第2話:王女とお粥の静かな昼下がり
「……それで、あなたは――“粥”なんですね?」
朝の光が、王女の寝室にやわらかく差し込んでいた。
その真ん中に置かれた銀の膳の上、真っ白な磁器の器の中で、俺はひっそりと湯気を立てていた。
「うん、まあ……否定はできない。どう見ても、お粥だし。とろとろだし」
「ふふっ……お粥にしては、ずいぶん理屈っぽい声」
「理屈じゃない、自己防衛だって!俺、食べられかけたんだからな!? すっげえ怖かったんだから!」
リシェリアが、小さく笑う。
その笑顔はかすかに疲れていて、でも……どこか優しい。
まるでずっと雨の中にいた子どもが、やっと陽だまりを見つけたような――そんな顔だった。
「ごめんなさい。私、あなたが“生きている”なんて、思いもしなかったから」
「まぁ、そりゃそうだろうけどさ。俺もさ、自分が異世界に来て、お粥になってるなんて夢にも思わなかったわけで」
「異世界……?」
「あっ……!」
やばい、口がすべった。そうだ、ここ異世界だったわ。
王女の眉がわずかに動く。
けれど、追及の言葉はなかった。
その代わりに、彼女は器に指先を添え、そっと言った。
「……いいの。言いたくないことは、言わなくて。あなたのこと、無理に聞こうとは思わない」
「……」
「でも、もしよければ……こうして、時々お話ししてくれると嬉しい。声が、とても、安心するから」
安心――
俺の声で、誰かが安心するなんて。
会社ではいつも怒られ、会話は謝罪ばかりだった。
誰かに“存在を受け入れられる”なんて感覚、何年ぶりだったろうか。
「……いいよ。話すくらい、いくらでも」
「ありがとう。……えっと、お名前は?」
「……望月 拓海。日本から来た。といっても、今は……ただの、しゃべる粥だけどな」
「拓海さん。――素敵なお名前ね」
そう言って、リシェリアはスプーンを器に浮かべた。
ただすくうのではなく、そっと湯面を撫でるように。
「今日も……少しだけ、食べてもいいですか?」
俺は一瞬、身を固くした。
食べられる=終わる、そういう恐怖がまだどこかに残っている。
でも、彼女の声は真剣で、そしてとても……あたたかかった。
「……ああ。ちょっとくらいなら。今日の俺は、たぶん調子いい」
「ふふ、ありがとう。では――いただきます」
スプーンが俺をそっとすくい、リシェリアの唇へと運ばれる。
冷たくも熱くもない、やわらかな温度。
その一匙の中に、自分の存在意義がある気がした。
一口、また一口。
彼女が俺を少しずつ口に運ぶたびに、不思議と俺の中のざわめきが静まっていった。
食べられているのに、満たされていく。
不思議な感覚だった。
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「リシェリア様、失礼します。――本日も、お加減は?」
扉の外から、メイドの声がした。
リシェリアはスプーンを器に戻し、微笑を浮かべて答えた。
「ええ、とても。昨日より、ずっと元気です」
「何よりです!では、お昼のお粥も後ほどお持ちしますね」
「……ええ、お願い」
扉が閉まると同時に、彼女はぽつりと呟いた。
「でも、本当は――この器の中に、もう一人いるなんて、誰も知らないのよね。
そういう秘密って、ちょっとワクワクしない?」
「……しないでもないけどな」
俺のぼそりとした返事に、リシェリアはくすりと笑った。
窓の外では、小鳥がひと鳴きした。
王女と粥の、誰にも知られない静かな昼下がり。
その平穏が、このまま続けばいい。そんな風に、俺は思っていた。
――まだ知らなかった。
この“平和な器”の中に、世界を揺るがす秘密が眠っていることを。
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