27話 ここから出て行ってください

◇◇◇


「……紅琳さま。お怪我はありませんか?」


 早々に人払いをした華月は、肩で呼吸をしながら、紅琳に近づいてきた。

 柔らかな口調は、女の華月そのものだったが、声質がまったく違うので、紅琳もつい身構えてしまう。


「……いや、ないよ。すぐにあんたが来てくれたから」

「それなら、良いのですが……」


 着物を寛がせ、大胆に汗を拭う華月は男のくせして、なぜか女の時より、色っぽい。

 紅琳は恐れ多い気がして、そっと目を逸らし、ついでにくるりと背を向けた。


(助かったのは、事実だよな)


 もっとも、ここまで大事になってしまうと、玉榮も積極的に絡んでくるだろうが……。


「傷は怖いですからね。私はそれが原因で玉榮アレに仕掛けられて、死にかけたのですから。細かい擦り傷、ひっかき傷、何もないですよね?」


「ないって。平気。大体、今回の襲撃は、真昼間の後宮。命を狙うっていうような感じじゃなかったよ。なんか、牢に引っ張って行くって、言ってたし」


「牢? それも最悪です。二度の入牢経験持ちの離縁妻なんて、今度こそ、貴方……世間的に終わりますって」


「あのな」


「事実ですから」

 

 華月は、澄まし顔で開き直っていた。


(まったく、誰のせいで私がこんな目に……)


 苛立ちのまま、言い返してやりたいところだが、この男も罪が深い。

 痛い毒舌でも、見目麗しい佳人が満面の笑みで言うと、反論が面倒になる。

 美形は正義だ。

 腹立たしいが、これは世の摂理だった。


「それにしたって、早かったな。あんたは、どうして、ここが分かったんだ?」


「私は、今朝の玉榮の様子から、また何かしてくるんじゃないかと思って、後宮に戻ったのです」


「……何、しているんだよ? 直接、会うなんて。玉榮、刺激しまくってるし、危ないじゃないか?」


 昨日、あれだけ怖がって、玉榮の分身も放してしまったのに、翌日には直接対決している華月の気が知れなかった。

 しかし……。


「ああ、でも、会わないでいたら、また何をされるか分からないし、太翼殿の中でなら、大丈夫ですからね」


 華月は昨日とは別人のように、あっけらかんとしていた。


「何で?」


「泰楽帝が生前、長くいた場所ですし、あの時代の強固な結界も動いています。玉榮も過去の恐怖から、何もできないんです。まあ、それは、私もですけどね」


「なるほど」


 最悪だけど、謎の安心感があるみたいだ。

 

(泰楽帝の狂気が今も生きている場所……か)


「そこを、上手く利用できたら、良いんだけどなあ?」


「幾重にも重ねられた術は、発動すると、どうなるのか予測困難で、泰楽帝が亡くなっているため、暴走もしやすい。今までも、呪術師に言われたことがありましたが、朔樹殿も同じ見解でした」 

 

「ふーん。朔樹が?」


「ええ。朔樹殿は見た目も性格も、おかしいですが、呪術の腕は確かですよね。先ほども、烏の姿で貴方のことを教えてくれましたよ」


「やっぱりか」


 ――やはり、朔樹は華月のところに行ったのだ。


(余計なことを……)


 皇帝自らが前に出て来てしまったら、穏便に……とはいかなくなってしまうではないか?


 次に会ったら、朔樹をとっちめてやろうと紅琳が悶々と考えていたら……。


「朔樹殿は、貴方に、私の助けは必要ないって話していましたけどね」

「え?」


 自嘲気味に告げられて、紅琳は驚いた。


「朔樹に言われたからじゃなくて、華月の独断で、わたしのところに来たのか?」


「悪いですか? 私だって、貴方の役に立てるような気がしたんです。私が姿で行けば、穏便に済ますことができるんじゃないかって。……結果、かえって、大事になってしまいましたけど」


「まあ、それは、なんというか……そういうことも人生あるというか」 


「貴方を護りたくて、先に手を出した私が悪かった。しかし、姿を晒しても、誰もだって気づいてはくれないのって、虚しいですよね。……なんか、色々と馬鹿馬鹿しくなってしまいました」


 華月としても、慶果としても、何処にも存在しない自分。


 この国の皇帝なのに……。

 一番偉いはずなのに……。

 ごく一部の人間しか、を知らない。

 彼は、それが悲しいのだ。


「……いいじゃないか。良くも悪くも、今回の乱闘で、皇帝・蒼 慶果の名前は知れ渡っただろうし」


「最悪な形で、知れ渡りましたね。貴方のことを言えませんね。私の場合、今度こそ命がないかも……」 


「それは……」


(……否定できないけど)


 この出来事は、ただちに玉榮の知るところとなるはずだ。


 今まで空気のような存在だった華月が意外に強いということを知れば、玉榮は今度こそ、全力で華月を狙ってくるに違いない。


「……しかし、紅琳さま。貴方はお怒りかもしれないけど、私……一度、やってみたかったんです。大立ち回り。長い間、ずっと、猫を被って生きてきましたからね。大暴れしたかったんです。おかげで、すっきりしました」


「華月……あんたさあ」


 聞き捨てならない一言に、紅琳が反応した。


「何で、私が怒るんだ?」


「怒るでしょう? 昨日だって、かなり怒ってたじゃないですか」


「あれは……。妖狐しょうこを返してしまっては、奴に一矢報いることができないじゃないかっていう意味で」


 いくら二人きりになったって、後宮のど真ん中だ。人目につく。

 紅琳は小声で言ったが、次の瞬間には華月の溜息が落ちていた。


「……貴方は、私が今まで味わってきたことを知らないから、そんなふうに」


「味わってきたこと? 知らないな。そんなこと……。でも、乗りかかった船だ。どうにかしようと私だって」


「もう、いいんですよ。紅琳さま」


「はっ?」


 目の前で、華月が微苦笑していた。

 綺麗だけど、儚げで頼りない表情。

 つい先ほどまで、殺気を漲らせて躍動していた彼は何処に行ったのか?

 また少し背中を丸めて、唇をぎゅっと噛んでいる。


「貴方は、早々にここから出て行ってください」

「…………はあっ?」


 唐突な一言に、紅琳は顎が落ちるくらい、口をぽかんと開けたのだった。

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