第18話(桃花視点)


  7


(あの怪物全部やっつけられたら、そん時はおまえを家までちゃんと送ってやるからな)


 ――終わりが近づいている。私がそう感じたのは、彼がそう言ったときだった。

 彼が終わりを望むことが私にとっての果たすべき使命だったはずなのに、私は素直に喜ぶことができなかった。

 彼はまだ気付いていない。その先にある意味を。

 今はまだ気付いていないと言うのなら、今、この時を惜しまぬようにしよう。私の時が終わるまで、その時まで、できる限りそばにいよう。――そう思った。


  ◇ ◇ ◇ ◇


 その少年は突然に現れた。その姿は私の想像を越えた姿だった。


「僕らに与えられたものが君に与えられた。君が与えられたものが僕に与えられた。当然の結果じゃないか」


 少年は私を瞳に捉え、そう言った。よくよく考えれば、わかるはずだった。しかし、それはあまりにも早すぎた。

 ――もう、そこまで来ていると言うことなのだろうか。


「な、何者なんだよ! そいつは!」


 澤見さんが後ろで叫んだ。今は自分のことなど考えてはいられない。今は、彼を守らなくてはならない。少年の攻撃を押し返し、少年との距離を置く。彼は殺気を解くことなく、癇に障る口調で答えた。


「何者だなんて寂しいこと言わないでよ。もうずいぶん長い付き合いじゃないか」


 本当に癇に障る。どうしても彼らとは合わないように出来ているらしい。少年から目を離すことなく、後ろにいる澤見さんに向かって言った。


「――澤見さん。彼が、最後の怪物です」


 私がそう言うと少年はニヤニヤと笑いながらこれを訂正した。


「怪物だなんて酷いなぁ。せめて鬼って言ってよ。それが僕らの本当の呼び名なんだからさ」

「ほんとうの……呼び名?」


 澤見さんが少年に聞き返した。すぐさま少年は答えた。


「そうさ。そういう風にあんたが決めたんじゃないか。――っていっても解ってないんだろうけどね」


 けらけらと軽く笑う少年はその体つきに似合わない武器を構えなおした。


「俺が……決めた……?」


「澤見さん! 彼の声に耳を傾けてはなりませんっ!」

「酷いね。そうやって真実から心を逸らさせるなんて……まあ、君を倒せばいいだけだから簡単な話だけどね」

「おまえは……まさか……」


 澤見さんはそう呟いて、私と少年を見比べた。その目に戸惑いを感じた。

 澤見さんは気付き始めている。私と、少年と、そして自分のことに。話すときが近づいている。でも今はまだ早い。今はこの少年を退けるほうが先だ。


「澤見さん。これが終われば、すべてをお話します。ですから、今は私を信じて……」


 澤見さんは一度瞳をぎゅっと閉じて、私の瞳をみて、こくりと頷いた。それを確認すると私は再度、刀を構えた。私とずっと戦ってくれた刀の『桃花』。これが最後の戦いになる。握り締める手は強く、決意を表す瞳は迷いなく少年を――いや、最後の鬼を捉えていた。

 彼の攻撃範囲はざっと見積もっても二メートル前後ある。圧倒的に彼のほうが優位に立っている。打って出ることは出来ない。となると……。


「カウンターを狙っているのかい? 芸のない子だね。――それに僕を他の鬼と一緒にしないほうがいいよ」


 そう言い終えて、彼の表情から笑みが消えた。そして、その場の空気が一変した。彼から発せられる殺気がその場に満ちた。極度の緊張感の中、何の前触れもなく少年が私との距離を縮めた。

 下から上へ払うように少年の槍が振られる。打ち下ろすようにそれを防ぐ。しかし、反撃するには遠く、常に私の射程には入ってこない。少年はその攻撃の手を緩めることはない。


 喉元めがけて容赦なく突いてくる槍を刀で払い、かわす。少年は次々と攻撃を仕掛けてくる。かわすことは出来るが反撃に転ずることが出来ない。どうしても槍と刀では攻撃範囲が違いすぎる。

 しかし、私が少年に攻撃を与えられないのと同様に、少年の攻撃もまた、私には届かなかった。なぜなら、私は少年の動きをほんの少しだけ読むことが出来るからだ。

 少年が足を狙えばそれをかわし、突いてくればそれを打ち払い、全て最小限の動きでかわすことが出来る。


 今までの鬼との戦いでもそうだった。圧倒的に力が劣っていても、それでも勝つことが出来たのは彼らの動きを読むことが出来たからだ。

 冴えている。ほんの先ほどまで鬼と戦っていたためだろうか、研ぎ澄まされた神経が少年の動きを読んでくれる。流れるような槍の連撃をかわし、少年を自分の距離へと捕らえた。

 少年の槍を払い、彼の腹部に向けて、狙いを定めた。


 ――もらった。そう思ったときだった。


 腹部に激痛が走った。気付くと腹部に槍の柄がめり込んでいた。


「予想外だったかい?」

「な……なぜ……」


 完全に読んでいたはずだった。まったく見えなかったし、まったく感じる事もなかった。


「なぜって、今、君が知ったって仕方のないことだよ」


 少年は槍を振り上げていた。街頭の光がまぶしく、少年の表情を窺うことが出来なかった。


「――だって君、今から死ぬんだし」


 激痛が走った。熱い何かが、身体を走った。体から一気に力が抜け、芯を失った足はもろく崩れていた。目の前に右腕が落ちていた。耳の真横で鐘を鳴らされているような痛みが頭に疼く。痛みをたどり、手をやるとドクドクと血が溢れていた。押さえても止まらずに、血が手を汚す。右腕を斬られた。そう気付くのにどれくらいかかっていたのだろう。いや、まだ数秒しか経過していないのかもしれない。

 ふと、地面に手をついていることに気付く。右腕を押さえていた手が、先を探ると地面にあたる。


 ――先がない。腕の……先が。


 目の前に右腕が落ちている。この切断された右腕は………。

 少年の背が見えた。澤見さんが何かこちらに向かって呼びかけている。少年の手には血のついた白銀の槍が握られている。先端から血が滴り落ちていた。


 ――私は何をしているのだろう。こんなに痛いのに私はどうして戦っているのだろう。


 彼女から与えられた使命だから?


 ――違う。使命の為だけじゃない。


 それが私の存在理由だから?


 ――違う。そんな理由じゃない。


 立ち上がれない。私は敗北したのだから。


 ――そんなことない。私はまだ戦える。


 そうだ。立ち上がらなくては。


 ――澤見さんが危ない。危険が迫っている。


 私はまだ、何もしていない。


 ――澤見さんを守らないと。


 そう心に決めたのだから。


 白濁とした意識が次第にはっきりしてくる。少年はすでに槍を振り上げていた。

 スカートの裏に手をやると硬い金属の感触。念のために仕込んでおいた投げナイフ。

 今にも少年は槍を振り下ろそうとしている。たとえナイフを投げたとしてもあたることはないだろう。それでも注意を逸らせればそれでいい。そう思いナイフを振りかぶりすぐさま、少年へと投げつけた。


 気配を察したのか少年は振り返り、ナイフを弾いた。失った右腕を押さえ、立ち上がろうとするが、足に力が入らない。座り込んだまま、少年を睨みつけた。今頃、息が絶え絶えである自分に気付く。


「まだ生きてたんだ。頑張りやさんだね」


 そういって、少年は服の袖を捲くった。深々とナイフが刺さっていた。一本だけ命中していたらしい。

 少年がゆっくりと近づいてくる。武器はもうない。桃花も切断された右腕の近くに転がっている。今の状態では拾っても振ることが出来ない。

 少年が目の前に立った。何の策も思いつけない。少年の槍に突かれて終わるのだろう。その間に澤見さんを逃がすことぐらいは出来るだろう。

 澤見さんの方を見ると足が震えているのがわかる。最後まで守ってあげられなかった。それだけが悔しい。そう思い、また少年を睨みつけた。


「気に食わないね。どうしてそんな目で見るのさ」


 そう言って少年は私の顔を蹴り上げた。口の中を切ったのか、血の味が舌に広がる。


「そうやって負けたにもかかわらず、邪魔ばかりする。ほんと、気に食わないね」

「――だまれ」


 喋ると口から血が流れ出た。


「強気だね。今から死ぬってのにさ……。でも楽には死なせないよ」


 そう言って少年は槍を掲げた。突き下ろすと、直後に激痛が走った。身をよじり、叫び声をあげていた。見ると腹に槍が突き立っていた。貫通しているのがわかる。口から血があふれ出てくる。


「痛いかい? 痛いだろうね。だったら、早く消えなよ。あいつのことは僕に任しといてよ」

「―――っている……」


 かすれた声が出た。口から出る血を、再度吐き出す。


「ん?」


 首を傾げて聞き返してくる。少年を睨みつけたが、少年はにやにやと見つめている。苦痛に歪んでしまっているのだろう。


「黙れと……言っている……」


 少年はため息をついて、槍を引き抜いた。大量の血が吹き出る感覚がした。


「強いね。ほんと、強い」


 少年のくつくつと笑う姿がぼんやりと浮かんだ。


「今日はその頑張りに免じて逃がしてあげるよ。ちょっと本気で戦ってみたくなった」


 そう言って、少年は一度傷口を蹴り上げて、ケタケタと笑った。


「そのくらいの傷、今の君なら一晩あれば大丈夫だろ? 明日の晩、桜花の下で待ってるから」


 じゃあね、と言うと少年は惨状だけを残してその場を立ち去った。

 空には綺麗な満月が顔を見せていた。それが私の見た最期の満月となった。

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