第23話 逃げちゃ、だめだ

逃げちゃ、だめだ。


※※※


「ありがとう」


北野の家に着いたところで、彼女が言った。


「じゃあ、これで」


俺はそこで帰ろうとした。けど、寂しげな感じで北野が引き留めたのだった。


「せっかくだし、少しだけ良い?」


彼女が恥ずかしそうにして目線を逸らした。俺も恥ずかしい。それに親の存在が気になる。どうしたら。

 俺が躊躇っていると、彼女が言った。


「今日、両親は帰らないの。だから、大丈夫」


彼女の顔が真っ赤になったようだった。


「うん。それじゃあ、お言葉に甘えて」


 俺も恥ずかしさのあまり声が小さくなっていたきがした。でも北野はしっかりと聞いていたようだった。

 家のドアが開いて、俺は招かれた。

 彼女の家はモダンな和風建築といったようだ。


 パチン。北野が部屋の電気を着けた。暖かな光りが部屋を明るくした。


「お茶を出すわね」


そう言って彼女は部屋の奥に招き入れた。


「うん。けど良かったかな?」


「何が?」


「男子を親のいない家に招くのが」


「・・・・・・」


北野は一瞬黙ったが、言った。元気がないようだ。いつもの彼女じゃない寂しげな顔をしていた。


「一緒に、いてほしいの」


奥のリビングの部屋の電気がついた。


「分かった」


俺はそれだけ答えた。


 部屋に入ると北野は奥のキッチンでお湯を沸かしていた。俺は入り口近くの4人掛けのソファに座った。


 ソファの前に置かれた家具の上には写真立てがいくつか並んでいた。

 お父さんが警察官のようだった。がっちりとした体格で厳しそうだけど面倒見のよさそうな顔をしていた。隣にいるのはお母さんだろう。献身的な母という感じがした。


「はい、どうぞ」


北野がお茶を入れたコップを渡してくれた。


「ありがとう」


そう言って俺は受け取った。すると北野がソファのはじっこに座った。


「・・・・・・」


何も言葉が出てこなかった。沈黙。北野も黙って前を向いていた。窓の方を見ている。


「雨、止まないね」


彼女が寂しそうに言う。元気がない。


「うん」


俺が小さく頷いて答えた。


「・・・・・・」


 また黙ってしまう。


※※※


 雨が跳ねる音が続く。

 すると、ソファが揺れるのを感じた。北野が移動して俺に近づいたのだ。俺は横を向けなかった。

 

北野の肩と腕が触れる。 俺は逃げたくなった。

 そしたら手が触れた。指と指が触れた。


「北野さん、ちょっ……」


指先が絡んで、心臓が跳ねた。 


「これ、ヤバい……」


思わず立ち上がろうとした、その時――腕を引かれた。


「くっ」


 すると突然、彼女が手を離した。一瞬何が起きたのか分からなかった。

俺は彼女に背を向けた。怖くて、震えた。


 しばらくして俺が北野を見た時には、彼女は涙を流していた。


「え? え?」


俺は戸惑っていた。


 彼女が泣いているのを放っておけない。とりあえず、落ち着くんだ俺。 そう思って、一呼吸を置いた。

そして彼女の顔を見た。すると顔を下に向けたまま彼女が言った。


「お願い」


 北野が震える声で言った。


「独りにしないで」 


 我慢の限界を越えているようだった。彼女が助けを求めている。


 俺は、逃げなかった。

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