第6話 別れ
「ほら、もう帰って。僕も仕事あるし、君の彼に変な誤解をされたら大変だ」
「別に。私の彼は大人だから平気だよ」
「誰かさんとは違って?」
「そんなこと言ってないよ」
そういう嫌味なところが、子供なのだ。
膨れっ面を作ると、それを横目で見た景ちゃんが独り言のように零した。
「僕は大人にはなれなかった」
「えっ?」
「取り残されてしまった。……僕だけ」
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。はい」
彼は間髪入れずに、すべてを詰め込んだ紙袋を私に差し出してきた。
「重かったら、送るけど?」
「いいよ。持って帰れる」
「そう」
一歩、二歩。
仄暗い照明の下、荷物を受け取るため、私は景色ちゃんに近づく。
紙袋を渡す寸前に、景ちゃんがぽつりと呟いた。
「大人になったね。君は」
「景ちゃん?」
分からない。
一体、何を言いたいのだろう?
「老けたってこと?」
「違うよ。……綺麗になった」
「嘘?」
熱を孕んだ沈黙。
初めて景ちゃんと目が合った。
(私の……好きな人)
確かに、私は「狡い」大人だった。
先行きのない想いを諦めたつもりでいたのに、たったそれだけの言葉で舞い上がって、彼の手に触れてしまうような……浅はかな女だ。
「景ちゃん?」
予想外だったのは、景ちゃんが私に応えたことだった。
ぎこちなく伸びてきた彼の手は、私の頬に触れていた。
「綺麗になったよ。ヒナ」
――夢のようだった。
いや、夢でも有り得ないことだった。
「本当に?」
景ちゃんが艶やかに微笑んでいる。
「僕は嘘が吐けないから」
「そ……か」
少しずつ景ちゃんの顔が近づいて来たので、私は促されるように目を瞑った。
鼻が擦れて、吐息が交わって……。
どうなっても良いと思って、彼の袖を掴もうとした。――けど。
「ヒナ」
次の瞬間には何事もなかったように、景ちゃんは紙袋を拾い上げて、再び私に差し出していた。
「景ちゃん?」
「もう遅いし、マンションの前までタクシー呼ぶよ。君は外で待ってて」
「何で?」
「君は、君の居場所に戻らないと」
「居場所って?」
懸命に問いかけたけど、景ちゃんは答えをくれなかった。
まるで何かに急かされているように、私の背中を押して、玄関まで誘導する。
「待って!」
こんな別れ方は嫌だと、叫んだけど、取り合ってもくれなかった。
ドア越しに、渡されたのは三万円。
「君は、僕みたくなっちゃ駄目だ」
そして、最悪の殺し文句と共に、景ちゃんは扉を閉めてしまった。
(何、それ?)
独りよがりで、自意識過剰で……。
関われば関わるほど、私の傷口を増やしていく。
酷い人だ。
「でも……」
扉の向こう側。
ほんの一瞬、垣間見えた彼の耳朶は赤かった。
(このままじゃ駄目だ。もう一度、ちゃんと景ちゃんに会わないと、私……)
散々、悩んで、考えて、私は決めた。
それなのに……。
――景ちゃんは、死んでしまったのだ。
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