第27話

草むらをかき分けるとそのか細い声の主はプルプルと震えながら、そこに居た。


「子猫……お前お母さんとはぐれたの?」


私はその場に跪き、そっと子猫に手を伸ばす。子猫は一瞬ピクッと体を強張らせたが、鼻先に伸ばした私の指先をフンフンと嗅いでいた。


私が母猫を探して周りをキョロキョロしていると、私の背後に旦那様が立っているのに気づく。


「迷い猫か?」


「そうみたいです。母猫の姿は見えません」


母猫は子猫の鳴き声に反応するはずだ。この子の鳴き声がか細いせいか、それとも母猫とはぐれて随分経つのか、母猫は姿を現さない。


子猫は寒くないこんな気候にも関わらず震えている。あまり良い状態ではないかもしれない。


早く助けなければ……そう思うが旦那様との約束を思い出して躊躇う。もう動物は拾わないと決めていた。


しかし── 。


「どうした?早く屋敷に連れ帰ればいいだろう?」


旦那様の声が頭の上から降ってきた。

私は振り返る。


「良いんですか?」


「あぁ。母猫が居ないなら、助けなければ死んでしまうだろう。可哀想に震えているじゃないか」


旦那様は私の隣にしゃがみ込むと、その小さな白い子猫を壊れ物を扱うかのようにそっと両手で包みこんだ。

大きな旦那様の手にその子猫はすっぽりと収まってしまう程小さい。

旦那様は続ける。


「これだけ小さいと育てるのは大変だぞ?四六時中様子を見守らねばならん。覚悟は出来てるか?」


「は、はい!もちろん!実家でもこれぐらい小さな子猫を育てたことがあるので」


「そうか。ならば大丈夫だな。すぐにミルクを用意させよう」


旦那様は私の手のひらにそっと子猫を乗せる。


「旦那様……本当に良いのですか?」


「あぁ。……その代わり私のこともちゃんと構うと誓ってくれるならな」


「当たり前です。ちゃんと旦那様の面倒もみて差し上げますから」


私が言うと、旦那様はフッと微笑み「頼んだぞ」と私の頭を麦わら帽子ごとポンポンと軽く撫でた。



─ 三ヶ月後。


私が部屋で白い子猫と遊んでいると、執事から旦那様の帰りを告げられた。


「今日はお帰りが早いのね」


「本当にそうですね。何かあったんでしょうか?」


私と執事は頭を捻りながら、玄関ホールへと向かう。私の腕の中にはフワフワの白い猫が抱かれている。この子も一時は命の危険もあったが、今ではすっかり元気になって、部屋の中を走り回っている。


玄関ホールに着くと、ちょうど旦那様が大きく開いた扉からホールへと入ってくるところだった。私は猫をしっかりと抱え、小走りで駆け寄る。


「おかえりなさいませ」


「ああ、ただいま」


いつになく旦那様の声が沈んでいるのがわかる。


「旦那様どうかなさいました?」


そう尋ねる私を旦那様は子猫ごとそっと抱きしめた。


「……宰相補佐として働くようにと陛下から命を受けた」



「え!それでは旦那様が次期……」


私は旦那様の腕の中でその顔を見上げた。旦那様の顔は何故かとても暗い。


「そうだ。殿下が国王の座に着くか、今の宰相が引退した時には、私が宰相になる」


「おめでとうございます!次期宰相に選ばれたのですね!」


私の声は弾んだ。旦那様がネルになってしまったあの時、旦那様が宰相となれるようにと私は頑張ったのだから。あれはほんの僅かな期間だったし、この結果は旦那様の今までの努力の積み重ねであることは理解しているが、それでもあの時頑張って良かったと思えた。旦那様の目標であった宰相の座が目の前だ。


「あぁ……そういうことになる」


執事も、出迎えに訪れた使用人達も嬉しそうに顔を見合わせあって、小さく拍手しているのに、旦那様は相変わらず暗い。


「旦那様……何故そんな顔を?」


「……これから忙しくなる。君と畑仕事も出来ないし、帰りも遅くなる日が多くなる」


「お忙しくなりますものね。仕方ありませんよ」


「──私が耐えられるかわからん」


旦那様の呟きに、周りの皆は苦笑した。



夫婦の寝室。私は眠い目を擦りながら、旦那様の待つ寝台へと向かう。


「遅かったな」

旦那様は読んでいた本をパタンと閉じると私を迎える様に大きく手を広げた。

私はその胸に体を預ける。


「猫の『遊んで!遊んで!』攻撃が激しくて。元気になったのは嬉しいんですけど、体力がありあまっているようなんです……やっと解放されました」


「ところで……何故猫に名前を付けない?」


「……誰か飼ってくれる人を探そうと思っていまして」


「何故?」


「だって……ついつい猫に構いすぎてしまうので……」


「私に遠慮しているのか?」


旦那様は私の体を少し離すと顔を覗き込んだ。


「……」


私が少し俯くと、旦那様はフッと笑ってまた私を抱きしめた。


「私が嫉妬深いのは認めるが、これから私も忙しくなる。君が寂しくないように、猫を飼うことぐらい我慢するさ」


「本当ですか?なら……あの子を飼ってもいい?」


「ああ、もちろん。命の危険があった時、君が寝ずに看病して助けた猫だ。手放すのは寂しいだろう?」


私は旦那様の胸に頬をピトッとくっつける。旦那様の鼓動が聞こえるとホッとする。


「ありがとうございます。でも……なるべく早くお仕事から帰ってきて下さいね」


猫がいれば寂しくないのかもしれない。けど、私はこうして旦那様と一緒が一番幸せだ。



旦那様は「か……可愛い……」とブツブツ言いながら、さらにきつく私を抱きしめた。






それからも旦那様は仕事が終わると脇目も振らず屋敷に戻ってきてくれる。


「名前はどうするかな」


白い猫と毛糸で遊びながら、旦那様は首を捻った。


「考えたんですが……『ネロ』はどうでしょう?今まで『猫ちゃん』って呼んでいたので、ネロなら語呂が似てますし、この子も戸惑わなくてすむかも」


「『ネル』にも似てるがな」

旦那様は苦笑した。


「だ、駄目でしょうか?」


私の発想の貧困さに呆れたのかもと不安になる。


「可愛い名じゃないか。なぁ、ネロ」


ネロと呼ばれた白い猫は「ニャン」と鳴いてそのまん丸な瞳で旦那様を見上げた。


「ほら、喜んでる」

旦那様の声に私も「ネロ」と呼ぶ。今度はネロは私の方をキラキラとした目で見上げた。


「ふふふ。気に入ってくれた?」


「こうして……いつの日か私達の子どもの名を一緒に考える日がくるといいな」


「旦那様……」


私も旦那様との子どもが欲しい。出来れば旦那様に似た男の子がいい。


「あぁ……だからといって急かしてるわけでも、焦らせたいわけでもない。そんな未来がいつの日かくるといいな……とそうふと思っただけだ」


そう言ってはにかんだように笑う旦那様に私は抱きついた。


「おっと……、ネロが驚いてるぞ」


「私もそんな未来がくること、楽しみにしています。旦那様と一緒に」


抱きついた私の額に旦那様はそっとキスをした。


「今思うと、犬になったあの時間は無駄じゃなかった。あのままだったら私は君の良いところに気付かず、私達はこんな風に笑い合うことなどなかっただろう」


「そうかもしれませんね……なら、あの魔女に感謝かも……」


あの魔女は今頃どうしているのだろう?

私がそうふと考えた瞬間、ネロが『クシュン』とくしゃみをした。


思わず私と旦那様は顔を見合わす。


「まさかな」

「そんなわけ……ないですよね?」


私達はじっとネロを見つめる。……白い猫は何事もなかったように、何度も何度も顔を洗っていた。まさかネロが魔女に変えられた人間だなんてこと、あるはずがない。が……しかし。


「旦那様、念の為ですがネロとキスしちゃ駄目ですからね!」


「あ、当たり前だ!それに私が心から愛しているのは君だけだ。たとえ誰が猫になったとしても私の口づけで戻ることはない。……が、君が猫になるのなら……うん、それも可愛すぎるか……」


旦那様は何を妄想したのか、ちょっとだけニヤついていた。


「じゃあ、私がもふもふになったら……旦那様はそれでも愛してくれますか?」


「もちろん。どんな姿になっても君を想う気持ちは変わらない」


旦那様の顔がゆっくりと近づく。私は目を閉じて旦那様のキスを当然のように受け止めた。



               ~Fin~



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亭主関白の堅物公爵がいつの間にかモフモフになって甘えて来ます 初瀬 叶 @kanau827

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