4-10
「……やれやれ、私の部下はなにをやっているんでしょうね」
所長室に入ってきた俺たち四人を見て、ゴブレットは大きく溜息をついた。
ただ全く想定していなかった事態というわけではなさそうで、眉ひとつ動かさず低く落ち着いたトーンで言葉を紡いだ。
「あんたの部下たちなら仲良く縛られてるよ」
「なるほど、なるほど。誰一人殺されていないと。ははは、安心しました。——ということは、私の命も保証してくれるわけですよね?」
ゴブレットは気味の悪い笑顔を浮かべている。
部下たちの心配をするつもりなど毛頭もないようだ。ゴブレットのことも殺そうとまでは思ったいなかった。だが、このような舐めた態度を取られると複雑ではある。
「ふざけてんじゃないぞ! ゴブレット! テメェが俺の仲間にやったことは忘れてないぞ!」
その様子を見てゼインが吠えた。
拷問の末殺された仲間のことを思えば、ゼインの怒りも十分に理解できる。
「ロブナード君。落ち着いてください。私だってやりたくてやったわけじゃないんですよ。所詮、私も雇われの身で……ルールに従っただけです」
「ルールだと? 人の皮を剥ぎ、手足を切り取り、生きたまま熱湯に放り込むことがルールだっていうのかよ! 違うだろ、全部あんたが指示したことだろ! 責任逃れをするな!」
「私が指示したことは認めます。しかし、それも私の使命を全うするためです。私の仕事はこの収容所から囚人を逃さないこと。ロブナード君。人の行動を抑制する上で、ある程度の恐怖は必要なんです。実際、君だってつい最近までは逃げようとなんて微塵も思わなかったでしょう?」
「そ、それは……!」
「社会の構成員である以上は、社会の秩序を守る必要があります。君の仲間には気の毒なことをしました。だけどこれはこの社会にとって必要なことだったんです」
やはりこの男は手強い。サディストで人を痛ぶるのが好きなのは疑いようがないが、言っていることは何一つ間違っていないから立ちが悪いのだ。
ゴブレットは象徴的な人物だ。この世に絶対的なものがないことの。
正義も悪もあくまでそれぞれの見え方でしかない。だから、この男を悪として断罪することはできない。
「ゼイン、何を言ったって無駄だ。ここに審判はいない。俺たちだけじゃ善悪は判断できないんだ。今できるのは自分の中の正義を信じることだけだ」
「ははは、やっぱりソーダ君は聡いですね。ここまでのことを成し遂げるだけある。これでもそれなりに警戒していたつもりなんですがねぇ」
「あんたの態度は釈然としないが命まではとらない。俺たちはとっととこんな場所からおさらばさせてもらうぜ。だから————ゼイン悪いな」
目の前の男はゼインの仲間の仇だ。
殺してやりたい気持ちも理解ができる。だが、この男は間違っていない。この社会において求められる立ち振る舞いをしただけ。一方的に裁いていい道理はない。
「……言っただろ。俺はケータについていく。ケータが決めたことなら従うさ」
「ありがとう」
その胸の内までは分からないが、ゼインは俺の方針に従ってくれた。
「ははは、さすがはソーダ君。凄まじいカリスマ性だ。どうです? 今回のことは不問にするのでぜひ私の部下になりませんか?」
「……それ、わざわざ答える必要があるのか」
「そうですね。無駄なことをしてしまいました。いやー、それにしてもソーダ君はすごいですね。ねぇ、キリエス君? この間はあんな目にあったのに、彼のことを最後まで裏切らなかったですもんね」
「…………」
オイラーは静かにゴブレットを睨みつけている。それもそのはずだ。ゴブレットの指示で気絶するまで何度も鞭で打たれたのだから。
しかし有難いことに、それでもオイラーは俺のことを売らないでくれた。
「それにフレイヤさん。あなたがそちら側にいることも驚きですよ。あなたはシュームの人間ですよね? 確かにあなたの境遇には同情しますよ。それでも、この社会の恩恵は受けてきたわけじゃないですか。だというのに、そんな簡単にこの国を裏切ってしまうんですね」
「……そうですね。私がこの社会の教育や制度を享受したのは事実です。しかしだからといって、間違っていることを正せないのはおかしいと思います。ハーフエルフの私には、口が裂けてもこの国が健全だとは言えません」
エルシィのまっすぐで迷いない言葉。
初めてあった時はおとなしい子だと思った。……しかし、それは俺の勘違いだった。彼女を知れば知るほど分かる。彼女はこの理不尽な社会でも折れない力強さを持っていた。
「やれやれ、みなさん手強いですね」
「大人しく投降すれば手荒な真似はしないぞ」
「魅力的な提案です。しかし、申し訳ございません。私も一応、この収容所の所長を務めております故。面目を保つためにここで無抵抗というわけではいかないんですよ。なので、最後にゲームをしようじゃありませんか」
「ゲームだと……?」
この男、此の期に及んで何を企んでいる。
薄ら笑いを受かべて余裕そうにしているが、なにか策でもあるというのか。
「ええ、キリエス君には軽く話しましたが、私の能力は想像がついていますよね?」
「まぁな」
オイラーのリサーチが正しければ、やつの能力は他人を服従させる能力だという。
つまり、催眠、洗脳などの精神や脳に働きかけるものである可能性が高い。
「私の能力は『対象にとって耐え難い幻想を見せる』というなかなか趣味の悪いものでしてね。ゲームのルールは簡単です。この能力を受けても、あなた方が再起不能にならなければあなた方の勝ちです。その時は私ももうお手上げですからね」
「断る。そのゲームに興じるメリットが何一つもないじゃないか。あんたに能力を使われる前に速攻でケリをつけてやるよ」
こんなのは交渉にすらなっていない。
俺は享楽的な人間であるが、これでも一応社長をやっていたのだ。損得や費用対効果というものを常に意識している。
ゴブレットの意図するところは計りかねるが、この提案はどう考えても論外だ。
「そうですか……。しかし、すみません。あなた方にゲームへの参加可否を伺うつもりはないんですよ。これはただの事後報告です。実はもう、私の能力はすでに発動していますから」
「なっ————!?」
「では、ゲームスタートです」
目の前の景色が歪んでいく。不敵に笑うゴブレット。
ちくしょう……会話はただの時間稼ぎだったということか。
追い詰めた気になって完全に油断していた。最後の最後で詰めの甘さが露呈してしまった形だ。
慌ててゴブレット目掛けて走り出そうとするが、足が石のようになって全く動かない。
そのまま為すすべもなく、俺は景色が移り変わっていくのを眺めることしかできなかった。
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