第26話
「ただいま!会いたかったよ!」
玄関ホールで旦那様がギュウギュウと私を抱きしめる。
使用人達は急に別人のように妻を愛でる旦那様に自分達は夢でもみているのかと、頬を抓った。
「お仕事お疲れ様でした。お着替えを済まされたら夕食にしましょうか」
私は若干の苦しさを覚えつつ、旦那様の腕の中でそう言った。
「そうだな。ヴィヴィアン、着替えを手伝ってくれるか?」
そういえば、私は旦那様の私室に入ったことすらないのを思い出した。
「私がお部屋に伺っても良いのですか?」
「当たり前じゃないか!私達は夫婦なのだから」
またもや、周りの使用人達が頬を抓る。皆の頬が真っ赤になる前に、私は旦那様と共に部屋へと向かうことにした。
旦那様の部屋は無駄な物が一切ない、シンプルな部屋だった。
キョロキョロとしている私に旦那様は近づくと額にキスをする。
「な、何で今キスを?」
私は恥ずかしくなって顔が真っ赤になる。
「キョロキョロしている君があまりにも可愛すぎて……」
あまりの変わりように、私も戸惑っている。
「旦那様……どうしちゃったんですか?」
「私は悟ったのだ。自分の身にいつ何が起こるかわからない。また突然犬になるかもしれんしな。ならば、毎日を全力で思い通りに生きた方がいいと」
だとしても変わりすぎだ。
「でも……別人です。旦那様も私のこと……愛してくれていたわけじゃないですよね?」
「……それは確かに。正直に言うと、君を知ろうとしていなかったんだ。君はそそっかしくて危なっかしいし、世間知らずで……私の周りには今までいなかったタイプの人間だ。どう扱っていいのかわからなかった。今までは」
……褒められてはいないことは理解した。
「では……今は?」
「君の優しさを知った。私の仕事を肩代わりしろ……などと面倒なことを頼んでも、君はそれを必死にこなしていた。最初はどうなることかと思ったが、いつの間にか私の助言がなくても率先して仕事をしていただろう?領地のことにも興味を持ってくれた。君はやれば出来る人だ。今までその機会を与えられていなかっただけで」
「……私が世間知らずなのは本当のことですから。それに優しいわけでは……」
「優しいさ。動物にも植物にも愛情を持ってる。使用人が君を慕っているのも、それが皆に伝わっているからだ。いつの間にか、その愛情を自分にも向けてほしいと思う私がいた」
「それって……」
「嫉妬だ。君を知れば知るほど惹かれていたのに……君に愛されていないことがわかっていたからな」
魔女の呪いを受けて、この屋敷に旦那様が帰って来たあの夜。私とのキスで呪いは解けなかった。そのことを言っているのだろう。
「でも。結局旦那様の呪いは解けましたよ?」
「だから……少しは自惚れてもいいんだろうか?君が私を心から愛してくれていると」
旦那様はそう言って私の表情を窺った。私は恥ずかしくて、俯きながらも「はい」と返事をした。
「旦那様!しっかりと籠を持っていてくださいね!」
「あぁ、分かった、分かった。だが、随分と日差しが強い。ちゃんと帽子を被らなきゃ。ほら」
「はーい!」
私の畑にはナスやキュウリやトマトたちがたわわに実り、私達が収穫するのをいまかいまかと待っていた。
私はスティーブに借りた麦わら帽子をポスンと旦那様に被せられると、野菜の収穫に取り掛かる。
「うわぁ、美味しそう!」
大きく真っ赤なトマトを手のひらに乗せる。
「奥様、そのまま食べても美味しいですよ」
スティーブの声に、私はエプロンでそのトマトをゴシゴシ擦ると一口齧った。
果汁が口いっぱいに広がって、そのトマトは太陽の味がした。
「美味しい!」
「あぁ!奥様、お口が……!」
リンジーが私の口の周りに付いた果汁をハンカチで拭う。
私は無意識にチラリと旦那様を横目で確認してしまう。今までの旦那様なら、私に呆れて説教の一つや二つ言いたくなっていたことだろう。
しかし、旦那様はそんな私を見てニコニコしながら、
「どれ、私も食べてみるかな?」
とトマトをトラウザーでゴシゴシ擦って、私と同じように頬張った。
「うん!美味い!採れたてのトマトとはこんなにも甘いのか」
旦那様が感嘆の声を上げる。今度は私が旦那様の口元をハンカチで拭う番だ。
「旦那様、美味しいですね。自分で作ると尚更です」
「そうだな。今まで、こんな経験はしたことがなかった。ヴィヴィアン、私に新しい感動をありがとう」
旦那様はそう言って私を抱きしめる。
「へへへっ」
私はつい笑みが溢れた。
「あらあら、仲がよろしいことで。でもお二人とも、早く収穫してしまわないと!真っ昼間になったらもっと暑くなっちゃいますよ!さぁ、手を動かして」
リンジーが困ったように笑いながら、私達にそう声をかけた。
「はーい」「そうだな」
旦那様が私を抱きしめた手を緩める。
私は旦那様から離れ、次にキュウリを採るために、収穫用のはさみを握りしめた。
収穫が終わり、旦那様とスティーブに籠を持たせ、私達は畑から屋敷に引き上げる。
「もう少し畑の面積を増やしてもいいな」
旦那様は機嫌が良さそうにそう言った。採れたての野菜が想像以上に美味しかったらしい。
するとどこからか『ミィミィ』と小さくか弱い声が聞こえた。
「あら?どこからか子猫の鳴き声が……」
私はその声の方へと思わず駆け出した。
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