ぼくらは鉄槌しか持たなかった

雨藤フラシ

すべてが釘に見えるだろう

 ことわざにいわく、

「金鎚しか持たない者には、すべてが釘に見える」

 If all you have is a hammer, Everything looks like a nail.


 だが我々は、常にみずからが持つものを選べるのか?


◆ ◆ ◆


 幽霊が狙う相手なんて、自分と真逆の陰キャと相場が決まっているものだ。相手が殺人鬼やモンスターなら話は別だが、久重ひさしげ隼馬はやまが知るホラーの印象はそうだった。

 仲間内で言えば、同じクラスのワタリがいかにもだ。


 もちろん、隼馬は怪談など信じない。小学校のころから、心霊スポットと噂のある場所にはよくきも試しに行ったが、何かが起きたことなど一度もなかった。

 同行者の中から、体調を崩したり、恐怖でパニックを起こすヤツは出たが、それは個々人の問題だろう。点が三つあれば、顔に見えるような生き物だ。


「ねえ隼馬、夜中のピンポンダッシュって、流行ってるの?」


 だからここ最近、朝から体がダルいのも、奇妙な出来事が続いて寝つきが悪いのも、妙に嫌な夢ばかり見た気がするのも、たまたまだ。

 日がある内は安心を覚えるのだって、人間が日光を必要とするというごく自然なこと。だのにこんな時、母まで不穏な話題を振ってくるのがイラついた。

 その上、朝食の目玉焼きとウィンナーにシイタケが添えてある。


「母さん、オレ言っただろ、カビは食わねえって!」キノコは菌類、すなわちカビだ。それは食べ物ではない。「インドってこういうの食わないんだよ」


 母は「ここは日本でしょ」とにべもない。発酵食品、納豆やヨーグルトには家族も手を出さないのに、キノコは食卓に上るのが隼馬には理解不能だ。


「真夜中に時々鳴るんだけど、モニター見ても誰もいないの」

「何時だよ、それ。あ、マーマレード取って」

「一時から三時ぐらいまで? 日によってまちまちなんだけれど。お父さんが夜勤の日は、もう出るなって言ってくれるから」


「あちち」と言いつつ、ジャムとクリームチーズをこんがり焼けたトーストに塗りたくる。重たい頭を引き締めるため、ブラックのコーヒーをぐっとあおった。


「お姉ちゃんは『警察に相談してみよう』って言っていたけど、隼馬も気をつけてね。イタズラならまだいいけど、闇バイトの下見だったら怖いじゃない」


 いわゆる闇バイトによる凄惨な押しこみ強盗事件は、隼馬が中学生のころ世間を騒がせ、記憶にも新しい。自宅は比較的富裕層が集中する住宅街だ。

 元々そんなに治安は悪くない。相談すれば警官のパトロールも増やされるだろう。けれど、今怖いのは、不思議と闇バイトという可能性ではなかった。


 怖い? この自分が? 理解と驚きは同時にやってきて、ふと胸を突くような感覚を呼び起こす。そこにもう否定が入る隙間はない。

 母の話を聞いた瞬間、隼馬は自然とそれを異変、我が身に起こる異常、奇妙な……つまり、怪奇現象、と称すべき一連の出来事と地続きだと悟ったのだ。

 パトロールが増えたところで、何の解決にもならないかもしれない。どこか、そんな諦めがある、それはなぜだ? 隼馬は自問自答し、事の始まりをできるだけ思い出そうと試みた。最初に自覚したのは五日前、月曜日だっただろうか。



――ひさしげはやま


 フルネームで自分を呼ぶなんて、教師の誰かぐらいしか思いつかない。いぶかしく思いながら隼馬は振り返ったが、それらしい人物は見当たらなかった。

 顔を覆う金髪が重たく揺れ、さりげなく身につけたシルバーアクセサリーが音を立てる。ゆるい校則をギリギリまで攻めた、自慢のファッションだ。


 採光の良い廊下は大勢の生徒が行き交っている。開放感に気を遣ったデザインもあいまって、人が隠れられそうな場所はない。

 注目を浴びることには慣れていた。隼馬は華やかな顔つきにバランスの取れたプロポーション、運動も成績も何でもできるのだから、目立つのも無理はない。


「どし」ひひひさ「たよ、隼馬」ひさしげはやま


 同級生の呼びかけに、あの声がひび割れて混ざる。混ざった気がした。さっきと真反対の方角から、それぞれ聞こえるなんて妙だ。

 誰かがグルになって、スマホのボイスアプリを起動しているのか?

 だが、他ならぬ隼馬に友人グループや同級生が仕掛けるハズがない。自分の誕生日は来月だが、悪趣味なサプライズは嫌いだと皆分かっている。


 だから「オメーらなんか企んでんのか?」と今問いただしても、ダサいだけだ。そう結論し、隼馬は何でもねーよと返して自分のロッカーに向かった。

 誰かが見ているぞ、という無意識からのアラートも普段なら心地よいぐらいだ。だが、教室に入り、授業が始まってもどこからか声は聞こえた。


――しししげはやまままままま


 また姓名を呼ばれるが、教師に当てられたのは別の生徒だ。気のせいと割り切るには、普通の声かけと区別がつかない。

 ただ不意に歪んだり、ノイズ混じりになる。男とも女とも、若いとも年寄りともつかない声だが、とにかく自分を呼んでいることだけは確かだ。


「かーさん、今オレのこと呼んだ?」


 その夜の風呂上がり。隼馬は脱衣所から半裸のまま顔を出して、大声でリビングの母親に呼びかけた。返事は「知らないわよー」とのことで、ならば姉だろうか。

 服を着て二階の部屋を訪ねると、やはり違うとのこと。父は残業でいないので、自分の勘違いということになる。それだけなら、隼馬もすぐ忘れただろう。


 その夜は寝るまで、ベッドでスマホを見てゴロゴロしていた。いつものルーティン、なのにどこか気が散る。自分しかいないのに、何かの視線を感じた。

 姉か母が扉の隙間から覗いているのか、と思って確認したが違うようだ。


 身体がみちっと窮屈に感じる、嫌な気分だ。それを忘れようとLINEでのやり取りや配信サービスの動画に集中したが、一度沈んだテンションは上がらなかった。

 今日はたまたま、変な日だったのだろう。明日にはまたいつも通りの日常が戻ってくるはずだ。希望的観測をして隼馬は無理やり早寝をした。


 ※


 今思えば、あれが始まりだったのだ。だが、なぜ……


「やだ、ちょっと、やめなさい!」


 ばちんと音がして手の甲が熱くなる。べちゃっと数口しか食べていないトーストがフローリングの床に張りつき、鮮やかな柑橘の蜜色とチーズが飛び散った。

 何すんだよ、と言う前に口の中に違和感を覚える。マーマレードが、ほんのりと塩っぱい――皿の上に吐き出すと、咀嚼そしゃくしかけのジャムが青カビにまみれていた。


「昨日開けたばかりなのに。隼馬、塗っている時に気がつかなかったの⁉」


 母の口調は責めるより、心配の色が濃い。隼馬がスリッパの先でひっくり返すと、トーストの表面も緑がかったカビに覆われていた。塗っている時に気がつかないなんてものじゃない、これは、塗ってからカビなければこんな形にならないはずだ。

 流し台で水をもらって、口の中をすすぎながら混乱していた。


――ひさしげはやま


「うるせえ!!」


 叩きつけたガラスコップがステンレスのそうに飛び散る。母の悲鳴が思ったより鋭く胸をえぐり、しまったと思った。でも、もうどうしようもない。


「ごめん、母さん。オレちょっと、ダメかもしんない」


 手のひらがずくずくと脈打って、長い血の帯を垂らしている。痛いと言うより、わずらわしい気分だ。認めたくなかったが、ついに理解してしまった。

 これは警察でどうにかなる問題じゃない。

 何がなんだか分からないが、ユーレイ、オバケ、タタリ、そういうアレだ。


 でも、どうすればいい?

 名前を呼ぶ声が頭の中いっぱいに響いて、ガンガンと痛む。

 どうすればいい?


――ひさしげはやまひやしげはやまひさしげはやまひさしげはやまひさしげはやまひやしげはやまひさしげはやまひさしげはやまひさしげはやまひやしげはやまひさしげはやまひさしげはやまひさしげはやまひやしげはやまひさしげはやま――


 しにたくない。


 ◆


 彼の命は、間もなく叩き潰された。

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