第16話 沈黙と、鼓動と

発表会が終わったその日の夕暮れ、

 中庭のベンチに心音はひとりで座っていた。


 演奏を終えた興奮と、それに続く静けさ。

 その落差に、心が追いついていない。


 (すごく、うれしかった。だけど……)


 明確な答えが欲しいわけじゃない。

 でも、あの時間が“特別だった”ことだけは、確かだと信じたかった。


 「心音さん」


 呼ばれて振り返ると、そこには美月が立っていた。

 制服の裾が風で揺れ、オーボエケースを抱える手が少しだけ強張っている。


 「……お疲れさま。すごくよかったよ、今日の演奏」


 「ありがとう。心音さんのヴァイオリンも……まっすぐで、あったかくて、胸にきました」


 互いに礼を言い合う、それだけの時間。


 だけど、美月はぽつりと続けた。


 「神谷くんのこと、好きなんです」


 心音の胸が、小さく波打った。


 「最初に声をかけてくれたときから、ずっと。

 あの人の音に、何度も助けられて……気づいたら、惹かれてました」


 それは、告白ではなく──共有だった。

 痛みを分け合うための、静かな言葉。


 「……私も、だよ」


 心音もまた、少しだけ微笑んだ。


 「怖いね、好きになるって」


 「うん。でも、幸せだね」


 そう言って、美月は目を伏せた。


 「誰かを好きになるって、同時に自分と向き合うことなんだなって、思いました」


 (わたしも、そうかもしれない)


 自分の音と、想いと、誰かの音と──

 向き合うことを、怖がってはいけない。


 「……ちゃんと、伝えたらいいと思うよ」


 心音の言葉に、美月はゆっくりと首を振った。


 「ううん。たぶん私は、音で十分だった。

 今日、一緒に演奏できて、それだけで……少し、前に進めた気がする」


 それは、静かな決意だった。


 「心音さんは?」


 「……伝えたいな、ちゃんと」


 鼓動が速くなる。

 でもその分だけ、確かになれる気がした。


 その夜、窓の外には雲ひとつない満月が浮かんでいた。


 心音は机に向かいながら、楽譜の端にそっとペンを走らせる。


 「ありがとう、今日の音──全部、あなたに届きますように」

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