競バ開催中止
卯月響介
第1話
「今年の
その男はモニターの前に座り、声を荒げていた。
向こう側にいるのは、背広を来てサングラスをかけた中年の男。
今まさに、テレビ電話の真っ最中である。
男は、この市で毎年開催される競バの人気選手。彼の駆る漆黒の愛バも、毎年参加し、怒涛の勢いで、いくつものウマを追い越していくため、大変人気だったのだ。
必ず上位三位以内には食い込む。
ウマとの相性は抜群だし、誰よりも上手く操ることが出来ると自負している。
そんな、男にとってもウマにとっても、青天の霹靂であった中止宣言。
理由はと言うと――
『有名な愛護団体から苦情が来たんだよ。“ウチの市で毎年開催されている競バイベントは、ウマを常習的に虐待している。愛護法違反だ”、ってね。
おかげで、市の窓口には全国から苦情が殺到しているよ。私も脳みそがショートしそうだ』
「納得いきません」
『残念だが、これは市議会の決定事項なんだよ』
「だったら市長!せめて教えてください。あの競バの、いったいどこが虐待だって言うんですか!」
男の怒りは収まらない。
モニターの向こうにいる市長は、サングラスをかけたまま、大きく息を吐いて手元のタブレットを取り上げる。
『えーっと……団体が言うには、まず第一に、ウマの心臓に負担をかけすぎている。最悪、ウマが死んでしまうことになりかねない』
「そりゃあ、速いスピードで走らせないと競バにはならないでしょう。馬の老体にムチを打つのは当然です。
皆、そのために覚悟は決めてますし、そうならないよう、毎日可愛いウマの手入れをしているんです!」
しかし、市長はその言葉を聞いてるのか、はたまた無視しているのか、更に続ける。
『第二に、ウマの身体を傷つけている。大きな音を立てて、その繊細なボディを傷つけるのみならず、既にボロボロのボディのウマも出場させている。
どう考えても、愛情を注いでいるとは考えにくい』
「繊細!?」
男は、ハッと笑い飛ばした。
「あの屈強なウマのどこが繊細なのか、是非ともご指導ご鞭撻して欲しいですね!
いいですか?ウマに大きな音を立てないと、乗ることもできなければ、荷物を載せることもできない!
ボロボロなのも、それだけ年季が入ってる証拠です!
傷こそ、ウマの文化、伝統、そして歴史を物語る!ボロボロでも、命ある限り唸り走り続ける!いいことじゃあないですか!」
だが、これまた市長は無視。
眉をしかめて、愛護団体の苦情を並べ続けた。
『第三に、ウマに食べ物を無理やり食べさせている。まだ、胃の中に未消化の食べ物があるにも関わらず』
「ナンセンスだ!ウマにメシを食わせずに、どうやって走れと!?」
『第四に、大会期間外には、簡単に心臓や足を外し放置する。おぞましい』
「当然でしょうよ!それがウマのためです!殺処分より、よっぽどマシだ!」
『第五に――』
刹那、男は最大級に怒鳴り狂った!
「いいかげんにしろよ!市長!
ウチの市の歴史を知らない、どこの馬の骨とも分からない、意味不明な外野の声に負けて、皆が楽しみにしていた競バを取りやめるなんて……俺は絶対に許さないからな!
いいかい?この競バは、俺の親父の、そのまた親父の、更に親父の親父の親父の代、ルールが変わった時代からやってるんだ!
ウマだって、こうして引き継いでる!
そりゃあ、去年の大会では、ちょっとしたアクシデントで、ウマをコースから外しちまったなんてことがあったけど……それでも、皆、年に一回、自分たちが真心こめて愛してるウマたちを、自由に、力強く、誇りをもって走らせられる、このイベントに命かけてるんですよ!
走らなくても、その姿をカッコいい!綺麗!って言ってくれる。
特に子供たちは、こういうウマに触れる機会なんて無いから、もう目をキラキラ輝かせて……」
男は言葉に詰まった。と同時に、ツーっと頬を涙が伝う。
彼の
それが中止なんて……他の参加者は、なんて言ってるんですか?」
市長は言いにくいと言わんばかりに、手を組んで、モニターの向こうの彼を見た。
『皆、君と同じことを言ってたよ。中止なんてナンセンスだってね。
でも……時代なんだよ。ウマが人間と近い距離にいる時代は終わったんだ。
今、世界各地で、ウチと同じように、愛護団体がウマを用いた競技の中止を訴え、行政がそれに答えてる。
アメリカでは2年前に、全国の
そこまで言うと、市長はサングラスを取った。
目玉がある場所に輝くのは、瞳孔のないコバルトブルーに輝く瞳。
アルジェリアのコストラム社が開発した、TXR-223。22世紀の大ヒット人型アンドロイドである。
『理解してくれ。俺も機械だから、彼らの言い分はよく分かるんだ。
ウマを虐待するのは、よくない。おそらく、愛護団体と君たち人間の対話も、技術的な点でも無理だろう。
そもそも、今どき自動操縦なしにウマを操るなんて、ナンセンスにもほどがある』
「なら、ルールを戻せばいいじゃないですか!元の馬にっ!」
市長は、全てを見通したように、男を睨みつけた。その反論は、一番無駄であり、それこそナンセンスだ、と。
『……それが出来ないことは、君たち人間が一番分かってることじゃないのかね?
君たち人間は、動物を生活から切り離したくせに、安全圏から愛撫し、その薄っぺらい感情に身を任せて、動物に関する全ての文化を壊してしまったじゃないか。
おかげで馬なる生き物は、前世紀末に絶滅してしまった。
その代理競技として、機械を使った行事を生み出したが、今度は君たち人間がロボットを生み出し、自我を持たせたおかげで、代理行事も消えつつある。
怒るなら、君が誇りにしている親父たちに言うんだな』
「……っ!」
『市議会はいずれ、競バを市の歴史、文化から抹殺する予定だ。人間の営みと言うのは、儚いものだな。
ただ、ウマの殺処分は避けたいという観点から、来年にも
君も理性ある人間なら、後ろに映ってるウマを市に寄贈したまえ。君たちの言う文化は、もう終わったんだ。永遠にな』
男には、もう反論する気力は残っていなかった。
機械の判断は冷静で残酷だ。取り付く島もない。
「それでも……それでも……」
『もう一度言うぞ。2145年、第897回競バ大会は中止だ。変更はない――それじゃあ、おやすみ。いい夢を』
市長は一方的に通話を切った。
男はやりきれない感情を、どこにぶつけていいか分からず席を立つと、後ろでずうっと事の顛末を見ていたウマに縋りつき、子供のように声をあげてむせび泣いた。
彼の愛バ―― 漆黒の1967年式フォード マスタングも、窓から差し込む月光に照らされていた。
「俺はこいつと、まだまだ走りたいんだよぉっ!」
鼻先に輝く馬のエンブレムを、キラリと涙のように輝かせながら……。
FIN
競バ開催中止 卯月響介 @JUNA
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