にほひおこせようめのはな

藤泉都理

にほひおこせようめのはな




 梅雨の前の貴重な晴れ空の下。

 神社の境内にある御神木の梅の木を見上げていた巫女の装束に身を纏った少女、万葉ゆづりはは、去年より数が少ないながらも立派に育った青梅に目を細めていると、何やら空から白と黒の物体が無数ゆっくりとここに向かって落ちてきている事に気付いた。


「………狐の仮面?」


 万葉が地面に落ちた物を手に取ってみると、凹凸と光沢のある狐の仮面だった。黒と白の二種類。数は不明である。


「輸送中の飛行機から落ちて来た、とか?」


 万葉は首を傾げながらも拾うべきかと、刹那、箒と塵取りを頭に浮かべるも、神様の使いである狐の仮面という事もあって道具を介すべきではないと判断し、手で一個一個取ろうと考えた時だった。手に持っていた白の狐の仮面と黒の狐の仮面が震えたかと思えば、地面に落ちていた無数の狐の仮面も呼応するように震え始めた。

 初めは小刻みに、それが突如として、大きく強く震え始めたのである。

 これはただ事ではないと祖母の元へと駆け走ろうとした万葉はしかし、それは叶わなかった。


「なっ」

「ここの梅の実を全部ください」


 ぼそぼそと。

 小さな声音で話す髪の毛も瞳も片方が白で片方が黒の伏し目の少年の登場に、万葉は目を丸くした。

 無数の白の狐の仮面と黒の狐の仮面が強く大きく震え始めては一か所に集まり、そして、大きな灰色の球体が出現したかと思えば、瞬いた次の瞬間にはこの少年が居たというわけである。


「お願いします。ここの梅の実を全部ください。俺の師匠に頼まれたんです。神気をたっぷりと蓄えたここの梅の実を全部取って来てくださいと頼まれたんです。お願いします」

「申し訳ありません。無理です。ここの梅はすでに買い取り手が居ますのでどれだけお金を積まれても差し上げる事はできません」

「………買い取り手がもう決まっているんですか?」

「はい。申し訳ありません」


 正体不明の少年には速やかにお帰り頂くのが常套である。

 万葉は丁寧な態度で深々と頭を下げた。


「一個も残っていませんか?」

「はい。六十七個すべて買い取り手が決まっています」

「………そう、ですか。一個も。六十七個もあるのに一個も。そうですか。そうですよね。こんなに立派な梅の実ですから。すべて買い取り手が。ちなみに一個何円ですか?」

「百万です」

「………百万。ですか。それは。買い取り手が居なかったとしても。俺には支払えませんでしたね。百万。べらぼうに高い。いえ。これほど立派な梅の実なれば、百万でも安いというもの。俺の梅の実に対する意識が低かったです。帰ります。失礼しました」


 深々と頭を下げ続けたままの万葉に、少年もまた深々と頭を下げてのち、姿を消したのであった。


「よし。よく分からなかったけど、何のいざこざもなくお帰り頂けてよかったです」


 万葉は頭を上げて、明日には収穫する青梅を目を細めて見つめるのであった。






 数時間後。紫と橙の色合いが美しく混ざり合った空の下。

 降り続ける紙幣の中で、万葉は先程の少年と相対していた。


「師匠にお願いしてお金を降り注いでもらっています。六十七個。一個千万で、六億七千万です。全部梅の実をください」

「言いましたよね。お金をいくら積まれようが差し上げる事はできません。買い取り手は決まっています。変更はできません」

「これで買い取って来てくださいと師匠に頼まれたんです。俺も引き下がるわけにはいきません」


(あちゃあ。すんなり帰ったと思ったのにいざこざが起こってしまいました。これはもう実力行使でお帰り頂くしかないですかね)


『すんなり帰ったか』

『はい』

『多分また戻って来るよ。その化け狐』

『えっ?』


 万葉が祖母に少年の事を伝えると、祖母はそんな不吉な事を言ったのである。


『二回目は恐らくすんなりとは帰らないだろう。その時はおまえの力を使うか、もしくは、買い取り手のやつらに協力を願い出るか。どちらか選べよ』

『おばあちゃんは手伝ってくれないんですか?』

『うん。おばあちゃんはいざという時の為に力を溜めてんの』

『今回はいざという時ではないんですか?』

『うん』


(おばあちゃんが対応してくれたらすんなり終わるのに。いざという時って言ってばっかりです)


「俺の名前は夛琵斗たびとと言います。君の名前は何と言いますか?」

「………万葉と言います」

「万葉さん。名前を教えてくださってありがとうございます」

「私の名前を知ったところで君は私を操れはしませんよ」

「はい。君も神気をたっぷり蓄えていて。すごく立派です。そうですね。名前を知っていても君を操れはしないでしょう。ですが、実力行使で連れ帰る事はできる。かもしれません。俺は闘うの苦手なんです。多分。君も俺と同類だと思います。なので、このまま何の抵抗もせず梅の実と一緒に師匠のところへご同行願えませんか?」

「申し訳ありません。再三行っていますが、梅の実を差し上げる事はできません。私もする事がたくさんあるので君の師匠の元へ行く時間はありません。闘いが苦手なのは同意見です。なので、梅の実も私も諦めてお帰り願えませんか?」


 ちらちらと瞳を忙しなく上下させて万葉を見たりみなかったりする夛琵斗。

 じっと真っ直ぐに夛琵斗を見つめる万葉。

 二人の神気が肉体から徐々に漏れ出しては異様な空気に包まれる中。

 ふわりふわふわと。

 掌の大きさの紅の蛇の目傘が無数、空から落ちて来たかと思えば。


「一度闘うと決めてしまえば、どちらかが倒れるまでは全力で闘い続ける。そんなあなたたち二人が闘ったら梅の木が被害に遭う事だろう。それは私の望むところではない。致し方ない。この梅の実は諦めよう」


 三角のやわらかい両耳を頭の上から生やし、金色の瞳を優しさで湛え、銀色の艶やかな長い髪の毛を緩やかに流し、上等な着物で身を纏う上品な雰囲気の男性が、いつの間にか万葉と夛琵斗の間に立っていたのである。


「とても美味しそうだが致し方ない」

「師匠。申し訳ありません」

「うん。仕方ない。こんなに可愛らしく神気に満ち満ちた万葉が梅の守り手なのだから。迷惑をかけたね。万葉。遊びに来る事はあるだろうけど、梅の実は諦めるからゆるしておくれ」


 万葉が返事をする前に、夛琵斗と同様に姿を消してしまった男性は言った。

 私の名前は凍夜とうやだ。


「いえもうお二人共来てほしくないのですが」


 いつの間にか紙幣も姿を消した中、どっと疲れが押し寄せた万葉。明日は梅の実を摘んで六十七人の買い取り手に渡すという大事な日なのにと、夛琵斗と凍夜を恨めしく思ってしまった。


「まあ。気持ちを切り替えて。えいえいおーですね」






 その後、宣言通りに、凍夜は夛琵斗を連れて度々万葉の元を訪れた。

 万葉は空から落ちて来る白と黒の狐の仮面と紅の蛇の目傘に気付いては、面倒事は御免だと逃げ出すのだが、逃げ切れた事は今のところ一度もなかったのであった。


「梅の実は諦めたが、地上の食べ物は諦められない。食べ尽くすまでは通い続けるのでよろしく」

「よろしくお願いします」

「………私を巻き込まないで二人で食べればいいじゃないですか」

「おまえが居た方がより美味しくなる。なあ、夛琵斗」

「はい。君が一緒だと、とても美味しくなります」

「………おばあちゃん。今がいざという時ですよ」

「まだいざという時じゃないし、金はたっぷり頂いているんだ。労働だと思って、割り切りな」

「………雇われの身は辛いです」

「ふふ。早く己を律せられるようになりな。それができたら、こいつらを追い払えるようになるからさ」

「………はい。頑張ります」

「言ってくれるな。そうそう容易く追い払えはしないぞ。なあ。夛琵斗」

「いえ。俺はきっと追い払われますので師匠が頑張ってください」

「諦めが早い。修行の追加だな」

「………弟子の身は辛いです」

「夛琵斗さんも苦労してるんですね。お互いに独り立ちできるように頑張りましょう」

「はい。怠けないように見張っていてください」

「そこまで責任は持てません」

「ですよね」











(2025.5.28)



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