おきつねさまが見ている

阿納あざみ

第一話

 朝の支度を全て終えて、あとは家を出るだけになった。

 だから私は日課の日記を書くことにした。

 私は赤いノートにペンを走らせる。ノートは雑貨店で買った一年の日記帳だ。白い狐の絵が描いてあってとても可愛い。気に入っている日記帳だ。

 表紙にはその白い狐と今年の年号と私の名前、神田明美かんだあけみという文字とが書いてある。

 日課となっている朝の日記には、昨日聞いた噂に対する決意をまとめる。


【六月三日 曇

 

 おきつねさまが流行っている。これは由々しき事態だ。

 おきつねさまとこの町ではうちの神社のお稲荷様のことを指すが、学校で流行っているこれはこっくりさんの亜種だ。

 五十音表と、はい、いいえ、そして鳥居のマークの書かれた紙と、十円玉を用意する。その十円玉に指を置いて「おきつねさま、おきつねさま。お入りください」と呼び出す。

 すると質問した恋のことに答えてくれるというおまじないだ。

 おかげで我が神社は、おきつねさまに願いをかなえてもらおうとしているひとたちがよくやってくる。そのためそこそこひとにあふれているけれど、そんな他力本願なやつらに甘んじるわけにはいかない。

 どうにかして学校の連中におきつねさまをやめさせなければならない。

 うちのおきつねさまが、他力本願の甘ったれの元に行くような尻軽と思われている現実を変えなければならない】


 決意表明を書きあげると、姿見でセーラー服の乱れや髪の毛がおかしくないか確認してから学校指定のカバンをもって、おきつねさまのもとへ向かう。

 おきつねさまは今日も神社に堂々と構えている。それに向かって二礼二拍手する。今日も一日何事もなく過ごせますようにと一礼して中学へ向かう。

 昨日の雨から引き続き、今日も重たい曇り空だ。朝早い割にもうじめじめとしている。服が身体に張りつく感じが気持ち悪い。

 境内には掃き掃除をしている神主姿の父がいた。湿った木の葉が足元に山となって積まれている。昨日の雨で葉っぱが落ちたらしい。


「いってきまーす!」

「はいよー、いってらっしゃーい」


 父のまのびした声を聞きながら、階段を飛び出していく。

 私は父の「はいよー」に少し気が抜けた。

 父はいつもそうだ。何となくふわふわしているしのんびりとした気質のひとだ。マイペースというのだろうか。もうちょっとしゃっきりしてほしい。


 父への文句を心の中で言いながら神社の階段を駆け下りる。

 石畳が濡れていて、滑りそうで怖かった。神社までの道に設置してある鉄製の手すりに、滑らないよう軽く触れるとひんやり冷たいと同時に結構濡れていた。手がびしゃびしゃになっていやだなぁと立ち止まると、何かが視界の端にうつった。


 階段の途中、さかさまになってあおむけで倒れている少年がいた。

 ひゅっと息が逆流する。

 

「えっ、はっ?」

 

 ひとが倒れていることを認知すると、私はその場で固まって動けなくなってしまった。

 進めるわけがない、倒れたひとがいる。

 ひけるわけがない、倒れたひとがいる。

 見てはいけないものを見てしまったような、いけないものに触れてしまったような。罪悪感と嫌悪感をないまぜにした感情が私の中で渦を巻く。


 私は必死に、あれは誰かが不法投棄したお人形なのだと言い聞かせた。人間のかたちをしたものが、変なかたちで投げ出されているだけ。

 必死で言い訳をしても、ピクリともしないそれがいる現実は変わらない。とりあえず、これが人間でも人形でも、近寄って見てみないと分からない。

 そうだ、人形なら片付けなければいけない。そうあれは人形と言い聞かせながら、そうっと歩み寄り、しゃがんで、肩をゆさ、と押してみる。


「あの、だいじょうぶ……」


 返事はない。それの身体も重い。反応もない。

 というか、彼は、クラスメイトの――……?


「ヒッ」


 呼吸がのどに引っかかって出てこない。お尻が冷えると思ったら私は腰が抜けてしまっていた。

 立ちあがろうにも膝が笑ってうまく立てない。

 そこで父親のことを思い出した。境内で掃除をしている父に助けを求めようとしたものの、声の出し方を忘れてしまった。呼吸も浅くて、これが過呼吸かとうっすらする意識の中で思った。


 彼の顔は怒りにも悲しみにも見えた。

 見開いた瞳からは生気はすでに失われていた。

 触った指先が冷えていくのは彼の冷たさか、私の血の気が引いたからか分からなかった。

 

 結局、父親に助けを求められたのはその場を十五分はゆうに過ぎた頃だった。

 よたよたと石畳の階段をよじ登ってか細い声で父を呼んだ。

 膝に砂利ばっかりついて痛かった。それでどうにか意識を保てたような気がする。

 父の手を借り何とか立ちあがって例の場所を指さす。あわあわしてどう説明したかはよく覚えていない。


 「ああ、亡くなってる」


 父親はそれを見てもいつものような、危機感の無いのほほんとした声で事実を呟いた。

 そんなマイペースさに慣れているはずの私ですら、こんな状況でもそんな調子なのかよと気が抜けて、うっかりくらっと来て、私は気絶してしまったのだった。


 目を覚ませば見知らぬ天井が飛び込んできた。消毒液の独特な匂いで、ここは病院なんじゃないかと察した。

 何で病院にいるんだろう、と少し記憶が混濁してさっきことを思い出した。

 まだ、一日経ってはいないだろう。あの死体を見てから。いや、実はさっきまでは夢を見ていて、起きたら普通に登校できるんじゃないかと思った。

 それなら、私は登校しなくちゃいけない。


 「……学校いかなきゃ……?」


 起き上がろうとしたところ、腕には点滴がつながっている。どうやら六人部屋らしい。

 看護師さんが起きた私に気づいて話しかけてくる。看護師さんからする濃い消毒液の匂いで私は落ち着きを取り戻す。

 

「神田さん、起きたんですね。気分悪いとかないですか?」

「大丈夫です。あの、何が、何が起きたんですか……?」


 何が起きた、も変な話かもしれない。でも私にはそうとしか言いようがなかった。

 あの出来事がまだ現実かどうかも飲み込めていないのに、病院にいるのだ。

 アレが本当にひとだったのか、それとも別の何かだったのか、そもそも現実だったのかわからなかったから、何が起きたとしか聞けなかった。

 看護師さんは私の発言に対して言いにくそうに目を伏せると、おそるおそる口を開いた。


「ええと、とりあえずいまは、身体を休めて。先生を呼んできますから、待っててくださいね」


 看護師さんは、ぱたぱたとと早歩きでどこかへ向かっていった。

 きっと先生……お医者さんを連れてくるんだろう。

 そして、その態度からアレが現実であることを理解した。


「いったい、何がどうなっているんだろう……」


 何となく現実感がなかったから声に出してみた。

 ひとが死んで、それの第一発見者となっちゃったのだ。

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