第4話
俺はクラスメイトに誘われて屋上で昼休みを過ごした。昼食を食べ終わるとクラスメイトたちは軟式のテニスボールで遊び始めた。俺も誘われたが少し疲れていたのでそれを丁重に断った。
フェンスにもたれかかって、俺は空を見上げた。真っ青な空が頭上に広がっていた。
俺はこうやって空を見上げることが好きだった。特に屋上から見るのが好きで、邪魔する電線も、広い空を囲んで狭く見せる高層ビルも何もなく、ただ真っ青な空がありのままに広がるのがたまらなく好きだった。
「―――なにしてるの?」
そう言って俺の前に立ったのは、さくらだった。俺はさくらの顔を見て、そしてまた空を見上げて言った。
「空を見てたんだよ」
「そら?」
さくらも空を見上げた。そして笑みを浮かべて言う。
「春くん、昔と変わんないね。昔もそうやってよく空見上げてた」
「そうだったか? あんまり覚えてないな」
「うん。そうだったよ。ほら、桜花のところでさ」
「桜花?」
頭が痺れた。ずきずきと何かが俺の頭を走り回る。鼓動が早鐘のように激しく脈打つ。あの時と同じだ。あの木に触れたあの時と……。
「ほら、昨日のあの大きな木のことだよ。忘れちゃった? よく一緒に桜花の下で遊んだじゃない」
さくらが何か話している。俺は横目でさくらの顔を見た。さくらは相変わらず空を見てにこにことしている。不思議と頭の痺れが薄れていく。
「春くんのお母さんだったかな? あの木は願いを叶えてくれるんだって言ってたっけ」
言われて思い出す。そう言えばそんな迷信を聞いた覚えがあった。
ふと、頭の中に映像が浮かんだ。枝から見える空の青。白いワンピース。そして、微かな草の香り。それらを残して、頭の痺れは完全に消え去った。
「おまえ、昔、白いワンピース持ってたっけ?」
俺がそう言うとさくらは不思議そうに首を傾げた。
「白いワンピース? 持ってたかな? 覚えてないや」
さくらが笑って答えると同時にチャイムが鳴った。
「あっ、もう行かなくちゃね」
俺はもう一度だけ空を見上げてから、さくらと一緒に教室に戻っていった。
授業が終わり、俺はロッカールームで木葉を待っていた。新しいクラスメイト達にいろいろ遊びに誘われたが、俺はそれらを丁重にお断りした。
木葉を待っていると急に後ろから声をかけられた。
「あれ、まだ帰ってなかったんだ」
振り返ると体操着姿のさくらがいた。長い髪を後ろに束ねている。
「木葉のやつを待ってるんだよ。なんだ、部活か?」
「うん。陸上部だよ。言ってなかったっけ?」
「聞いてない。へぇ、さくらが陸上部か。変なの」
さくらはむっとしたように頬を膨らませた。
「それってどういう意味? トロそうってこと?」
「そういうことじゃないって、ほら、早く行かないと遅れるぞ」
そう言ってもさくらは納得いかない様子で、口を尖らせた。
「もう……じゃ、私行くからね。また明日ね。春くん」
「ああ、またな。さくら」
手を振って答えるとさくらは軽く微笑み、踵を返してグラウンドの方に走って行った。
俺がさくらと別れてからしばらくしてから、木葉がやってきた。
「遅いぞ。なにやってたんだよ」
「入部届けを出してきたの。美術部の……」
そう言い終わると同時に木葉は手のひらを合わせて、頭を下げた。
「ごめん!」
「い、いきなりなんだよ」
木葉は恐る恐る顔を上げて、申し訳なさそうに言った。
「実は、これから新入部員の歓迎会してくれるらしいの。だから……」
そう言いながら木葉はゆっくりと後ずさる。そしてくるりと振り返り、
「先に帰っててー!」
逃げるように廊下の向こうに消えていってしまった。俺は何も言えず、木葉の走り去った方角をただ、呆然と見つめていた。
「そうならそうと、先に言っとけっての」
ため息混じりに愚痴を漏らすと、俺はもうすっかり夕焼けに染まる校舎を後にした。
――美術部……か。
俺は校舎を振り返った。視界の端に美術室が映る。白い石膏像が窓から外を眺めているの見える。思わず溜め息をつく。
もう何年絵を描いていないだろう。ぼんやりとそんなことを考える。
俺は筆を捨て、木葉は今も絵を描き続ける。
木葉には才能があった。俺にはその才能が無かった。その違いなのだろう。その才能の差に嫉妬していた頃、木葉との間が随分ぎくしゃくしたものだ。
木葉が絵を描き続けるのを見る度に、未だに心にしこりを感じる。ずっと昔に出来た小さなしこり。
このしこりが消えて、またいつか絵を描くことがあるだろうか。
グラウンドの方では部活に勤しむ生徒たちの声が響いていた。
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