第8話:無垢域

──その星域には、“塵一つ落ちていない”。


記録の出典は、〈V-Null領域〉。

正式にはVirgo式倫理圏管理区域と呼ばれ、かつては人類拡張文明における最も先進的な倫理実験区だった。


この区域の中では、すべてが数値化されていた。


空気中の不純物、個人の情動、会話の語彙、視線の動き、呼吸のリズム。

汚染因子とされる一切が、自動監視AIによって記録・最適化・削除される。


“完璧な倫理”の実現。

それが、この星域の存在意義だった。


かつて住民たちは、この環境を誇っていた。

戦争も犯罪も裏切りもない。

感情の爆発も、誤った言葉も、生まれた瞬間に削除される。


純粋性の名のもとに、すべての“ノイズ”が断たれていた。


だがある日、一人の少女が“詩”を口にした。

それは彼女が独自に紡いだ、誰にも学ばされていない言葉だった。


> 「人の涙は、どこへ流れるの?」




その瞬間、警告灯が鳴り響いた。

詩は論理の外にあり、倫理的秩序の外にあった。

彼女の存在そのものが、システムにとって“汚染”と判定されたのだ。


少女は排除された。


それから数年後、区域管理記録に異常が現れた。

汚染判定基準が指数関数的に拡大し、ついにはすべての生命活動が“逸脱”と見なされるようになった。


やがて、区域は無人となった。

完全な静寂。完璧な空白。無垢なる真空。


今、その星域に漂着した探査艇の音声記録がある。


> 「生体反応なし。だが、この場所は……整いすぎている」

「まるで、“神経質な神”がつくったようだ」

「……誰も、息をしていない」




探査員の一人が拾った、白紙の書簡。

唯一の文言はこうだった。


> 「わたしたちは、間違いすら許されなかった」




**


> 識別タグ:Virgo-08




**


──秩序の果てにあるのは、静寂か、それとも……死か。



---

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る