようと思った時点で幸せになれるんだ。

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