演出された謝罪

広川朔二

演出された謝罪

南雲翔太は、自称「映像素材クリエイター」だ。

企業のPR動画やテレビの情報番組で使われるカットを個人で撮影し、ネットで販売している。空撮の風景、日常の喧騒、夜のネオン街、そして時には「癒し」としての自然風景。いずれも数秒から十数秒の動画で、喋りも演出もいらない。ただカメラを回すだけだ。


元々は趣味で撮影していた風景動画だったか、個人での動画制作のハードルが下がってきた昨今、“いける”と思って独立開業したのだった。


「誰でもやろうと思えばできるが、実際に売れるものを撮れる奴は少ない。俺はその中のひとりだ」


南雲はそう語る。売上だけで言えば大手のストック動画会社には到底及ばない。それでも彼は、自分なりのポジションを確立したつもりでいた。


さらに最近ではSNSや動画投稿サイトに、撮影の裏側や「ロケ地紹介」などを投稿し、それが一部の映像マニアや地方好きのユーザーにウケていた。フォロワー数は三万人を超え、コメントも「プロの目線、参考になります」「旅に出たくなる映像!」と上々でそちらの収益も合わせれば会社勤めをしていた頃に比べれば考えられない収入となっていた。


その日、南雲は新たな撮影地を求めて車を走らせていた。行き先は、知人の映像編集者が「けっこう穴場だった」と言っていた、地方の小さな植物園。県道沿いの看板を頼りに、山間の細い道を抜けると、昭和のまま時間が止まったような施設が現れた。


「……なんだよ、思った以上にしょぼいな」


駐車場はほとんど空。建物の外観もどこか古びていて、案内板のデザインは色あせ、入り口の自動ドアも開閉がワンテンポ遅れていた。


一応公式サイトも事前にチェックしたが、トップページを開いた瞬間、フォントの古臭さとレイアウトの崩れに嫌気がさし、即座に閉じていた。


「ま、こんなとこで許可申請なんかいらんだろ。問い合わせてもどうせ誰も出ないし」


入場料だけ支払って園内に入り、三脚とジンバルを構える。南雲は普段から「風景の中に動きを取り入れる」ことを意識しており、風に揺れる木々や、静かに流れる人工の小川、羽を休める蝶などを丹念に撮っていった。


中でも、温室エリアの一角にあった、少し珍しい形の白いハスの花が、彼の目を引いた。透明感のあるその花は、光の加減で微かに淡い青に見える。これだ、と南雲は確信し、アングルを変えながら数カットを撮影した。

「こんなの、東京じゃまず撮れねえよ。うん、使える。むしろ感謝してほしいくらいだよな」


撮影後、彼は施設名を明記せずに数枚の静止画をSNSに投稿し、「今度の動画集に入る予定です」と告知した。思った通り、「癒される!」「これは買いたい」といったコメントが並び、いいねは一晩で千を超えた。


彼はニヤつきながら、ハッシュタグにこう記した。

#自然の恵み #旅する映像屋 #また見つけてしまった穴場スポット


この時の彼はまだ知らない。


その植物園の公式サイトには、はっきりと書かれていたことを。

——「商業目的での撮影・録音は、事前許可が必要です」。





動画集の販売は、思いのほか好調だった。


「癒しの田舎風景」シリーズとして、例の植物園で撮影したカットを主軸に構成したデジタル動画集は、発売から三日で初動百本を突破。南雲にしては上出来だった。


彼はSNSでも連日アピールを欠かさなかった。


「この動画を見て、実際に現地に行ってきたという方も。うれしいですね」

「地方の魅力を“素材”として再発見するのが、僕の仕事です」


いいねとリツイートが積み重なるたびに、承認欲求は満たされた。


“俺の目は間違っていなかった”という思いと同時に、“あんな寂れた施設でも、俺の手にかかれば立派な商品になる”という歪んだ優越感も、心に根を張っていった。しかし、その浮かれ気分は一本のメールで中断された。



—————————————————————

「突然のご連絡失礼いたします。〇〇植物園の管理責任者です。

貴殿が販売されている動画集に当園内での撮影映像が使用されていることを確認いたしました。

当園は、営利目的での撮影を一切禁止しており、明確に公式サイトにもその旨を記載しております。

つきましては、当該映像の即時使用停止および、関係者への謝罪を求めます。

対応いただけない場合は、法的手段も検討せざるを得ません」

—————————————————————



南雲は苦笑した。

まさかこんな小さな植物園が、そんな杓子定規なことを言ってくるとは思っていなかった。


しかも公式サイトのどこかに小さく書いてあったルールを盾にして。


「は? なに言ってんだ。こっちは宣伝してやってんだよ」


怒りが先に立ち、彼はすぐにSNSを開いた。

その手には、いつもの冷静なセルフブランディングなどなかった。



《正直な話、こっちは善意で紹介してやったんですよね。

知名度ゼロの地方植物園に、動画きっかけで足を運んでくれた人がいるのに、

『営利目的の撮影禁止』? じゃあ一生誰にも知られず枯れていけよって話。》



その投稿には、最初こそ一部のファンから「確かにルール堅すぎ」「気にする必要ないよ」といった擁護もあった。だが、数時間も経たないうちに、空気は明らかに変わっていった。



「いや、それは違うだろ」

「ルールはルールだ」

「これはただの無断商用利用」

「宣伝してやった、って言い方がすごく傲慢」

「被写体への敬意ゼロ」

「この人、謝る気ないんだな」



ツイートは瞬く間に拡散され、「自称クリエイター」「無断商業利用」「開き直りが痛すぎる」などのタグまで生まれた。


南雲はそれでも最初の数日は強気だった。


「俺を潰したいアンチが騒いでるだけだろ。炎上ってやつは、数日経てば落ち着くんだよ。施設側も本気じゃないって。どうせ謝罪文出しときゃ終わる」


だが事態は、彼の想定を軽く超えていた。

植物園は公式SNSアカウントで正式な声明を発表。


【当園は今後、弁護士を通じて対応いたします】と。


この一文により、空気は一気に凍った。南雲の販売プラットフォームには通報が相次ぎ、動画集は販売停止。懇意にしていた映像会社からも連絡が入った。


「ったく、めんどくせーな。どいつもこいつも……まぁ、このままにしとくのもマズイか…」


仕事が一件、また一件と飛ぶ。フォロワー数は減少に転じ、DMには罵倒が混じるようになった。南雲は、ようやく焦り始めた。





南雲翔太の顔は、いつになく沈んでいた。

白壁の前、光源は柔らかな自然光。Tシャツ姿で椅子に座り、手元のスマートフォンのカメラを見つめる。その表情には作り込まれた「真剣さ」があった。


「このたびは、私の軽率な行動により、多くの方々にご迷惑をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます」


感情を込めすぎず、でも無表情には見えないように。

映像クリエイターとしての経験が、皮肉にも「謝罪動画の演出」に活かされていた。


「施設の規約を事前に確認せず、無断で商業目的の撮影を行ったこと。また、その後のSNSでの発言において、配慮を欠いた態度をとってしまったこと。すべて、私の責任です」


深く、頭を下げる。わずかにカメラの角度を変え、表情が映えるよう編集も施す。バックにBGMはつけない “本気の謝罪”に余計な演出は逆効果だと知っていた。


動画をアップした直後は、批判的な声も続いた。だが時間が経つにつれ、コメント欄にはこういった書き込みも目立ち始めた。


「ちゃんと謝ってて偉い」

「言い訳せずに謝罪できるのは誠意あると思う」

「一度の過ちで全否定するのは違うよね」


冷え切っていた空気が、わずかに和らぐ気配を見せる。販売停止、公式声明、謝罪「やるべきことはやった」。南雲は、そう思い始めていた。


数日後、彼は久々に都内のキャバクラを訪れた。知人の映像ディレクターと、気晴らしを兼ねた飲み会だった。


「いやぁ、やっと落ち着いてきたわ」


グラスを片手に、南雲は気の抜けた笑みを浮かべていた。


「ぶっちゃけ、あの動画もさ、ほとんど“謝罪風演出”みたいなもんだし。植物園なんて、今頃むしろ話題になって喜んでんじゃないの? 結果的に宣伝してやったんだから」


テーブル越しに座るホステスが笑う。


「えー、でも動画とかマジで反省してる感じだったじゃないですかぁ?」


「だから“演出”なんだって。いや、俺が一番わかってんのよ、ネットの空気の流れとか。

ちょっと頭下げて、時間おいて、仕事戻して、それでチャラになるって。ガチで土下座してたら体持たねーよ、マジで」


酔いも手伝い、口はどんどん軽くなる。スマホを取り出し、再生数の伸び具合まで見せて自慢げに語る姿を、南雲は気づかなかった。


——離れた席で、カメラを向けている人物の存在に。


翌日午後、SNSでとある暴露系インフルエンサーが動画を投稿した。


《【暴露】無断撮影・炎上した映像クリエイター、裏では全く反省してなかった件www》


そこには、あのキャバクラでのやり取りが、そのままの音声・映像で収められていた。謝罪を「演出」と語り、施設を小馬鹿にし、炎上騒動すら“話題作り”と笑って語る南雲の姿。

投稿から数時間で、再生数は数十万を突破した。


「やっぱり口だけだったか」

「謝罪動画、あれ本当に演技だったんだ……」

「開き直りの極み。こんなやつにクリエイター名乗ってほしくない」


ネットは再び炎に包まれた。いや、今度は前回よりも激しかった。“謝ったから許す”というギリギリの同情が、“裏切られた怒り”に変わったのだ。


フォロワーは一気に半減。動画投稿サイトのチャンネルも通報が相次ぎ、停止処分。そして、かつて南雲を起用していた企業やテレビ関係者たちが、次々と契約の破棄を発表した。

極めつけは、例の植物園の公式発表だった。


「当園は、一度は誠意ある対応を期待し、法的措置を控えておりましたが、今回の暴露内容を鑑み、対応方針を見直すこととなりました。近日中に、正式な民事訴訟を提起いたします」


もはや、彼の居場所はどこにもなかった。


「……なんで……どうしてここまで……」


南雲は、スマホの画面を見ながら呆然としていた。自分が投稿した謝罪動画のコメント欄は、現在、荒らしの温床と化している。


「役者としてやっていけば?」

「反省風演出また見せてw」

「#謝罪芸人ナグモ」


名指しの嘲笑が、連日降り注ぐ。にもかかわらず、彼の頭の中にはまだこういう考えがあった。“でも、これも話題になってるってことじゃないか”。


しかし、それがどれだけ滑稽か、本人だけがまだ気づいていなかった。


訴状が届いたのは、炎上再燃から約二週間後だった。


差出人は――〇〇植物園代理人、弁護士事務所。



損害賠償請求訴訟のお知らせ

無断商業利用および名誉毀損に関する責任を問う



書面には具体的な損害額が記されていた。南雲の半年分の売上を軽く超える数字だった。金額そのものよりも、「本当にここまでやるのか」と彼は唖然とした。弁護士にも相談した。だが、言われたのは冷たい現実だけだった。


「勝てません。あなたの過去の発言、SNS投稿、謝罪動画と矛盾する発言。すべて記録されています。民事では確実に負ける。示談も難しいでしょうね」


南雲はすがるように尋ねた。


「仕事先に迷惑かけるとか……そういうの、考慮してくれたりしないんですか?」


弁護士は淡々と首を振った。


「あなたがそれを最初に考慮していたら、こんなことにはならなかったでしょう」


仕事はすべて消えた。


連絡帳に登録された企業・個人の名前の大半が、今や“既読スルー”すらしてくれない。SNSではアカウントを切り替えても特定され、暴言と晒しの対象となるだけだった。


彼が以前、「撮影協力のお礼」として紹介していた各地の施設からは、「今後一切の協力は致しかねます」「法的な距離を保ちたい」という表明が相次いだ。


まるで疫病神のように扱われていた。


そして、南雲は“再起”のために最後の手段に出た。過去に撮り溜めていた動画素材を編集し直し、別アカウントで販売しようとしたのだ。表立っては活動できないが、名前を変えれば大丈夫だろうと。


だが、すぐにバレた。


素材の一部が、過去の動画と同一だったことを見つけ、拡散した匿名の処刑人がいたのだ。


「これ、ナグモじゃね?」

「また無断販売やってんのかよ」

「マジで学ばねえなこの人……」


再び通報が殺到し、プラットフォームからアカウントは凍結。残ったのは、金にもならない恥と呆れだけだった。


「くそが、くそが、くそが!俺が何したって言うんだよ!どいつもこいつも気持ち悪く付きまとわりやがって!」


自暴自棄になった南雲は撮影機材に当たった。自分の仕事には無くてはならない相棒たち。だが、そんな当たり前のことすらまともに判断できなくなっていた。


半ば放心状態で家を飛び出た南雲はぼんやりと公園のベンチに座っていた。


ふと見上げれば美しいあかね雲が空一面に広がっていた。


「昔は、ただただ綺麗な景色を思い出に残したかっただけだったんだよな」

ふと、南雲は呟いた。


世界の景色は、何一つ変わっていなかった。変わったのは、自分だった。そして、自分を取り巻くすべてだった。


彼の周囲には、もう誰もいない。笑ってくれる人も、励ましてくれる人も、仕事をくれる人も。名乗る肩書きも、居場所も。


全て、手放したのは傲慢な自分だった。

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