オイディプスの環
ララーニア
序章 月白
湖の北岸に白亜の病院があった。
病室のベッドの脇でボワッと音がした。枕元のテレビモニターが淡く光っている。大山源蔵は眠り眼をこすりながら上体を起こした。
「何だ、こんな遅く、寝相が悪くてスイッチでも押したのかな」
大山はテレビを消そうと腕を伸ばしたが、その画面に見入ってしまった。最初、砂の嵐のように何も映っていなかった画面にくっきりとした映像が映っている。
「深夜番組かな」
大山は夜中にテレビを見ない。七十を超えて寝つきがますます早くなり、十時を過ぎると床につくのが習慣になっている大山にとって、深夜零時を廻ってどんなテレビ番組が放映されるのか興味がわいた。画面に映っていたものは俯瞰になった室内だ。それもただの部屋ではなく、手術室だ。上半身がむき出しになった初老の男が横たわっている。今にも腹を割かれるマグロのように転がっている男は大山自身だ。大山が手術台の上に横たわっている。その周りを医師や看護師が取り巻いて、手術台から離れた所にはモニターを操作する技師らしき人影もある。その人々に取り囲まれて、大山はまるでまな板の上のコイだ。
「おれが……」
大山は画面を凝視した。大山はつい三日前、この病院で手術を受けている。腹部に出来たいくつかの腫瘍を摘出するために入院した。腫瘍自体は悪性ではなかったが、広範囲に点在し大手術になるため、腹腔鏡手術ができなかったためだ。そのため切開が必要になり、局所麻酔ではなく全身麻酔で腹部を大きく切開した。
「まさか、あのときの手術を……」
担当医から今後のために手術の様子を記録用に撮るとは聞いていたが、それを真夜中にテレビで流すのはおかしい。そんな話は聞いていない。大山は不審に思い、テレビの電源を切ることも忘れて、画面に見入った。腹が切開され大きく広げられた傷口の中から蠢く内臓が見える。おぞましい画像だが、その人物が自分自身であるとなおさら恐ろしい。腹がじくじくと痛み出した。いくつもの腕が、赤黒い塊を手早く取り出し、その間に流れる血を綺麗にぬぐっていく。しばらくその光景が続き、手術が一段落したらしい。
「ほうぅ」
大山の口から思わず安堵のため息が漏れた。手術の現実を突きつけられ、生きている実感を飲み込んだ。
唐突にさらけ出された内臓の上に何かが置かれた。茶色っぽい塊だ。大山はそれをよく見ようと起き上がってテレビモニターにかぶりついた。
「あれは……」
絶句した。そこにあったものは人の手だった。正確には手首で、しかも半ば腐敗し、指も三本だけで、皮膚が融け、骨が浮き出ている。それが蠢く内臓の上に無造作に置かれている。しかも誰もそれを気に留めず、縫合を進めていく。大きなホッチキスのような機械が取り出され、医師たちは平然と腹の中に手首を入れたまま手術を進めていく。綺麗に並んだ縫合の跡の上に滅菌されたガーゼが載せられ画像が途切れた。
大山は長い間、砂の嵐を見詰めていた。
「あいつ、おれの腹の中にあんなものを仕込みやがった」
大山はやおらベッドサイドのボタンに手を伸ばした。ナースコールのボタンを何度も何度も壊れそうな勢いで押し続けた。このスイッチは一度押すとナースステーションで解除しない限り、点滅を続けるのだから一度で十分なのだが、そんなことを考える余裕もない。
大山は絶叫しながら看護師を呼び続けた。
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